闇精霊に好かれた精霊術師(旧題:ダンジョン最下層でパーティに見捨てられた精霊術師の少年、闇精霊に気に入られ最強の精霊使いになる。)

お茶っ葉

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三章

46話 月夜の誓い

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「すっかり夜になってしまったわね。急がないと朝までには戻れないわよ?」
「ま、待ってください。逸る気持ちは理解できますが。もう少し、加減を……!」
「ほらほら。あともう少しだから頑張りなさい。帰りぐらいはおぶってあげるから!」

 先導するフィアーを追って残りの四人も重たい足取りを動かす。
 早く結果を報告したくてウズウズしているのか、休息を取る暇も与えてもらえず。
 ただそれも彼女の機嫌の良い振る舞いを見ていると、誰も強く言えずにいた。

「もうっ……あの子は調子がいいんですから……!」
「あれが空回りで終わらなければよいのじゃがな。……ふぅ。流石にワシもくたびれた。この身体での長距離飛行は初めてじゃったが。思いの外、制御が難しいのう」
「トルは平気、だった!」
「私はもう足がクタクタです……」

 片道で三日はかかる道のりを強行し、当日に間に合わせるようにした。
 空を自由に飛べる者はともかく、地上をひたすら走り続けたノートは疲労で倒れそうになっている。
  
「この身体に……獣人の血が流れているのを……今日ほど幸運に思った事はない……!」

 セレーネもまた、息が絶え絶えになっていた。
 半分とはいえ獣人の身体能力は肉体の限界を超えて稼働してくれたのだ。
 とはいえ帰りの事も考えると気が遠くなるのを彼女は感じていたが。

「さあ、セレーネ! 依頼を終わらせるわよ!!」
「りょ、了解しましたっ!!」

 健気にも疲れを見せないようにして己の主の為に忠義を尽くしていた。
 
「……私にも翼があれば良かったのですが。土属性はとにかく……じゅ、重量がありますから」
「確かにお主自身も重い――ノートよ、その拳を下ろすのじゃ。冗談に決まっておろう!?」
「ふふっ……四肢の一部を石に変えたら……仲間が増えそうですね?」
「やめるのじゃ! 幼気な幼女を虐めて何になる!!」

 ノートの張り付けた笑顔のまま振り上げられたゴーレムの腕に威嚇されウィズリィは後退る。
 最近では一人鏡の前で悩んでいるらしい彼女に、歳と体重の話題は禁句だった。

「ノート、うぃずりぃ……あんまり騒ぐと……迷惑!!」
「ご、ごめんなさい……」
「うぬぬ……ワシまで怒られたではないか」

 トルに叱られて二人は反省する。
 夜も遅く、広い田舎とはいえ誰が通りかかってもおかしくない。
 あくまで自分たちは部外者であるのだから、気を配らなければいけない。

「さてさて、今宵は月もよく見える。お目当ての物もすぐに見つかるじゃろう」

 月光により仄かに照らされた花の楽園は静かに靡いていた。
 その中で一輪の花が白く淡い光を放っている。依頼にあった月光草だ。
 ウィズリィはしゃがみ込むと傷付けないように丁重に摘む。

「見よ、地上から離れてもこの通り生命力に溢れておる。この地の光属性によるものじゃ」
「とても、綺麗ですね。薬の材料になるだけあって良質な魔力を感じます」  
「……トルも、見つけた。これで終わり?」 

 奥から戻ってきたトルの右手にも月光草が握られていた。
 花の楽園であっても希少な種であるのか見える範囲では三人分だけ。
 残り二つはまた別で探さないといけないだろう。土地としてはここはそれほど広くない。

「あとはフィアーとセレーネだけか……ワシの杞憂であって欲しいが」

 ウィズリィはそう呟くと木々の間を抜けていく。二人も続いて追いかける。
 甘い蜜の香りに導かれるように進んでいくと、楽園と深い森に通じる境目に出る。
 枝木に遮られ光が届かない陰となった一角、そこに目的の人物がいた。

