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後編

始まりの場所

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「はい! 出来上がりましたよ」

 鏡の中に映るのは、いつもの私。ハーフアップにした髪には、藍色のリボンが編み込まれている。普段使いが出来るようにと華美な装飾はなされていないが、質の良い小さめの真珠があしらわれたリボンには絹が使われ、美しい光沢をはなっている。
 プレゼントされた藍色のリボンを身につけた私が鏡に映る。頬をほんのりと赤に染め、目を潤ませた私は、レオン陛下からの贈り物に頬を染めているわけではない。
 これはルアンナとのやり取りに、泣きじゃくった後遺症なのだ。レオン陛下を想っての反応ではない。けっして、ない。

 鏡に映るルアンナの生暖かな笑みから、そっと視線を逸らす。

「ティアナ様、そろそろ慣れてくださいましね。あのヘタレ陛下からの贈り物は、隣の部屋に山と積まれているのですから。いちいち反応していては、いつまで経ってもプレゼントの山が減りません」

「わかっているわよ。これでも少しずつ開けているじゃない。ちょっとは減ったでしょ?」

「はぁぁぁ、まさか。全く減っておりません。それどころか、増える一方でございます」

「嘘でしょ?」

「嘘ではございません。ティアナ様が陛下からのプレゼントを開けるスピードより、陛下から贈られてくるプレゼントが届くスピードの方が早いなんて、どういう状況ですか!? プレゼントの一つや二つ、恥ずかしがっていないで、さっさと開ける!」

 そんなこと言われても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 年に数回の豪華なプレゼントよりも、普段使い出来るものがいいと言ったのは確かに自分だ。でも、毎日贈り物をして欲しいとは言っていない。しかも、箱を開けるたびに感じる、私の好みドンピシャの品の数々に、自分のすべてを暴かれているようで、気恥ずかしくて仕方がないのだ。

 意識すればするほど、ドツボにハマっていく感覚に、プレゼントの箱を開ける手が止まる。恥ずかしくて止まってしまう。

 もぉぉ、なんなのよ!! 出来るなら、はじめっからやりなさいよ。このヘタレ!!

 悪態をついたところで、状況が変わるはずもなく、誤魔化すように、声を張り上げた。

「そ、それで、王妃の間への『恋のお悩み相談』お手紙は来ているのかしら?」

 お飾り王妃を脱却しても、侍女ティナによる『お悩み相談』をやめるつもりはなかった。侍女ティナとしての活動があったからこそ、王妃ティアナは救われたのだ。そして、思わぬ副産物をも生む結果を出していた。
 あの短期間で、アルザス王国の全貴族女性の署名を集められた理由。それは、侍女ティナの活動で救われた多くの者たちの協力があったからと、おばさまに教えられた。
 メイシン公爵夫人の力があっても、我が国の全貴族女性の署名を得るには、あまりにも時間がなさすぎた。王妃ティアナから下された無理難題に、惜しみない協力を申し出たのが、派閥を超え手を挙げた『侍女ティナに助けられた者たち』だったという。

 地位や権力ではなく、私自身を評価し、協力を申し出てくれた者たちの多さに、お飾り王妃の立場から逃げ出すために始めた侍女ティナの活動が無駄ではなかったとわかり、救われた。だからこそ、侍女ティナをやめたくない。その望みをレオン陛下は叶えてくれた。王妃としての活動を疎かにしないことを条件に、侍女ティナとしての活動を黙認する。陛下の言葉をルアンナから聞き、心を満たしたのは、とてつもなく大きな喜びと、愛しさだった。

「はい、ティアナ様。謹慎明け初のお仕事ですわ」

 スッと差し出された見慣れた青い封筒。

『恋の相談にのってもらいたい。会って話ができないだろうか?』

 あの日と同じ文面に、心が温かな想いに包まれていく。

 ふふ、あの時は絶望しかなかったのにね。

 ガタッと椅子を倒し立ち上がった私は、小走りで扉へと向かう。
 王妃としてあるまじき不作法に、ルアンナの怒声が飛ぶことはない。
 はやる気持ちを抑え、王妃の間の扉を開け廊下へと出ると、礼拝堂へと向け駆け出す。すれ違う人の驚きの顔が通り過ぎていくが、王妃としての体裁を取りつくろう余裕などない。
 ドレスの裾を掴み、走る。そして、王城の最奥、礼拝堂へと着き、重厚感ある扉を前に、乱れた息を整える。

