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リスクと隣合わせの決意

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廉と別れてから一ヶ月が経った。

元々住んでいたアパートは、何故か解約されておらず、廉と別れた翌日から元通りの生活を送れる様になっていた。

廉のマンションから私の荷物が運び出され、玄関前で彼からアパートの鍵を渡された時、廉は初めから私に逃げ道を用意していた事に気づいた。
彼の僅かな良心が、アパートの解約を踏み止まらせたのかもしれない。

あれから廉とは連絡を取っていない。

彼のいない生活に戻っただけ………

廉に囚われてからの苦しくて、甘かった日々が全て幻だったと思える程、平和な日常。

毎朝100円の食パンを牛乳で流し込み、1時間かけて大学へ通う。イタリアンレストランのバイトを週5で入り、生活費を稼ぐ日々は、あまりに現実的過ぎて、廉の存在自体が幻だったのではと思えてくる。

………タワーマンションの最上階………
やっぱり私とは縁がない別世界。

いつになったら廉の隣に並べるのかと不安な気持ちで押しつぶされそうになり、頭を振る。

突き進むと決めたじゃないか………
廉の隣に並べる素敵な女性になると。
自信のない自分から変わろうと。
誰からも惑わされない強い女性に………

タワーマンションを見上げていた私は、ある決意の元歩き出す。

静香さんとも決着をつけなくては………



『カランカラン』

繁華街の裏路地を抜けた所にある古びた喫茶店。私にとってはお馴染みの喫茶店の扉を開けるといつもの初老の店員に軽く会釈される。

閑散としている店内を見回し、店の一番奥のソファ席に目的の人物を見つけた。

艶やかなストレートのロングヘアを背後に流し、グレーのスーツを着て姿勢よく座る女性。背を向けているため彼女からは私が見えていない。

ゆっくりと近づき、真向かいの席に座る。

「川口静香さんですね。お会い下さりありがとうございます。こうしてきちんとお話するのは二回目ですね。」

「えぇ。ただ、初めてだと思いますわ。
三年前は、私から一方的に話しただけですから………。」

目の前に座る静香さんが余裕の笑みを見せる。彼女の余裕綽々な態度に若干怯みそうになるが、震える手を握り何とか耐える。

ここで負ける訳にはいかない。私が前に進む為にも三年前のやり取りに決着をつけなくてはならない。

廉は静香さんとは昔も今も男女の関係ではないと言っていたが、彼女も同じとは言えない。少しでも廉に気があるならはっきりさせて置かなくてはならない。

「そうですね。一方的に廉と別れる様に言い、立ち去った。彼と別れる選択をしたのは私です。でも、貴方の纏っていた廉と同じ香水の匂いに惑わされて、別れを選んだのも事実です。廉は、貴方と男女の関係は今も昔もないと言いました。
今は遥の恋人なんですよね?
でも、三年前は廉の恋人だったんじゃないんですか?違うとしたら、何故あんな行動を…廉の香りを纏って私に会いに来たんですか?」

三年前、あの香りに惑わされなかったら違う未来があったかもしれないと考えると艶然と微笑み、目の前に座る静香さんに腹が立つ。

「始めに言っておくわ。
三年前も今も廉と男女の関係になった事は一度もないわ。純然たるビジネスパートナーよ。昔はモデルとマネージャーの関係、今は社長と秘書の関係。ビジネスパートナー以外の関係になった事は一度もないわ。」

「じゃあ、何故あんな行動をとったのよ?」

「まだ、学生の貴方には分からないでしょうけど、チャンスをものに出来ず転げ落ちていく人の多いこと。ひとつの選択を間違えるだけで蹴落とされる業界に私達はいるのよ。当時、駆け出しモデルだった廉に訪れた最大のチャンス。トップに立つ事が出来るチャンスが目の前にある事をマネージャーだった私は知っていた。しかし、当時の彼はそのチャンスをふいにしても貴方の手を取ろうとしていたのよ。売り出そうと考えているモデルに女性スキャンダルはご法度。
そんな事は廉だって承知していた。しかし、彼は貴方と別れるつもりはなかった。
だから、謀ったの………
遠距離恋愛をしていた貴方は、都会から廉の香りを纏った私が現れれば、廉と私が恋仲だと誤解するだろうってね。
そして貴方は自ら別れを選んだ。
私の思惑通りに事は進んだわ。」

廉が言っていた事は正しかった。
全て私の誤解だったのだ。

「あの当時…真実を知っていたら………
きちんと廉と話していたら………」

………後悔だけが胸に残る………

「当時、貴方がその事実を知って何かが変わったのかしら?
高校生だった貴方と貴方しか見えていなかった廉が話し合ったところで、結局別れを選択なんて出来なかったんじゃないかしら。ズルズルと関係が続いて、そのうち関係が明るみに出て、廉はスターの階段から転げ落ちる。一度干された者が再び脚光を浴びる事なんてほぼ無いわ。
高校生だった貴方に、そんな廉を支えられるだけの気概があったかしらね。」