「どう……してよ……どうしてなのよ!!」 
「闇精霊様……」

 フィアーは自分の手のひらを見つめていた。納得がいかないと叫んでいる。
 周囲にはいくつもの萎れた花々が落ちている。不自然なほど黒く滲んでいた。 
 闇属性に浸食された生物に現れる症状と一致している。
 
「偶然弱っていただけなのかもしれません! こ、こちらをどうぞ!!」

 セレーネは励ますように自分の握っていた花を差し出す。
 フィアーはそれを受取ろうと手を伸ばし――触れる前に枯れ果ててしまった。
 目も当てられない無慈悲な結果を前に二人は絶句するしかなかった。

「フィア……」

 トルが前に出る。
 何かを言いたげにして、でもそれは喉元で止まってしまう。
 フィアーが手を前に出してこれ以上近付くなと拒絶していたからだ。

「…………いい。私の事はいいから先に戻ってて」

 表情は陰に覆われて見えなかった。
 いつもの彼女らしくない低く震えた声で、ぞんざいに言い捨てる。

「フィアー、気にしなくていいのですよ? あの話はあくまで民間伝承で何の根拠もないのですから」
「そうじゃな。月光草がその内に含み持つ光属性にお主の闇属性が反応したのじゃろう。真実草とは言っても所詮、当時の為政者が民を従える為に生み出した都合のいい迷信じゃよ」
 
 まだ今ほど魔法に対する知識が浸透していかった時代の産物だ。 
 魔女狩りと称して気に入らない者を捕らえる建前として使っていたのか。
 または正しく魔族を暴く為に使われたのか。どちらにしろ亜人が蔓延る現代では大した意味を持たない。

 闇属性が特別影響を与えやすいだけで、他属性であっても強い力を与えれば同じ現象が起こる。
 属性を宿した植物は繊細であるが故に、そのバランスを崩せば簡単に枯れてしまうのだ。
 
「ならどうして、セレーネが触れられて私が触れられないのよ……同じ属性の使い手でしょ?」
「わ、私などとは違って、闇精霊様は比べ物にならないほどの魔力をお持ちですから!」
「精霊と亜人を一緒にしてどうする。フィアー、今日のお主は少しおかしいぞ?」

 誰の目から見ても今のフィアーの様子は異常だった。
 これまでも自身の力の本質を目の当たりにする機会はあったはず。  
 花が枯れた程度で、ここまで過剰に反応を見せる原因がわからなかった。
 
「張り切りすぎて少し疲れたのでしょう。帰ってゆっくり休んで、また後日、別の方法を試してみましょう?」

 ノートは優しい口調で諭すように近付いていく。
 それでもフィアーは首を振りながら後退るだけだった。

「……変わるのではなかったのか? お主の言葉は、想いは、所詮その程度だったのか?」
「いいからお願い……今は、一人にして……」

 最後には耳を塞ぎ背中を向けて拒絶していた。
 取り付く島もなかった。ウィズリィは溜め息をついて諦めの姿勢を見せる。

「仕方がない。ワシらだけでも戻るとするか。遅くなれば事情を知らないフィリスが心配するじゃろう」
「……フィアーを置いていくのですか?」
「拗ねた子供に何を言い聞かせても無駄じゃ。下らない迷信を信じ込んでおる。もしくは自分で自分を戒めているのか……どちらにしろワシらの出る幕ではない。これ以上は無駄な言い争いになるだけじゃ」

 ウィズリィがそう言い放つとフィアーは少しだけ反応する。

「……偉そうに、お前も子供の癖に」
「フンッ、強がるならせめて顔を前に向けてからにするんじゃな」

 いつもの嫌味も今はただ弱々しいだけだった。
 ノートは悩んだ末、ウィズリィの言葉に従う事に決めたようだ。 

「明日にはちゃんと元気な顔を見せてくださいね? あっ、せめて何か食べるものを置いて……!」
「お主はこやつの母親か。……ほら行くぞ。そこのセレーネもじゃ。望み通り一人にさせてやれ」
「は、離せぇ、私は最期まで残――や、闇精霊様あぁぁぁぁ……!!」

