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後編

王妃たる者

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「ティ、ティアナさまぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「ま、ま、って……、死、死ん……、じゃう……」

 ひとしきり泣き、落ち着きを取り戻した頃、部屋へとルアンナが入ってきた。その姿を横目に眺め、未だに私の存在に気づかない彼女に声をかけたのが運の尽きだった。ルアンナと目が合った瞬間、彼女の持っていた水差しが手から落ち、『あっ!』と思った瞬間には、突進してきたルアンナにギュウギュウと抱きしめられていた。

 い、息が、できない。死、死ぬ。

 せっかく現世へ返してもらえたのに、あのヘンテコな神さまの元へと逆戻りは流石に嫌だ。
 バンバンと、ルアンナの背を叩き、なんとか窮状を訴えた私の命は、ハッと腕の力を抜いたルアンナによって救われたのだった。

 あれから数刻。ひとしきりルアンナと再会を喜びあった私は、バレンシア公爵家の夜会での顛末を、言い渋るルアンナを説得し聞き出すことに成功した。

「ほんっと、許せませんわ、あのクソ陛下!!」

「ま、待って、ルアンナ。クソ陛下って……、言い過ぎよ」

「言い過ぎなわけありません!! ティアナ様の危険を全力で守ると言ったから涙をのんで離れたというのに。結局、危険にさらして、あんな男、クソ陛下で十分です!!」

「でも、陛下が助けて下さったのは事実でしょ。それに、軽率な行動を取った私も悪いわけで」

 バレンシア公爵邸で行われた側妃お披露目の夜会は、アリシア様とルドラ様の悪巧みを炙り出すために、陛下が仕掛けた罠だった。

 陛下は以前から、私の命が狙われる可能性に気づいていた。だからこそ、ノーリントン教会での火事の後、王妃の間に私を軟禁し、外との接触を絶った。そのために、ルアンナを始め、私と親しい侍女達を王妃の間から移動したのだと。
 しかし、誤算だったのは、メイシン公爵家の力が思った以上に、強かったこと。まさか、軟禁している王妃を連れ出せるほどのコネクションを有しているとは、陛下も考えていなかったのだ。

 今回のバレンシア公爵家の騒動に、メイシン公爵家が関わっていた事実はない。ノーリントン教会での火事も含め、王妃暗殺計画に隣国オルレアン王国の思惑が絡んでいた可能性は高い。事実、拘束されたアリシア様は、王妃殺害後、オルレアン王国へ亡命する手筈になっていたと尋問で証言した。そして、ブラックジャスミンの毒に関しても、隣国の間者から渡されたものだと。

「――――アリシア様の裁判は、行われるの?」

 プリプリと怒るルアンナに問いかける。

「はい。一ヶ月後に」

「そう……」

 アリシア様は、ルドラ様の関与を否定し続けていると聞く。状況的にも、ルドラ様の関与は疑いようもない事実であるにも関わらず、『ルドラは、私に利用されただけ』と。

 アリシア様は、ルドラ様と隣国へ逃げるつもりがあったのだろうか?
 そんな疑問が頭の中でぐるぐると巡り消えない。

 アリシア様は言った。私の全てが憎かったと。
 陛下に望まれ、貴族女性の頂点に立ち、すべてを手に入れられる立場にあって、それを放棄した私が憎かった、と。

 彼女を狂気に走らせたのは、王妃ティアナだった。
 私の弱さが、一人の女性の人生を狂わせた。その罪が臓腑を焼く。

 上に立つ者の責任。
 王妃の行動一つで、弱き者の人生を狂わすことを、私は本当の意味で理解していなかった。

 まだ、間に合うのだろうか……

 レオン様の愛が、王妃ティアナにあるのであれば、まだ間に合うのかもしれない。

「――――、ルアンナ。メイシン公爵家へお手紙を。公爵夫人イザベラ様にお会いしたいと」

 それから、数日後。
 外出許可がすんなり出たティアナは、ルアンナをお供にメイシン公爵邸へと向かった。





「ティアナちゃん、もう身体はいいの?」

 メイシン公爵邸の客間へと通された私は、公爵夫人イザベラ様に誘われ、庭園の一角に建つ四阿ガゼボへと来ていた。四阿に設られたテーブルの上には、数種のお菓子がのったケーキスタンドが置かれ、着席するとすぐにお付きの侍女が二人分の紅茶を入れ立ち去った。
 四阿の周りは、背の高い生垣に囲まれ外からは中が伺えないような造りになっている。ニコニコと笑みを浮かべ、紅茶を嗜むおばさまは、きっとわかっている。
 私が内密の相談をするためにメイシン公爵夫人の元を訪ねたと。

「えぇ、身体の方はすっかり」

「それは、よかったわ。命の危険に晒されたと聞いて心配しておりましたの。私もティアナちゃんに協力した身だわ。アリシア嬢が、あんな暴挙に出るとは、思いもしなくて……、怖い思いをしたわね」

