できそこないの幸せ

さくら怜音/黒桜

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第十章 Trust me,Trust you

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「おい貴様、なぜ勝行の部屋にいた!」

母屋の廊下を駆け足で進む最中、背後から誰かに呼び止められる。部屋を出る時、片岡以外に見つかってはいけないことをすっかり失念していた。その大声にビクッと身体が硬直してしまい、光の腕は怒号の主に捕まえられる。

「勝行の部屋から何か持ち出しただろう、この不良め、面倒事ばっかり持ち込みやがって」
「いっ……てぇ! 離せ!」

光を捕まえたのは修一だった。光より身長は低いが、その腕力は勝行並みに強い。後ろ手に拘束され、パーカーのポケットを強引に弄られて光は暴れまくった。ひらりと栞が零れ落ちる。

「なんだこれは」
「触んな! それは俺がアイツに作ってやったやつだ! 元は俺のなんだから持ってってもいいだろ!」
「フン。窃盗には違いないだろうが」

子どもの工作なんぞ興味ない。容赦なくそれを踏みつけた修一は、拾おうとした光を背後から押し倒し、額を強引に廊下へ押し付けた。周囲から「どうしましたか」と使用人たちが様子を伺ってくる。彼らは正月に一緒に食事をした連中だった。

「ひっ、光くん……? どうして」
「こいつは窃盗犯だ。他人ひとの弟をも奪いやがって……これ以上相羽家から何を奪おうというつもりだ」
「……うぐっ」

片膝で背中から全体重かけて踏み潰され、内臓がせり上がりそうになる。意図的に声を潰された光は本能的にヤバイと感じた。ブラックモードの勝行にそっくりだと悟った修一の暴力は、それ以上に手加減という文字が見当たらなかった。反論する術を断ち、うっかり殺しても事故だと言い張るのだろう。呼吸すら物理的に止められてしまいそうだ。見ている使用人も困惑しているようだった。

「見ろ。こいつの手には鍵まであるぞ。これは勝行個人の自家用車の鍵だ、お前のものじゃない。どう言い訳するつもりだ」
「……っ」
「とんでもない悪党だな、貴様……穢れたその身体であの堅物の弟をどうやって誑し込んだんだ。泣きついて同情を誘ったか、淫乱におねだりでもしたのか……どっちにせよ、今どきの高校生は恐ろしいもんだ。……なあ、《相羽勝行》にとってお前は邪魔なお荷物以外の何物でもないんだよ、わかるか? この奴隷風情が」

片岡がいない間に動いた代償は厳しい。けれど光もこれ以上黙っていられなかった。
鍵を無理やり奪われそうになった光は渾身の力を振り絞って身体を回転させ、修一を薙ぎ払った。うわあっと叫びながら廊下に転がる修一に使用人たちが駆け寄る中、光はよろめき腹を抑えて立ち上がる。

「ごちゃごちゃうるせえ……そういうテメエらこそ、勝行の話はなんも聞いてやらねえくせに!」

考えるより先に手が出る性格を直したい。そう思っていたけれど、人間そう簡単に変われるはずがなかった。
罵詈雑言を並べながら修一が駆け寄ってくる。
光は車の鍵を握り締めたまま、修一の顔をめいっぱい殴った。油断していたのかそのストレートパンチは綺麗に決まり、修一は再び廊下にひっくり返る。

「きゃあああ!」
「光くん、なんてことを」
「くそっ……くそ、刑事と親父を呼べ! こいつを傷害の現行犯で逮捕させろ!」
「修一さん、鼻血が。落ち着いてください」

――またやってしまった。
だがこんなところで捕まっている暇はない。言い訳も説明も面倒くさくなった光は、踏まれた栞を拾い上げると無言で逃げ出した。
捕まえろっ、と修一が叫び散らすも、なぜか光を捕まえようとする使用人は誰もいない。光はひたすら全力で廊下を逆走した。

「どいて……どけ! 勝行を、助けに行くんだ……!」
「光くん、こっち!」

使用人休憩室から、顔見知りのメイドがそっと手招きしているのが見えた。光は咄嗟に部屋へと潜り込む。中には料理長や厨房の知り合いたちがいて、光が入ると同時にドアを閉め、さらに厨房奥の勝手口へと案内してくれた。

「どうして……?」

手を貸してくれる使用人たちの意図が掴めず、思わず光は勝手口前で立ち止まった。正月に手料理を褒めてくれたシェフの一人が、「光くんは大切な仲間だから」と微笑する。

「片岡さんから話を聞いたよ。勝行さんがここを出発される時、少し様子がおかしかったんだ。まさかとは思ったけれど……」
「……みんなは、アイツを連れてった奴を知ってる?」
「はい、修一さん直属の護衛と運転手です。普段ここにいる人間じゃありません」
「あ、勝行さんの車は、今は従業員駐車場に停めてる。代理で僕が引き取ってきたんだ。それで、鍵を部屋に持って行ったんだけど……その時にはもういらっしゃらなくて」
「光くんを迎えに行くと仰って出発されました。顔色も悪かったんです」
「だから体調が悪いのかと思って……運転手が支えるように乗せていたので」

僅かな時間だが、まくし立てる使用人から少し状況を聞くことができた。
勝行は家庭教師の授業中、ディーラーに自分の車を預けてメンテナンスを頼んでいた。引き取りに向かった使用人が予定通り母屋へ車を戻したものの、部屋は既にもぬけの殻になっていたという。急な予定変更を聞かされていなかった使用人たちはそれを勝行の体調不良のせいだと信じ、送迎した人間が誰なのかまで気に掛けることもなかった。

「身内同士の揉め事は絶えない家ですが、今回ばかりは見過ごすわけにいきません。光さん、勝行さんを助けてもらえませんか」
「もうWINGSの歌を聞けなくなるのは、いやです!」
「お願いします!」

正月、一緒に即興コンサートを楽しんだメイドたちが、こぞって光に頭を下げていく。
光は何も考えずに飛び出した自分が情けなくて悔しくなった。こんなに信頼されているのに、一体今の自分に何ができるというのだろうか。頭に血が上って無計画に飛び出したものの、片岡や勝行ほどの運動能力や知識が自分にはない。
しばし考えたのち、光は重い口を開いた。

「……あんたたちを信じて、頼みたいことがあるんだけど……」
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