 この場に居座ろうとするセレーネの首根っこを掴みウィズリィが戻っていく。
 心配そうに何度も振り返るノートや、ずっと黙り込んだまま俯いていたトルまでも。
 誰もが彼女の身を案じながら、それでも何もできずに立ち去る事しかできなかった。 
 
 そして、フィアーはたった一人残された。



 ◇



「…………」

 時の経つのを忘れただ月を見上げていた。
 空が綺麗だとか夜風が寒いとかそういう感傷は何も浮かばない。
 あるとすれば胸の痛み。それから周囲を覆う忌々しい黒い闇。
 
「どれだけ偽り言い聞かせ、取り繕っても。たった一度、事実を突き付けられただけでぐっちゃぐちゃに乱されて……結局は一緒じゃない……馬鹿みたい……そんな資格初めからなかったはずのに……」

 自傷の笑みを浮かべながら膝を抱える。
 暗い鬱蒼とした森の中。闇の住人にとって理想の環境であっても今は不安を膨れ上がらせるだけ。
 憧れていたのだ、目の前の光に。手が届かないとわかっていても。

 どうして今になって後悔するのか。
 これなら初めから見て見ぬ振りをしていれば良かったのに。

「……フィア」
「何で……残っているのよ」

 後方の茂みから現れたのは既に立ち去ったはずの人物で。トルはその手に一輪の花を握っていた。
 何度も視線を彷徨わせ、息を決したように彼女は勇気を振り絞るように声を出す。

「ごめん……なさい。トルが……フィアじゃ枯れるって……言ったから……!」
「それは関係ないでしょ……さっさと行きなさいよ」

 この期に及んで無関係なトルにまで怒りをぶつけている。
 隠していた醜い心を曝け出しているようで、同時にフィアー自身も傷付けていく。 
 本当に苦しいのは相手の方で、それがわかっていても止められなかった。

「これ……見つけた。最後の……フィアに……!」
「うるさいっ! もう放っておいてよ!!」

 差し出された花を腕ごと振り払う。
 地面に叩きつけられたそれを、トルは茫然と目に涙を滲ませ見下ろしていた。 

「あっ……う、うぅ……」
「それを持って早く戻ればいいでしょ? それでニノに褒められたらいい! ……私には最初から無理だったのよ、優しくされて勘違いしていただけでそんな資格はなかった。誰とも関わるんじゃなかった!」
「違う……そんな事ない! トルは……トルはフィアの事を……!」
「違わない!!」
「ち、違うもん!!」
「貴方と私じゃ生まれや立場が違う。私はただの精霊じゃない。魔族に生み出された――人を滅ぼす為に生み出された兵器なんだから! こんな下らない感情を持つ事自体が間違っていた。この手はとっくの昔に汚れているのよ!」

 怒りに身を任せフィアーは木に腕を叩きつける。
 その程度では傷一つ付かない頑丈な器を何度も何度も。
 決して消えない穢れを振り払おうとするかのように。
 
「フィアの馬鹿! バカバカバカ、わからず屋!! もう、知らない!! そうやって、一人で抱えて……一人で……ずっと……泣いていればいい……!!」
「うるさいうるさいうるさい!! トルなんか、もうどこかに……消えてしまえ!!」
「…………ッ!!」

 雫を散らせながら走り去っていく小さな背中。腕に残るのは小さな痛み。
 
 拒絶した。してしまった。
 フィアーは手を差し伸べてくれた心優しい友人を切り捨ててしまったのだ。

「……トルの馬鹿。……私の……馬鹿……うぅ、あああああぁぁ…………!!」

 再び膝を抱えて声を上げる。
 目の前の景色が熱くそして歪んでいた。

「もう、放っておいてよ。……私は……この世界にとっての異分子でしかないんだから……」


 ――――――――――――――――

 ――――――――――――

 ―――――――――


 どれだけの時間が経ったのだろうか。
 まだ月は夜空に浮かんだままだ。気の遠くなるほどの孤独を感じていたのに。
 フィアーの視界にはずっと変わらずに白く光る月光草が映っていた。
 
