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後編

国を支える両輪

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「あら、案外化けられるものね」

 エルサを身代わりにして、メイシン公爵家の手の者の手引きで公爵邸へとやって来た私は、メイド総出で、夜会への支度を施されていた。

 お飾り王妃とはいえ、変装なしでバレンシア公爵邸へと乗り込めば、王妃ティアナだと流石にバレるだろうと、地味な焦茶色のカツラをかぶり、大ぶりな髪飾りで目元を隠す。そして深緑色のシルクのドレスを身につければ、落ち着いた雰囲気の淑女の出来上がりだ。
 
 ティアナの唯一の自慢、目立つ銀色の髪が隠れているだけで、印象は変わる。
 これなら誰も王妃だと気づかないだろう。

「ティアナちゃん、完璧よ」

「ありがとうございます、おばさま。侍女の皆さまの腕が良いのね。これなら誰も王妃だとは気づかないわ」

「そうね。でも、ちょっぴり残念だわぁ。あの艶やかな銀髪も野暮ったいカツラで隠しているし、本当はもっと可愛らしい華やかなドレスを着せたかったのに」

 口をへの字に曲げ、不満げな様子のおばさまを見て苦笑いを浮かべる。

 そういえば、メイシン公爵家で王妃教育を受けていた時は、よくおばさまの着せ替え人形になっていた。

 侍女の皆さま総出でドレスやら華やかな装飾品やらを、おばさまの指示で次から次へと着替えさせられたものだ。娘のいないおばさまにとっては、娘のように思ってくれていたのかもしれない。

「あぁ、本当残念だわぁ。そうだ! 今度、メイシン公爵邸で夜会をしましょ。その時は、素敵な夜会服を一式プレゼントしますわぁ。わたくしの名前では味気ないからタッカーから贈らせましょう。そうね、それがいいわぁ」

 夢みがちな少女のように瞳を輝かせ、話を進めていくおばさまに焦る。

 一応、今はまだ人妻。
 もうすぐ離縁される身でも、こんな微妙な時期に夫以外の男性からプレゼントをもらう訳にはいかない。
 
 そんなことを考えていた私は、ふと思い出す。

 レオン様からもらったプレゼント……

 魔除けの石。
 深く澄んだ藍色の中に銀色の光が宿る石。
 星の雫。

 レオン様と初めて踊ったダンス。
 二人で駆けた田舎道。
 そして、繋がれた手と手。

 金色の台座にはめられた青色の石が、切ないほどの恋しい想いを蘇らせる。

 鏡台におかれた首飾りを両手に持ち、ジッと見つめれば青色の石が七色に輝いて見える。

 ティナに贈られた石。だけど、ずっと肌身離さず持っていた。

 レオン様からもらった大切な想い出。

 金色の鎖を両手に持ち首から下げれば、肌に馴染んだ感触が心を温めてくれる。

「おばさま、わたくしのワガママを聞いてくださりありがとうございました。きっと、これが最後になると思います」

「それだけの覚悟をもち、バレンシア公爵家へ……、いいえ、かの公爵家の闇へと対峙するつもりなのね」

「はい。陛下とアリシア様の結婚がどうなるかはわかりません。ただ、バレンシア公爵家の闇を払うことが、わたくしの最後の仕事だと思っております」

「それは、王妃としての仕事がって意味かしら?」

「はい。わたくしは、今回の件が解決しましたら、陛下へ離縁を申し出るつもりです」

「…………、そう。残念ね。ティアナちゃんになら、アルザス王国を変えられると思ったけど」

「おばさま、私を買い被りすぎです。私に国を変えられるだけの気概も、知恵も、人望もありません。だから『お飾り』と呼ばれているのです」

「ティアナちゃん、わたくしはね。そうは思わないわ。『王妃の間の恋のキューピッド』あれ、ティアナちゃんでしょ?」

「お、おばさま……、ご存知でしたか」

「ふふふ、あんな突拍子もない事、考えるのはティアナちゃんくらいでしょ」

「うぅ……、お恥ずかしい限りです」

 楽しそうに、ふふふと笑うおばさまの顔を見て、気恥ずかしさで俯く。しかし、次に続いたおばさまの言葉に、思わず顔をあげた。

「ティアナちゃん、貴方は自分の事を『お飾り』と卑下するけれど、それは本心から出た言葉なのかしら?」

「えっ!?」

「私には、貴方がお飾りの立場を甘んじて受け入れているようには思えないの。だって、そうでしょう? お飾りの立場を受け入れているのなら、侍女に化けて『恋のキューピッド』なんてやらないわ。今の自分に不満があるから、少しでも状況を変えたいと願ったから、足掻いているのよね。違う?」

 お飾りの立場に不満がある……

 確かに、侍女ティナに化けて王妃の間で、相談事を請け負うようになったきっかけは、お飾りと揶揄される己の立場に反感を持ち、そして私を見ようともしない陛下への意趣返しだった。

