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後編

落ちる

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「あんたさ、ここの教会の人間じゃないだろう?」

「えっと、その……最近、こちらに奉公に出されたばかりの新参です」

「あぁ、いいよ嘘つかなくても。あんたがどんな人間だろうと、教会の者達に言うつもりはないからさ。長く此処にいると分かるものさ。この教会の異常さにね。あんたが、この教会の手の者であるなら、俺にあんな説教しねぇよ。アイツらにとって俺は、ミーシャから金を巻き上げるための金ズルでしかない。此処の教会の人間にとって俺は、死なない程度に薬を与えて、面倒を診てやるだけの存在だ。そう上の者から言われているから、俺が暴れようと何も言わない。だから、あんたは此処の人間じゃねぇって話さ」

 暗い目をして、自嘲じちょうめいた口調で話す男の話が真実であるなら、ミーシャ様がミルガン商会に持ち込んだ装飾品やドレスを換金した金は、この教会へと流れていた事になる。または、ミルガン商会の指示のもと、この男をこの教会に監禁し、飼い殺しにしているかのどちらかだろう。どちらにしろ、ミルガン商会とノーリントン教会は繋がっている。そして、何らかの理由で、ミーシャ様はミルガン商会から金を巻き上げられている。その理由を知っているであろう男が目の前にいる。

 ここからは慎重に事を進めねばならない。

「貴方は、私をここの教会の人間ではないと言う。そして、ここの教会の人間は貴方のことを金ヅルとしか思っていないと。ただ不思議なのです。貴方は、別に檻の中に閉じ込められている訳ではない。ここから逃げ出そうと思えば逃げ出せる。この教会にいるのは、シスターと雑務をこなす老人に、子供のみです。たまに、屈強な男共も出入りしているようですが、はち合わせしなければ逃げ出せるでしょう」

 そんな事が不可能であるのは、目の前の男の姿を見れば分かる。青白い顔に、せこけた頬、袖から覗く腕は男性にしてはあまりにも細い。あの腕でよく物を投げられたものだと感心してしまう細さだ。何らかの病気を患っているのは明らかだった。そして、この男を生かすためにミーシャ様は、無理な浪費を繰り返し、それを隠れみのにミルガン商会に金を回している。毒婦のフリをしてだ。

「そう出来るなら、とっくにしている‼︎」

「出来るなら、こんな所で不貞腐れていないでやればいいのよ。好きな女、一人守れない男に生きる価値などないわ」

「そうだな……。俺はミーシャに、ただ甘えていただけだ。結局は、自分の境遇を卑下し、俺など死んでもいいと当たり散らして、傷つける事しかしていない。俺さえこの世から消えれば、ミーシャは幸せになれるとわかっているのにだ」

「確かに貴方の呪縛から開放されれば、ミーシャ様は幸せになれるでしょうね」

 目の前で項垂うなだれる男の顔に苦悶くもんの表情が浮かぶ。

「ただね、それを彼女は望んでいない。自分の立場がどうなろうも、貴方を助けることを一番に考える」

 ミーシャ様の最大の弱味は目の前の男の存在だ。この男を見捨てられないからこそ、ミルガン商会などという得体の知れない闇にくみしてしまう。自身の身が破滅へと向かうだろうとわかっていてもだ。

「俺さえ、死ねば……」

「貴方さえ死ねばすべてが解決すると本気で思っているの? 馬鹿らしい。ミーシャ様の今の状況を、貴方はどこまで知っているのかしら? 彼女の立場の危うさを本気でうれい、考えたことがあったのかしらね?」

「……」

 きっと目の前の男はミーシャ様から、今の彼女の立場や状況を何も知らされていない。公爵夫人という立場すら知らないのかもしれない。知っているのであれば、愛する女性にあんな当たり方は出来ない。目の前の男からは、本気でミーシャ様を想う切ないほどの気持ちが伝わってくる。愛する人を想いながら、その人の足枷あしかせにしかならない自分の存在を心底憎んでいる。死ぬに死ねない今の状況を。

「今のままでは、ミーシャ様も貴方も破滅するしかないわね。たとえ、貴方が死んだとしても、ミーシャ様の状況は変わらない。バレンシア公爵が、貴方とミーシャ様の関係を知らない訳がないもの」

 うつむいていた男が、顔を挙げ目を見開きこちらを見る。

「貴方は、バレンシア公爵を知っている」

「えぇ。ただ安心して、彼の命を受けて動いている訳ではないわ。バレンシア公爵よりも格上のさる御方の命を受け、ミーシャ様の動向を探っていたの」

「ミーシャの動向を探っていた? 貴方は、ミーシャの敵……」

「勘違いしないで、さる御方がミーシャ様や貴方の敵になるかどうかは、貴方達次第ということよ。今のままでは、貴方もミーシャ様も破滅以外の道は残されていない。私達が手を下さなくとも、いずれは破滅する。それだけ危うい橋を彼女は渡っている。ただ、貴方の協力次第で、その未来は大きく変わる可能性が残っている。貴方の返答次第で」

「貴方は、俺に何をさせるつもりだ? ……違うな。ミーシャが助かるなら何でもする。俺はどうなってもいい。だから頼むミーシャを助けてくれ!」

ーー落ちた。

 私に向かい深々と頭を下げる男を見つめ笑みが溢れる。どうやら、うまく誘導出来たようだ。

「えぇ、もちろん」

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