「…………」

 トルが渡してくれたそれをいつまでも触れられないでいた。
 もう一度目の前で消滅する様を見たくなかったのだ。彼女はこの一輪が最後だと言っていた。
 他は全て枯れてしまった。この手で殺してしまった。この機会を逃せば次はないかも知れない。

 いや、いっそ枯れてしまった方が楽になるのかもしれない。
 下手に希望に縋るから辛くなるのだ。断ち切ってしまえば。そう考えて立ち上がる。
 ゆっくりと鉛のような重い足を動かし、未練を、未来を自らの手で閉ざそうとして。
 
 そして――
 
  
「フィアー、どうして泣いているの?」


 ――声を掛けられた。



 ◇


 
 小さかった。
 実際、彼女の身体は子供であって小さい方なんだけど。
 誰にも負けないくらいの覇気があった。その背中はいつも大きく映っていた。

 けれど今のフィアーはとても小さく。目を離せば消えてしまいそうなほど儚かった。

「聞いたよ。冒険者になる為に認定試験を受けているんだってね」
「……誰から聞いたの?」
「この際誰でもいいじゃないか。フィアーから提案してくれたんだよね? 驚いたし、何より嬉しかった」
「そう……。それは……よかったじゃない」
「他人事みたいだね」
「だって、私にはもう……関係ないから」
「……本当にどうしたの、いつもの君らしくないよ?」

 何故今になってこうも弱ってしまったんだろうか?
 ……違うな。きっと表に出していなかっただけで、それは最初から彼女を蝕んでいたのかもしれない。
 症状に出て初めて僕たちが認識しただけであって、本人ですら気付いていなかった可能性もある。

「変わろうと……した。けど、駄目だった……だってどれだけ頑張っても私は闇の存在のままで、そこからは逃げられなくて。迷信だってわかっていても、触れるだけで消えるの。簡単に壊れてしまう。私はこの世界に存在してはいけない悪魔なのよ……」
「……誰かと付き合っていく上で種族なんて些細な問題だ。これは君が伝えてくれた言葉だよ? 寄り添うだけならとても簡単なんだって、この言葉があったからこそ僕はフィリスを救えたんだ」
「そんなの……私が私自身を騙す為に言い聞かせてるだけよ……。だってそんな都合のいい話なんて現実にはない。この手は汚れているから。命じられるままに酷い事もたくさんしてきた。殺してきた。今更どんな顔をして貴方に触れたらいいの? わからない、わからないの……」

 ……酷いなと思った。
 誰が考えた依頼なのか知らないけど。ここに来るまでに僕も内容だけは見させてもらっていた。
 
 そもそもただの採取に条件を組み込む必要性をまるで感じられない。
 必ずこうなるようにあらかじめ仕組まれていたような指示になっていた。
 月光草の伝承なんて割と一般的なもので、知らなくてもそれに関われば一度は耳に入るものだ。

 魔族の兵器として生み出された彼女が、それでも人と関わろうと決めた。
 何度も強く自分に言い聞かせて本能に負けないように変わろうと努力を続けている最中なのに。

 逃げようのない事実を突き付けられたら、覚悟もないままに無理矢理に見せつけられたなら。
 そんなの心が折れるに決まっている。きっかけがほんの些細な現象だったとしても。
 本気で変えたいと考えているからこそ、鋭く胸に突き刺さる。 

 いずれは向き合う必要があったにしろ、物事には順序があったはずなのに。

「……そうだね。君はどこまでいっても闇精霊だしその事実からはどう足掻いても逃げられない。酷い事をしてきたんだとすればその罪は一生君の背中に重く圧し掛かる。……背負っていくしかないんだよ。背負った上で、変わるしかないんだ。難しいよ。とても難しい事だと思う」
「ニノ……」
「僕だって駄目なところは直したいと思っている。だけど思うだけじゃ簡単には変われなくて。それは苦しいほど理解できるよ。もしかしたら一生このままなのかもしれないって不安になる事もあるから」