 おばさまが、今回の件をどこまで知っていたかはわからない。もしかしたら、アリシア様と隣国の間者とのやり取りも掴んでいたのかもしれない。しかし、それを知っていたからといって、おばさまに出来ることはない。
 疑いがあったとしても、確証がなければ動くことはできない。しかも、他家の問題に、公爵家であろうと立ち入ることなど出来ない。あの時点で動けるのは、陛下だけ。側妃内定の夜会を餌に罠を仕掛けていたと、ルアンナから聞いた。誤算だったのは、王妃ティアナが、あの場にいたことだ。

「いいえ、あれは私の責任ですから。おばさまが責任を感じる必要はありません。こちらこそ、私に協力したばかりに、メイシン公爵家にも王城取締官の取り調べが入ったとか。申し訳ありませんでした」

「いいのよ、なにもやましいことしてないもの。上から目線で取り調べを受けるのも、なかなか面白かったわ。最後は、私に尻尾を振るくらいまで調教されて、お帰りになったけど」

 ふふふ、と黒い笑みを浮かべるおばさまを見つめ、心の中で王城取締官の皆さまに手を合わせる。

「――――それでティアナちゃんは、何をお願いに来たのかしら? 元気な姿を見せに来ただけではないでしょ?」

 スッと笑みを消し鋭い視線を投げるおばさまを見つめ、ごくりっと喉が鳴った。
 本題はここからだ。全貴族女性の頂点に立つおばさまの協力なしでは、私の計画は成し得ない。アリシアさまを助けることはできない。

 絶対的な強者の前に立つ、弱き者の気分かしらね。

 口元にわずかな笑みを浮かべこちらを見据えるおばさまの存在感の大きさに身体が震える。背筋を伸ばし、気を引き締める。そして、椅子から立ち上がると、その場に膝をつき、頭を下げた。

「イザベラ様、お願いがあります! 全女性貴族をまとめるあなた様にしか出来ないお願いです」

「ティアナちゃん、あなたが、に土下座してまで叶えたい願いとは何かしら?」

「全貴族女性の署名を集めたいのです。ある法案を代えるために」

「それは、アリシア嬢を助けるためかしら?」

「はい。その法案を代えることができれば、アリシア様を助けることが出来るかもしれません。ですから――――」

「――――、嫌よ」

「えっ……、今なんと」

「だから、そのお願いは聞けないと言ったの。今のティアナちゃんからは」

 イザベラ様の『否』の言葉に、ガラガラと足元が崩れるような錯覚に襲われる。

 お飾りと言われている私では、全貴族女性の署名を集めることなど不可能だ。だからこそ、恥を偲んで頭を下げている。それは、おばさまだってわかっているはずだ。それなのに、突き放された。とうとう、おばさまにも見放されてしまったという絶望が、怒りへと変換される。燃え上がった怒りを抑えられず、見上げた先のおばさまを睨みつけていた。

「なぜ……、なぜですか!」

 もっと早くに、陛下との仲を改善する努力をしていたら。
 お飾り王妃という立場にあぐらをかき、王妃としての責任を放棄していなければ。
 もしを重ねたところで、もう遅い。
 おばさまの協力を得られなければ、アリシア様を助けることは出来ない。
 
 王妃という立場から逃げ続けた自分への罰なのだ。王妃でありながら、陛下に次ぐ権力を与えられながら、その重すぎる立場から逃げ出した私に、誰がついてくるというのだろうか。

 拳を地面へと叩きつけたところで、心に押し寄せる後悔が消えることはない。

「ティアナ様……、王妃とは何ですか?」

 スッと目の前に膝をついたおばさまが、地面を叩き赤く腫れた私の手を優しく握る。

「王妃とは、全貴族女性の頂点に立つ者です」

「そうですね……、ティアナ様。王妃としての自覚を持ちなさい。あなた様は、アルザス王国の全貴族女性の頂点に立つ者なのですから」

 おばさまの言葉が鼓膜を揺らし、脳を震わす。

 わたしは、アルザス王国の全貴族女性の頂点に立つ者。

 地面についていた膝をあげ立ち上がる。そして、未だ目の前に膝をつくメイシン公爵夫人イザベラへと言葉を放つ。

「メイシン公爵夫人イザベラ。アルザス王国王妃の名の下に命令を下します。アルザス王国全貴族女性の署名を、王妃ティアナの名の下に集めなさい」

「王妃ティアナ様。お言葉、しかと受け取りました。早急に対処致します」

 目の前で片膝をつき、差し出された手に忠誠の口づけを落とすおばさまを見つめ、胸がいっぱいになる。

 そして、ゆっくりと立ち上がり『よく出来ました』とでも言っているかのような、おばさまの満面の笑みを見た瞬間、私の涙腺は崩壊した。

 王妃ティアナが真の意味で、アルザス王国全貴族女性の頂点となった瞬間であった。
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