恋情を乞う

乙人

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疑心

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 朝、ぼんやりと起き上がった旲瑓は、ほんのり頬を染めていた。羞恥からなのだろう。思い出せば、榮氏の時もそんな顔をしていた。
 手も動かせないみたいだったので、衣裳を着せてやった。趣味の良い香りが、鼻をくすぐる。
「いいよ、それは………」
 一番上に召した衣を、永寧長公主に手渡した。代わりに、似た様な色の衣裳を渡した。
「姉さんのお気に入りだろ………それ。」
 何処か気だるげに衣を羽織った。
 解かれた髪を、梳ってやった。目を閉じて、されるがままにしている。このままでは誰かに殺されてしまうのかと不安になる。
「太后に眠そうな顔を見せては駄目よ。直ぐに疑うから、彼奴。」
 旲瑓は苦笑した。尊い国の母でも、永寧長公主にとっては、ただの高飛車な女だと言う。
「一一莫迦にしてくるのが、耐えられないわねぇ。生まれは悪いのに、気取って、愚かな人間は、あれじゃないの?」
 旲瑓は母の愚痴を言われているのに、何とも思わない。母は嫌いだ。自分を道具扱いする。
「さっさとポックリ逝ってくれないかなぁ。そうしたら、私は殺されずに済むのにねぇ。」
 終わったわよ、と旲瑓の背中をポンと押した。
 帰らなければいけないのは承知している。もし、口外されたら、共に流罪だろう。又は、永寧長公主が殺されるかもしれない。
「禁忌は、破る為にあるのよ。」
 そう言っていた永寧長公主を、思い出した。
 相当肝が据わった長公主様だ。やれやれと笑った。

 旲瑓が宮に帰ったのを、太后は見ていた。
 姉弟として付き合うのは一向に構わないのだが、永寧長公主だけはやめて欲しい。あんなの邪道だ。消え失せれば良い。
 風に、ふわりと薫って来た香。
(これ………何処かで………)
 明らかに旲瑓の物とは違う。誰だろうか。妃にも居なかったはずだ。でも、覚えがある。
「誰でも良い、先日、永寧から奪った衣を取って来い!」
 侍女に言いつけて、月見の宴前日に奪った永寧長公主の衣裳を持って来させた。
(…………やはり。)
「主上を呼んで来なさい!それと、永寧も!」
 バタバタお付が走って行った。間もなく、二人は連れて来られた。
「永寧。」
「何でしょう。」
 太后は、怒りを見せた顔で、永寧長公主を見上げている。永寧長公主は太后の顔を見ようともせず、冷静にいる。
「今朝、主上が召した衣裳の香り、この香は其方のだろう。違うかえ?永寧。」
「ええ。その通りで。」
 旲瑓は吃驚していた。そんなことで、母は永寧長公主を責めるのかと。
「旲瑓殿が遊びに来られたのですが、うっかり衣を汚してしまわれたので、私の衣を一枚貸しました。」
「ほう。」
「何時までも汚れた衣裳で居られるなぞ、ご身分に反しておりましょう。何ぞ、其方が此処に私を呼んだかは存じぬが、おかしなことではないでしょう?そうよね、太后。」
 永寧長公主のお付は、オロオロとしている。いつまで経っても、永寧長公主が拝礼しないからだ。
 永寧長公主は太后を敬うことをしない。互いに侮蔑の目を向け、死を願う、そんな間柄なのだ。
「そうなのですか。主上。」
 旲瑓はビクリと肩を揺らした。勿論、人にはバレなかっただろう。永寧長公主だけが気配で分かった。
(怯えてる。)
「はい、その通りで。」
 ふん、と鼻を鳴らした太后。永寧長公主は苛苛とそれを見下ろしていた。
「永寧を離宮で一月の謹慎とする。血族との面会も禁ずる。」
 太后はお付に、無理矢理永寧長公主を連れ去らせた。
 旲瑓はお咎め無しだが、太后にお小言をつらつらと並べられ、気まずい雰囲気の中、帰ることになった。

(何故此処に私はいるのだろうか。)
 永寧長公主が押し込められた離宮。それは、永寧長公主の母、櫖淑妃が閉じ込められていた宮だ。
(信じられない。)
 外を眺めながら、煙管を吸った。
(地獄だ。)
 調度品も庭も、優雅なのだが、永寧長公主にとって、此処は母に何度も殺められかけた、二度と戻りたくない場所だった。
(私なんて、死ねば良いとのことね。)
 ならばと簪を一本引き抜いて、それを首に当てた。切っ先で切り割けば、楽に死ねるだろうか。
 後ろに、影が映る。
「永寧長公主。」
 お付が帰ってきたのかと思えば、少し違ったみたいだ。侍女にしては、声が低い。
「姉さん。」
 振り返って、そして、絶句した。
「た、たた、た…………」
 口をぱくぱくと開いて、指さした。
「何で?」
 旲瑓が居た。
 旲瑓が居たのだが、普段の格好をしていなかった。
 白い顔に、白粉を叩き、紅をひき、眦を青く染めていた。髪を結い、簪を飾り、花を飾っていた。緑の薄絹の裱に、裙を着ていた。
 どういうことか、お分かりか。つまり、女装していたのである。
(似合いすぎて怖い。)
 これが、第一印象だった。
 旲瑓は女顔で、歳よりも幼い顔立ちをしている。痩せ型で、背もあまり高くないので、女装してもバレなかったろう。
「如何してそんな格好………」
「しょうがないだろう。この後宮の人間は、皆、私の顔を知っているから、こうでもしないと、隠せなかったんだ。まさか、私が女装するとは思わないだろうし。」
 永寧長公主はけらけらと笑った。手に煙管を握っていたのも忘れて抱きついたので、旲瑓は煙草の葉を頭から被ってしまった。
 けほけほと咳をしていたが、永寧長公主がわらっていたので、つられて笑ってしまった。

「何故貴方は此処に来るのでしょう。」
 女は尋ねた。
「此処に来れば、心が落ち着くんだ。勿論、逆鱗物だがね。」
 男は笑った。
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