 今の生き方を簡単に変えられたらどれだけ楽だろうか。
 それが難しいからこそ迷い、悩み、苦しむ。一生を賭けて先の見えない暗闇を進んでいくしかない。
 でも変わりたいと願わなければずっとそのままだ、気が付けば周囲に置いていかれるんだ。

「本当に大切なのは目の前の一歩を踏み出す強い意志。……それって既にフィアーがやっている事なんだよ。今この場にいるのがその大きな一歩なんだ」

 変わる変わらないで言えば一と零でしかないけど、その間には見えない無限にも近い道のりがある。 
 勇気を出して一歩進めばそれは昨日までの自分とはまた別の自分だ。変化としては乏しいものだけど。
 そういう積み重ねがやがて新しい明日を作り出す。新しい自分を生み出していくんだ。 

「ねぇ、フィアーはどうして変わりたいと願ったの?」
「……羨ましかった。ずっと、遠くから見ていた。みんなが楽しそうにしているのを……。私にはいなかったから、道具でしかなかったから……。欲しかった、私を見てくれる誰かが……! 特別な誰かが……!!」
「それはもう今の君自身が手に入れているものじゃないの?」
「ニノは……私の事が……怖くないの? だって私は魔族に作られた兵器で……!」
「僕は―――今のフィアーしか知らないから」

 過去に彼女が何をしてきたんだとしても。それはもう数百年も前の話。
 罪だとか罪悪感はあくまで本人の中で整理すべき問題で、どう受け止めるかはこちらの問題だ。
 都合のいい考えかも知れない。だけどいくら親しい相手でも全てを許容し続けるのは無理がある。

 あえて見ないようにするのも付き合う上で大切な事だと思う。
 そして重要なのは過去じゃなく現在で、そしてこれから先の未来。

「君が君のままであり続ける限り。前に進み続ける限り僕はいつだってフィアーの味方だよ」

 落ちていた月光草を拾う。
 強い光の生命力に満ちた花だ。
 それでもフィアーの闇の前には屈してしまうらしい。

「それは……トルの……でも、私が触れたら……!」
「いいから。見てて?」
 
 レムちゃんの力を借りて強く念じる。
 大切な記憶の一部から引き出していく。それを完全に再現する。
 生命を物質に封じ込める。疑似的な不老不死を作り出す母さんの魔法。

 彼女を苦しめる闇属性に負けないくらいに僕たちの光属性が輝く。
 そして、恐る恐る伸ばす彼女の手のひらにしっかりと枯れる事なく収まった。

「ほら、もう大丈夫。君は悪魔なんかじゃない、僕がよく知るフィアーだ。……たとえこの先自分が信じられなくなっても、間違えそうになったらいつだってこうして手を引き続ける。それは僕だけじゃない、他のみんなだって同じはずだよ。だから諦めずに一緒に前に進んでいこう、一緒に変わっていこう?」 
「あ……ああ……ニ……ノ……うぐっ、えぐっ……ああああああああ!!」

 子供のように泣きじゃくる彼女を強く抱き締める。
 とても暖かい。決して兵器なんかじゃ持てない温もりだった。

「それから……合格おめでとう。これから一緒に冒険ができるね?」

 空が少しずつ明るみを増していった。
 月は沈み日が昇っていく。新しい明日が始まる。
 時が経つのを早く感じる。まるで立ち止まるなって急かされているみたいだ。

 そろそろ、落ち着いてきただろうか?

「ニノ……貴方が……欲しい……」
「フィアー?」

 それは、か細い声だった。
 目の前にいても聞き逃しそうになるほどで、けれどしっかりと耳に刻まれる。

「ど……どうしよう、き、気持ちが……止められない」

 世界が一転する。
 押し倒されたのだと気付いた時には、視界いっぱいに彼女の顔が広がっていた。
 土と草木の匂い、甘い香り。そして熱い雫が何個も落ちてくる。

「貴方の優しい声が、綺麗な瞳が、暖かい血が、気高い心が、魂が、全てが欲しい。……誰にも……譲りたくない。できる事ならずっと私だけのものにしたい……。止め、られない……好きなの……きっとこれ以上のものはない。貴方が……欲しいの」 