 ゆっくりと扉を押し、礼拝堂の中へと歩みを進めれば、幻想的な蝋燭の火に照らされた祭壇の前、最前列の長椅子に座る人影が浮かび上がった。

 ドキドキと高鳴る心臓の鼓動をなだめ、歩みを進める。両側にズラリと並べられた長椅子の間をゆっくりと進み、祭壇前へとついた私は、真ん中の通路をはさみ、レオン陛下と反対側の長椅子へと座った。

「レオさま、お久しぶりですわ」

 長椅子に座る『彼』は、護衛騎士『レオ』に変装している訳ではない。金の髪を後ろへと流し、ブリーチズにウェストコートを身に着け、コートを羽織った軽装の『彼』は、誰が見ても普段着の『レオン陛下』だ。

 でも、あえて『レオさま』と呼ぶ。

「レオ……、か。ティアナは、いつから『レオン』と『護衛騎士レオ』が同一人物だと気づいていたのだ?」

「いつからだと思いますか?」

「わからん。バレンシア公爵邸の夜会の時か?」

 レオン様の言葉に首を横に振る。

「じゃあ、いつなのだ? タッカーと王城を抜け出した時か。レオの正体に気づいて、騙すように側にいた俺に嫌悪して、逃げ出した」

「違います。陛下のことを嫌悪したことはありませんわ。ずっと嫌われているとは思って……」

「嫌ってなどいない! 嫌ってなど。
……、愛しているんだ。誰よりも……、出会った時から、ずっと」

 言葉をつまらせ紡がれる愛の言葉が、胸をキュッと痛ませ、切なさとともに去来した感情が、過去の私を慰める。

「えぇ、わかっております。陛下の愛を疑ってなどおりませんわ。謹慎中の三ヶ月で身に染みて理解しました。ですので、これ以上のプレゼントはお控えくださいね」

「いや、あれは……」

 そんな軽口を叩けるくらいには、今の私に恐怖心はない。何を言っても、どんな事をしても、レオン様はきっと笑って受け入れてくれる。
 そんな自信が私の心を軽くする。

「陛下。信じてはもらえないと思いますが、わたくしレオ様が陛下だって、でお会いする前から知っていましたのよ」

「会う前から知っていたって? 護衛騎士レオに扮して、ティアナを礼拝堂に呼び出すより前からか!? それは、あり得ない」

「陛下からしてみれば、あり得ないでしょうね。でもね、あなた様が『王妃の間の侍女』へ送った手紙。青い封筒の手紙を見て気づきましたの。あの手紙、陛下自らの手でお書きになった」

「……ティアナ、俺の筆跡を覚えていたのか」

「はい。結婚する前は、よくお手紙をくださったではありませんか。あの頃の手紙は今でも私の宝物ですわ」

 だからこそ、結婚式で見た陛下の冷たい瞳が忘れられないのだ。ベールをあげた時、笑み一つない冷たい瞳で見下ろされ、私は望まれていないのだと悟った。

 今でも、怖い。
 ただ、レオン様の愛を疑ってはいない。
 たがらこそ、勇気を持って聞くべきなのだ。

 あの日の真実を――――

 私は本当にレオン様に望まれて妃になったのか。そして、私を望んでくれていたなら、なぜ結婚の儀で、あのように冷たい視線を私に投げたのかと。

 そんな疑問が、ずっと頭から離れない。

「陛下、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「なんだい、ティアナ」

 通路を挟んで反対側の長椅子に座るレオン様と目が合う。彼の紫色の瞳が蝋燭の灯に照らされ、幻想的に輝く。優しい色合いを放つ、その瞳には不安げな顔をした『あの日の私』が写っている。

