食うために軍人になりました【一人称版】

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第一章

帝都軍令部にて

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 少し開いた窓から吹き込む風が頬を撫でる。
 昨日までの春の優しい風に夏の暑さが加わったように感じた。
 もう春も終わりか。
 しかし、今の私には季節は関係ない。
 毎日毎日、部屋にこもって書類仕事だからな。
 中将となってからは戦場に出る事も少なくなり、こんな雑用紛いの書類仕事をやらされている。
 これでは腕が鈍るばかりだが、やらない訳にもいかない。
 いずれ私が元帥となって軍を掌握するまで、私は立ち止まるわけにはいかないのだからな。
 さて、愚痴はこれぐらいにして仕事を再開するか。
 ん? この書類はなんだ?
 ライエルとダウスターの領軍決闘報告書?
 ……ああ、そういえばそんな話があったな。
 貴族としての教養も備えていない者に血統だけで家督を継がせるからこんな馬鹿な話が出てくるのだ。
 余計な仕事を増やしよって!
 こっちの資料はその戦いの論功行賞の結果か……なんだこれは?

「大佐、これはどういう事だ?」

 殊更、威圧するつもりはなかったが、別の机で仕事をしていた大佐がビクッと身体を竦ませた。
 そろそろ付き合いも長くなってきたのだから慣れてほしいんだがな。

「か、閣下。どの書類の件でしょうか?」

 額に薄っすらと汗を浮かべながら、機嫌を窺うように尋ねてくる大佐の顔色が悪い。
 こういう時は何か言いにくい事がある時だな。
 我が部下ながらわかりやすい事だ。
 
「この異例の昇進の件だ」

「そ、それにつきましては人事部としましても、異例な事と承知しておりますが、その……止ん事無き方の口添えもありまして……」

 大佐は的を得ない話し方で遠回しに話しているが、どうやら別件と勘違いしているようだ。

「男爵が止ん事無き方だと卿は言うのか?」

「は? 男爵? いえ、あの……ラインドルフ伯爵様の御子息の事では……」

 予想外の私の質問に、言葉を濁していた貴族の名前を出してしまった大佐は慌てて両手で口を塞ぐ。
 いくら何でも分かり易すぎだ。

「ふんっ! ラインドルフ伯爵の馬鹿息子の大佐昇進の件ではない。貴族の軍人事への横槍など今に始まった事ではないからな。それに、それほど昇進したいと言うなら大佐として前線に送ってやる。そこで少将に昇進すれば、伯爵様も御喜びだろうからな。ふふふっ」

 大佐の顔色が青を通り越して白くなるのが目に見えてわかる。
 言葉の意味がわかったようだな。
 2階級特進は《殉死》と言う意味だからな。
 これ以上無能者が軍上層部に蔓延るのは防がねばならん。
 特にヴォルドン軍隊司令長官のような輩は早めに一掃したいものだ。

「大佐。私が聞きたいのはダウスター男爵領の二等兵の事だ」

「ダウスター……あの5階級特進の事でありますか?」

 焦りながらも思い出した大佐はさすがと言わねばならないだろう。
 なんせ、この男はここにある書類の内容を全て記憶しているのだ。
 この何千枚とある書類の全てを。
 まぁ、だからこそ体格も貧相で臆病な性格をしていても私の派閥に置いているのだ。
 これから上を目指す私はとしては有能な人材は必要不可欠だが、まだまだ足りないのが現状だ。
 だからこそ、この男が気になる。
 私の記憶では帝国において5階級も特進した者はいない。
 いくら田舎の領軍とはいえ、この人事は異例すぎる。
 先のラインドルフ伯爵と同様に貴族の横槍とも考えたが、ダウスター男爵はそのような事をする人物ではない。
 それを裏付けるかのように、この書類には男爵の嫡男アルフレッドを准尉から曹長に降格するとあるしな。
 
「その件につきましては正規の人事と聞いております。なんでも初陣にして目覚ましい功績を挙げ、それが軍令部でも高く評価されたと。異例の人事という事もあり、戦功証明書が添付されていたと思いますが」

 言われて探すと確かに戦功証明書はあったが、内容は疑いたくなる様なものだった。
 初陣にして斥候を任され、敵の斥候分隊を壊滅させ、分隊長を拘束。更に敵本陣に単独で侵入し、敵司令官と護衛数人を討ち取った……これを成人したばかりの二等兵がやっただと?
 軍令部の馬鹿共は素晴らしいの一言で済ませるかもしれないが、実際に戦場を駆け巡った者なら、これがどれだけ難しい事かわかっているのか?
 私とて幾多の戦場で明日をも知れぬ戦いを繰り返し、齢24にして中将の座に登り詰めたのだ。
 このシャーロット・フォン・ジェニングスでさえ、初陣では脚が震えて満足に動けなかったというのに、それをこの二等兵は初陣にしてこの戦功だ。
 俄かに信じ難い。
 だが、もし本当にその実力があるのなら……。
 
「面白い」

 虚偽にしろ、事実にしろ本人に逢えば全てがわかる。
 私の手駒として使えるか、私自身のこの眼で確かめてやる。

「大佐。これよりダウスター領へ向かう。準備せよ」

「えっ? あ、はいっ! し、しかし……この書類は?」

 大佐の視線が書類に移る。
 しまった。
 この書類が片付くまで私は動けないのだった。

「……ハァ、仕方ない。大佐、すまんが早急にこの書類を仕上げてしまいたい。手伝ってくれ。それと、私の休暇願を出しておいてくれ。これ以上、書類が増えたら敵わんからな」

「はっ! 了解しました!」

 大佐は足早に部屋を出て行った。
 それと同時に窓を開けて、少し空気を入れ換えると、その二等兵について思いを馳せた。
 
「リクト二等兵。貴官は何を与えれば我が前に屈する? 冨か名声か、はたまた《傾国の美女》と言われる私自身か……いずれにせよ、貴官の値打ち次第だ。私を失望させないでくれよ」

 そんな事を考えていると、季節外れの大風が吹き、室内に雪崩れ込む。
 そして、後ろでバサバサと音がした。
 室内に舞い散る書類に私は茫然とするしかなかった。
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