 潤んだ瞳が近付いてくる。
 彼女自身も操られているかのように。
 抵抗すれば簡単に解けそうな重み。まるで試されているみたいだった。

 そして、その可愛らしい唇が触れそうになる瞬間。
 
 ――ムギュ

「ふぐっ、ぐぐぐぐぐぐ――な、何で、鼻をつまむの!?」
「こんな時に言うのもあれだけど、どうしても気になって……髪の毛に虫がついてるよ?」
「へっ?」

 その部分に指を差す。
 ワンテンポほど遅れてやっと意味を理解したらしい。
 
「ひ、ひゃああああああ!! ゲジゲジ!? ゲジゲジは嫌ああああああ!!」

 想像以上の反応でフィアーは飛び跳ねた。
 虫が嫌いな女の子はよくいるけど、ここまで大袈裟に嫌がるのも珍しいかも。
 魔物も見ようによっては虫よりもおぞましい形状をしているのに、違いがいまいちわからない。

「あはは、もう取れたから安心して。ゲジゲジはいないよ?」
「ほ、本当でしょうね?」

 余程嫌いなのか念入りに髪に触れている。
 くるくると回りながら僕に確認まで求めてきた。

「随分と元気になったね。良かったよ。しおらしいのも偶には悪くないけど、やっぱりいつもの君が一番だから」
「うっ……は、恥ずかしいところを見せたわね……」

 そういう雰囲気でもなくなったからか。
 フィアーは酔いから醒めて元の状態に戻っていた。
 若干、後を引いている気がしないでもないけど。まあ大丈夫かな。

「すっかり朝になっちゃったね。そろそろ帰ろう。きっとみんな心配しているだろうから」
「う、うん……」
「戻ったらまず最初にトルに謝っておくんだよ? フィアーを助けてってずっと泣いていたんだから」
「……そう。……ニノに知らせたのはあの子だったのね」

 フィリスと屋敷でゆっくりしていたら、窓からいきなりトルが飛び込んできたんだ。
 二人が喧嘩するのはよくある事だけど、全力で走り抜けてきた彼女の姿に事態の重さを感じ取った。
 それがなければきっと間に合わなかった。僕もあとで感謝を伝えないと。

「ニノ……私は、きっとこれから先も迷惑を掛けると思う。……面倒臭いかもしれないけど……だけど……!」

 自信なさげに俯くフィアーに僕は黙って左手を差し出す。
 その手を強く握る。約束だから。

「……あり……がとう」

 

 ◇



《……ニノちゃんって偶に凄く残酷だったりするよね。本当は、虫なんかついてなかったのに》
「……気付いていたんだ。残酷か、確かにそうかもしれないね」

 フィアーは元気に走りながら、時々こちらを向いては手を振ってくれる。
 その背中を追いかけながら、ポートセルトまで通じる長い道のりを歩いていく。
  
「フィアーの気持ちには最初から気付いていたよ。と、言うより気付かない方がおかしいくらいだったし。今だにどうしてここまで好かれているのかはわからないけど。……本人も何故か理由を教えてくれないんだよね。恥ずかしいのかな?」
《それならどうして…………フィリスちゃんを裏切る事になるから?》
「どうだろう? フィリスってそういうのにあまりこだわらないような気がする」

 みんなで暮らしたいと最初に言いだしたのもフィリスだった。
 案外、そういう度量はとても大きいのかもしれない。聞いてみない事にはわからないけど。
 
「どちらにしろ今は……まだ答えは出せない。もし、僕が安易に受け入れたりすればフィアーはきっとそれで満足する。そこで歩みを止めてしまうかもしれないんだ。……それだけはやってはいけない。怖いんだよ。僕が彼女の成長の妨げになるのが」

 他者に依存するのは何も間違っていない。 
 誰だって誰かに支えられて、どこかで助け合っている。
 それは人も亜人も精霊も変わらない。強がって否定してもこの世界で生きている限り避けられない。