「陛下、私たちの結婚の儀も、この礼拝堂でしたわね」

「あぁ、そうだな」

「なぜ……、なぜあの時。ベールを挙げたとき、冷たい目をして、私を見ていましたの?」

「えっ……、いや。俺の顔を見て恐怖に震えていたのは、ティアナだろ?」

「……はっ?」

 幻想的な光に照らされた礼拝堂内に、長い沈黙がおちる。それは、それは長い沈黙が。

「えっと……、いったいどういう事でしょうか?」

 ポツリ、ポツリとレオン様が話し出したあの日の真実。それは笑い話にもならないほど、愚かな勘違いだった。

 まさか、レオン様が極度の人見知りだったなんて、そんな馬鹿げた話ないわよ!!

 緊張すると顔がこわばる!
 結婚式の時は、ティアナをやっと妻に出来る喜びと結婚の儀という一世一代の大舞台に、緊張が爆発して鬼のような形相になっていたと。
 しかも悪いことに、その鬼のような形相を見た私の顔は青ざめ恐怖に引き攣っていたものだから、レオン様、大きな勘違いをしたそうな。

――――、嫌われていると。

 だから、これ以上私に嫌われないように距離を置いたそうだ。

 馬鹿げている。本当に馬鹿げている。
 その勘違いに翻弄された数年間を思い出し沸々と怒りが湧いてくる。

 この、ヘタレ!!

 もっと早くに歩み寄ってくれていたら……、と考え己の過ちに気づく。

 お互いさまね。

 レオン様も私も似た者同士。
 好きだからこそ臆病になり、過ちを犯した者同士。

 拗らせに、拗らせた関係は、アルザス王国の貴族をも巻き込んで、大きな事件を引き起こしてしまった。

 国を支える両輪としては失格な二人。しかし、そんな二人を支え、敬ってくれる者たちもいる。

 人は過ちを犯すもの。
 だからこそ、分かり合う事が必要なのだ。

「ティアナ、俺はずっと逃げてきた。君に嫌われるのが怖くて、またあの恐怖に見開かれた瞳を見るのが怖くて、目も合わせられなくなった臆病者なんだ。でも、好きなんだ。君が木から落ちてきた、あの日からずっと……、愛しているんだ。だから、お願いだ。もう一度、俺とやり直してくれないだろうか?」

 立ち上がり目の前へと来たレオン様が片膝をつき、私の手を握る。
 真摯に紡がれる言葉の数々に心が震える。

「陛下。私も逃げたのです。あの日向けられた冷たい瞳に絶望し、すべてから逃げ出した。あなたの妻という立場からも、王妃という立場からも。もっと早くに話し合っていたら、もっと深く分かり合えていたかもしれませんね」

 レオン様の瞳の中の『ティアナ』が笑う。
 あの日、恐怖に顔を歪めた『ティアナ』が笑う。

「では、もう一度俺と……」

 人差し指をレオン様の唇にあて、言葉をとめる。

「えぇ、もちろん。やり直しましょ――――、とでも言うと思いまして。わたくし、とぉっても、怒っていますの!」

「ティ、ティアナ!?」

 レオン様に繋がれた手をスッと抜き立ち上がる。そして唖然とした顔で私を見上げるレオン様を睨みつけ言い放つ。

「陛下、まだ許してあげません。もっと精進なさいませ! 女心は、簡単には絆されませんのよ!」

 スタスタと祭壇前の通路を扉へと歩き出した私の耳に、陛下の焦り声が響く。
 扉の前へと着いた私は、クルッと振り返り、長椅子に頭を抱えへたり込むレオン様を見つめ、クスッと笑う。

「ちゃんと反省できるレオン様だから、好きなんでしょうね」

 最後の言葉が静けさに包まれた礼拝堂に響き、消えていく。ガタっと椅子を鳴らし立ち上がったレオン様が振り向く前に扉を開け、回路へと駆け出す。

 美しい花々が咲き誇る庭園から爽やかな風が回廊を吹き抜ける。ドレスを掴み回廊を走るティアナの顔には、晴れやかな笑みが浮かんでいた。
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