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35. 故郷へ帰ることになりそうです
しおりを挟む次の日から、ヘンリーお兄様の治療は始まった。
ヘンリーお兄様は予想以上に頑固で怖がりで、なかなか治療するのが大変だった。
「お兄様、まずこのスープを飲んでください。
これからの治療に耐えられる体力気力を補います」
そう告げた時から、お兄様は不安な顔をしていた。
「ち、治療って、そんなに大変なものなの?」
「はい、それなりに……
動かなくなった足の神経を再生させて、繋げないといけないですから」
私の言葉に青ざめた。
そして促されるままにスープをひとくち飲むと、
「まずっ!」
のひとこと。
いつもいいものばかり食べているお兄様にとって、このスープは泥水みたいなものかもしれないが……でも、そこは我慢しなければならない。
「もう飲みたくない!」
なんて音を上げるお兄様を、必死で説得した。
ソフィアさんも隣で不安そうに見ていたが、予想以上に怖がりで頑固なお兄様を、私と一緒に説得し始める。
「ヘンリー様。アンちゃんは、この街の疫病を鎮めたかたです。
どうかアンちゃんの指示に従ってください」
「分かってるけど……容赦してよ、アン?」
上目遣いですがるように告げるお兄様に、私は鬼にならないといけない。
「駄目です、お兄様。
中途半端な治療をして、結局治らなかったらいけないじゃないの……
それに、ジョーだってちゃんと飲みました!」
「えっ、本当に!?」
お兄様は縋るような顔で私を見る。
「ジョセフ様みたいな強いかたは飲めるのかもしれないが、僕は……」
「つべこべ言わないで、さっさと飲んでください!!」
こんなお兄様を見ると、文句一つ言わないで治療させてくれたジョーは神なのではないかと思ってしまう。そして、患者に嫌な思いをさせるこのスープの味を改良しないといけないと切に思った。
なんとかスープを飲み終えると、
「次は、鍼治療で神経を刺激します」
鍼に薬を塗る私に、
「針!?」
お兄様は大声で聞く。その顔は、恐怖で青ざめているほどだ。
こんなお兄様を見ていると、我ながら妹として情けなくも思う。お兄様ほどの怖がり患者は、なかなかいない。
「大丈夫です。治療鍼なので、痛みはそんなにありません」
「でっ、でも!そんなに長いでしょう!!」
お兄様は取り乱して叫び始める。
「王宮では標準治療です。怖いようであれば、麻酔薬も使いましょう」
「まっ、麻酔して!ガンガンに麻酔かけて!!」
お兄様はこんなに怖がりで、よく領地内の権力争いに勝てたと驚くばかりだ。きっと、剣の腕だってそこそこ強いだろうし、傷だって絶えなかっただろうに。
お兄様は諦めたようにベッドに寝そべった。そして震えるその足に麻酔を塗り、鍼を打つ。もちろん、お兄様の予想以下の痛みで、ほとんど何も感じないうちに治療も終わるだろう。まったく、困った人だ。
お兄様も、そのうち治療が効いてきたようで、
「足が温かくなってきた」
なんて言ってくださる。そして、ガチガチに緊張していたのも少しずつほぐれているようだ。
お兄様が落ち着いてきたため、治療をしながら色々と考えてしまった。ここにいるのは、本当にお兄様だということがまだ信じられない。ずっと一人で孤独で、人に甘えずに生きてきた私の、初めての家族。お兄様を見ると、頬が緩んでしまう。
「お兄様。ポーレット領は、どんなところなのですか?」
そう聞くと、お兄様はベッドに寝そべったまま目を閉じて教えてくれた。
「水の都ポーレット領は、大きな運河と海に挟まれた美しい街だよ。
運河には船が行き交い、ほとりではコンサートが開かれ、水鳥が飛び回る。僕は、ポーレット領が大好きなんだ」
「そうなんですね……」
そんな美しい街に、一緒に行ってみたいな。お兄様と川辺を散歩したり、海の近くのレストランで食事をしたり……だが、私はこのオストワルの地だって負けず劣らず魅力的だと思う。そして、やっぱりジョーのことが気になってしまうのだった。
昼過ぎに、ジョーはやってきた。
いつもよりも顔を出す頻度が少なかったのは、きっとお兄様がいるからだろう。お兄様と私の家族の時間を邪魔してはいけないと、ジョーなりに気を遣ってくれていたのかもしれない。
だが、ジョー中毒になり始めた私は、半日ジョーに会えなかっただけて不安でいっぱいになるのだった。
「アン」
いつものように扉を開けるジョーを見て、その胸に飛びつきたい気持ちでいっぱいになる。お兄様といても、私はこうもジョーのことばかり考えている。
お兄様の薬を混ぜている私に、ジョーはそっと近付く。そして、
「噂で聞いた。ヘンリー様が治療を拒否されていると」
耳元で告げた。息が耳にかかり、思わずビクッとしてしまう私は、
「そそそそうね!でっ、でも!お兄様も何とか頑張ってくださってるよ!」
ジョーからばばっと体を離して慌てて答えた。
駄目だ、お兄様に触れても何も思わないのに、相手がジョーだったらすぐにふにゃふにゃになってしまう。おまけに、胸もドキドキすごい音を立てている。
私はこんなにも取り乱しているというのに、ジョーは至って普通だ。そのままお兄様に向き直り、
「ヘンリー様。失礼ながら、言わせていただきます」
まっすぐに告げた。
「アンの腕は確かです。だから、アンを信じて治療をされてください。
きっと良くなられますから」
「ジョセフ様……」
まずい薬を飲んだばかりのお兄様は、涙を拭きながらジョーを見上げる。こんなにヘタレなお兄様を見られて、恥ずかしい限りだ。
「ジョセフ様は噂に聞くほど恐ろしいかたではないんですね!」
そして、お兄様はさらに失礼なことまで言ってしまう。確かに、お兄様は伯爵家の子息ジョーよりも位が高いとはいえ……
それでも、ジョーは静かに答えた。
「どんな噂が回っているか存じませんが、私はアンの味方です。
……アンが幸せになれるのだったら、何でも受け入れます」
「へぇー!ジョセフ様ほどの強者を手懐けるとは、アンもなかなかやるね!」
お兄様はまたそんな失礼なことを言うが、私の胸はジョーの言葉に狂わされっぱなしだ。
ジョーが好きだ。もちろん、お兄様のことは信頼しているし家族として好きだが……ジョーは違う。
こんな私の甘い気持ちは、ジョーの言葉によって散々に打ち砕かれたのだ。
「ヘンリー様とポーレット領に帰ることが出来て、アンもきっと幸せだろうと思っています。
私はアンにたくさん救われました。
これから……アンをよろしくお願いします」
私は、ジョーが引き止めるのを待っていた。だけど、ジョーは私がお兄様とポーレット領に行くことを望んでいる。結局、そこまでの気持ちだったのだ。
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