 ただ、その先が一つだけでは簡単に壊れてしまう。

 トルやノート様も僕に対して特別な感情を抱いてくれている。
 でもそれは僕だけじゃなくて他の人たちにも向いている。彼女たちには大切な仲間がいる。
 
 だけどフィアーはそうじゃない。実際には彼女を見守ってくれている人たちは多くいるけれど。
 その事に気付いていない。いや、気付いていたとしても無視している。周囲との明確な壁を感じるんだ。

 それは彼女の生まれや境遇も関係しているんだろう。
 どうして僕にだけは心を開いてくれるのかはわからないけど。

 その人を支える支柱は一つよりも二つ、二つよりもたくさんあった方がいい。
 一つを失っても他に寄り添えるものがあれば。また前を向いて歩き出せるから。
  
「これからフィアーはたくさんのものに触れて成長していく。転生して記憶を失ったとしても歩んだ道のりは何かしらの歴史に残るし、他の精霊様の記憶にも残る。魂にだって。そうして次へと繋いで行くんだ」
 
 無限にも近い旅路、常に一歩ずつ前へ進み続けていればいつかは必ず終着点に辿り着く。
 それは短い人の生では届かなくても、永劫の時を生きる精霊様ならきっと……。

「僕はね、フィアーの今だけじゃなくて未来も救いたい。傲慢な考えなのかもしれないけど、どれだけ強く望んだとしても別れの日は訪れるから、ずっと隣にはいられないから。掛け替えのない思い出として残りたい。ただ悲しいだけで終わるのは……嫌なんだ」

 たとえ契約の負荷を解消して延命したところで人と精霊じゃ生きている世界が違い過ぎる。
 限られた時間の中でどこまで手を引き続けられるか。それが僕にとっての課題なのかもしれない。

《どうして君は、そこまでフィアーの為にできるの? 自分の人生を賭けられるの?》
「……救われたからかな? ただ何となくで生きてきた僕に、使命と言うと大げさだけど。生きる意味を与えてくれたから。その恩返し……なのかもしれない」 

 フィアーに気に入られて、半ば強引に精霊使いにされて。
 一人ぼっちだったこの子には僕がいないと駄目なんだって思わされた。
 誰かに必要とされるってとても勇気をくれるんだ。明日も頑張って生きたいと思える。
 
「もしかしたら僕は……彼女の中でいつまでも特別であり続けたいだけなのかもしれないけどね?」

 これもある種の独占欲に近い。
 死んだ後も一番でありたいだなんて。
 フィアーが僕に影響を受けるように僕も彼女に染まっている。
 
「もちろんフィアーだけじゃなくて他のみんなの事も。一人の身体でどこまでできるかはわからないけど……。あっ、当然だけどその中にはレムちゃんもいるよ? 僕はとても欲張りなんだ」

 遠くの方でフィアーが大きな声で叫んでいた。
 綺麗な朝焼けの下、早く来なさいと急かしてくる。

「そろそろ本気で追いかけないと怒られそうだ」

 頬の熱さを誤魔化すように僕は走り出す。
 
《ボクも――ボクにも自由な身体があれば、もっと君の助けになれるのかな……? 君の想いに報いる事ができるのかな……? 見ているだけしかできないなんて……悔しいよ》
「今だってずっと助けてもらっているよ? こうして話を聞いてもらってるし、十分過ぎるほどだよ」
《……そうだといいけど》

 それ以降、レムちゃんは黙ってしまった。

「もう、歩くのが遅い!」
「帰るだけなら飛んだ方が速いと思うけど。どうして途中まで徒歩にしたの?」
「だって、それだとすぐに屋敷に着いちゃうじゃない……。こうして独り占めにできないし……」
「早いだの遅いだの。女心って複雑だね……」
「うるさい…………んっ」

 フィアーは強く腕にしがみついてくる。
 昨日までとはどこかその距離感は違っていて、冗談とかそういうのはなく。ひたすらに真剣だった。
 僕はそれに気付いていない振りをしながら、だけど無下にもしないよう優しく手を引く。

 ゆっくりと時間をかけて僕たちは屋敷に戻った。
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