 自分を蔑ろにする陛下へ、そして貴族社会への小さな反抗。空気のような存在なら、何をしたっていいじゃないかという、子供じみた反抗から始まった『恋のキューピッド役』は、いつしか自分の存在価値を認めてくれる唯一となっていた。

 己が関わったことで好転していく相談者の人生。涙を浮かべ御礼を言われるたびに、自分の存在価値が認められていく。それは、蔑ろにされ続けたティアナにとって、初めて知る喜びだった。そして、いつしか自分の人生も、相談者のように好転していくのではないかと、小さな希望を抱いていた。

 ただ、それは幻想に過ぎない。
 結局、自分は何も成し得ていない。王妃ティアナは、あの時のまま。お飾りと揶揄された時のまま、何も変わっていない。

「侍女ティナに化けて『恋のキューピッド』なんて、持て囃されて有頂天になっていただけ。おばさま……、私は『お飾り』と揶揄されたティアナのまま、何も変わっていないのです。私の力では、今の立場を変えることなんて出来ない。そんな力、私にはない」

「本当に、そうかしら? ねぇ、ティアナちゃん。貴方は真剣に『王妃』の役割について考えたことがあるかしら?」

「王妃の役割ですか?」

「えぇ。王妃とは、唯一、王に刃向える者。王と同じ権力を与えられし者、それが王妃なの。だからこそ、王妃の責任は重い。王が間違いを犯せば、身を挺して正さねばならない。それが、王妃となった者の責任。そして、国は王の力だけでは正常に機能しない。王の力と王妃の力、二つがあってこそ、国は正常に機能していく。まさしく、王と王妃は、国を支える両輪。どちらが欠けても上手く回らない。だからこそ、王妃の責任は重いの」

 おばさまの言葉が、私の心に重く響く。

 国の女性達の頂点である『王妃』が、蔑ろにされている現状が続けば、国の女性達の尊厳が蔑ろにされる事態を招く。
 アルザス王国では、元々女性の発言権はとても低い。公の場で、女性が発言することすら許されていない国で、女性の頂点である王妃の力が弱まれば、貴族女性の立場も弱いものとなる。

 不甲斐ない私に変わり、公爵夫人として貴族女性をまとめ、導いて来たおばさまの言葉は重い。
 
「わかっています。でも、もう遅いのです。陛下は側妃を娶ることを決めました。私の役割りは終わったのです。私が王宮を去れば、側妃となるアリシア様が、正妃となります。アリシア様であれば、陛下の横に並び立つに相応しい王妃となりましょう。きっと、私が王妃として居続けるよりも、女性が生きやすい世を築いてくださるはずです」

 愛するアリシア様との第二の人生。
 陛下にとっては、長年の想いがやっと叶うのだ。陛下はアリシア様を溺愛するだろう。

 ティアナとは違い……

 王妃の間に軟禁された時に捨てたはずの想いが、胸をジクジクと痛ませる。

「ティアナちゃん、あなたの意思は変わらないのね。陛下と離縁するという意思は」

「はい。今回の件が終わりましたら、陛下に願い出るつもりです。アリシア様も、側妃として嫁ぐよりも正妃として嫁いだ方が、生きやすいでしょうから」

「……そう。まぁ、アリシア嬢が嫁ぐことはないと思うけど」

「えっ? それは……」

「いいのよ。ただのひとり言。わかったわ、ティアナちゃん。あなたの意志が固いのなら仕方ないわね。なら、もう一人、拗れた想いを抱えた男の戯言も最後に聞いてくれるかしら? あらっ、来たわね」

 おばさまの言葉に呼応するかのように、客間の扉がノックされ、タッカー様が許可を得て入ってくる。

「母上、失礼致します。ティアナの準備は終わりましたでしょうか?」

「えぇ、ちょうど今。そうそう、ティアナちゃんには言っていなかったけど、今夜の貴方のエスコート役、タッカーにお願いしたの」

「えっ!? タッカー様が?」

「そうよ。エスコート役がいないと、夜会に参加出来ないじゃない。今夜のティアナちゃんのコンセプトは、謎の未亡人なんだから」

「はっ?……、み、未亡人?」

「そう、謎の未亡人。だから髪飾りを黒にしたのよ。それなら目元を隠していても、不自然じゃないしね。あぁ、いいわ。悲しみにくれる未亡人に、そっと寄り添う貴族子息。彼の初恋は、その未亡人――――」

「――――あぁぁぁ、母上!! 時間がありませんよ! 先に出発なさるのでしょ」

「あらっ……、そうだったわね。もう、こんな時間。ティアナちゃん、あなたはタッカーと一緒に、途中から夜会に参加してね。その方が、目立ちにくいから」

「わかりました、おばさま」

 深々と頭を下げる私に、スッとおばさまが寄り、耳元で囁く。

『ティアナちゃん、これだけは覚えておいて。あなたがティナとしてやってきた人助けは決して無駄ではないわ。あなたには、たくさんの味方がいることを忘れないで』

 ウインクをし、部屋を出ていくおばさまを見つめ、彼女の残した最後の言葉を心の奥底に閉まった。
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