確かに高校生だった私に廉の将来を考え身を引くなんて芸当が出来たとは、到底思えない。静香さんが言う様に、ズルズルと関係を続け、廉の未来も全て奪っていたのだろう。

「全て廉のためだったと言えば聞こえはいいけど、廉をトップモデルに押し上げる事で、マネージャーとしてのキャリアを積みたかった私の出世欲に貴方を巻き込んだ。まぁそのしっぺ返しを食らったのも事実だけど………
まさか貴方が遥とのキスを見て廉と誤解するなんてね。今の私の立ち位置なら上手く隠し通せると思ったのに………。
貴方と遥の写真が雑誌に載ってしまった。売り出し中のアイドルの女性スキャンダルなんてスクープされたら最後だわ。彼は近々BRADMOONを脱退する。
彼は芸能界から干される事となるわね。」

「………うそ………
遥は…遥は芸能界から消えるんですか?」

………私のせいだ………
もっと早くに、廉に聞いていたら………
静香さんとの関係を問い質していたら………

廉に静香さんが本命だと言われるのが怖くて、幸せな日々が消えてしまうのが怖くて何も聞かなかった私が全部悪い。

廉と私の人生を狂わせたのが静香さんでも、遥の人生を狂わせたのは間違いなく私だ。

「………どうしよう………
遥の人生をめちゃくちゃにしてしまった。」

「そうね…私と貴方が彼の人生を壊してしまったのよ。スターの階段を潰した。
………いいえ…貴方が遥に関わらなければ全て上手く行ったかもしれないのに。
貴方があんな誤解をしなければ隠し通すのは容易かった。」

遥は私を恨んでいるだろう………
全ては自分の気持ちを押さえ込み、勝手に誤解して、諦めて、廉との話し合いをしなかった私のせいなのだ。

「………貴方を責めたところで仕方ない。元はと言えばタレントに手を出した私が一番悪い事くらい分かっている………
遥に恋してしまった私が一番タチが悪い。三年前、ビジネスの為と貴方達を別れさせたくせに、商品に手を出したツケがまわって来ただけ。
まぁ、全力で遥の今後を守るため動くつもりだけど。どうなる事やら………
という訳だから、貴方には遥の周りをチョロチョロして貰いたくないの。
貴方が居ると消える火も消えなくなっちゃうから。」

理不尽な物言いに腹も立つ。しかし、廉との話し合いを避け、私達のゴタゴタに遥を巻き込んでしまったのも事実だ。





………こんな自分を変えたい………

嬉しい事も辛い事も悲しい事もきちんと向き合える強い自分になりたい。

その為に廉との別れを選んだのだから。

「静香さん、最後に聞いて良いですか?
今までに一度も廉に恋愛感情はなかったのですか?」

「………難しい問いね………
廉に恋愛感情があったかと言われたら、あったのでしょうね。三年前、貴方と廉を別れさせた時に感じた優越感は、美咲さんから廉を取り戻した喜びだった。
スターへの道を捨て、貴方を選ぼうとしていた廉の貴方に対する愛に嫉妬していた。しかし、それは遥に対する愛とは別物ね。親が子に向ける愛じゃないかしら。母親が子供の彼女に嫉妬する感覚と似ている気がするわ。親離れする子供の態度が寂しかったのと同じ。
はっきり言って廉と恋人になるなんて嫌よ。あんなストーカー気質の男………
付き合ったら最後、全てを監視されそうで息が詰まるわ。
………あらっ…ごめんなさい。
そんな粘着男の事が好きだったわね。貴方は。」

「………はは…まぁ………」

憐みを含んだ瞳で見つめられ渇いた笑いが溢れる。

「でも…廉と別れたんでしょ?
最近の廉の沈んだ様子を見ればわかるわよ。とうとう廉に愛想尽かしたのかしら?」

「違います。あえて離れる事にしただけです。」

「そう。貴方も今回の事で色々と思うところがあったんでしょう。
貴方と廉がどうなろうと全く興味はないけど………」

そんな言葉を言い捨てた彼女が、もう話は終わりとでも言うように、視線を外へ向けため息を吐く。

「静香さん…貴方がわたしと廉の関係をめちゃくちゃにした事実は変わりません。しかし、何も聞かず別れを選んだ私にも責任があります。そして、私は貴方の愛する遥の人生をめちゃくちゃにした。
お互いの存在が憎い。今のままではやり切れない思いを抱え前に進めません。」

「………何が言いたいの?」

私の鬼気迫る勢いに、静香さんの喉がゴクリと鳴る。

「一発ずつ殴って終わりにしましょう………」

「えっ⁈」

『バシン』

私は静香さんの言葉を聞く前に手を挙げ振り下ろした。
小気味良い破裂音が店内に響く。

「やったわね………」

『バシン』

………痛いっ………

間髪入れず振り下ろされた手に頬を打たれジンジンと痺れる様な痛みが走る。

この痛みが私の罪………

私はゆっくりと立ち上がると静香さんに向かい一礼する。

「廉のことよろしくお願いします。」

顔を上げた私の目に静香さんの笑みが飛び込んでくる。

「いいの?私が廉の側にいて………
貴方から彼を奪うかもしれないわよ。」

「貴方が廉を私から奪っても必ず奪い返しますから。」

静香さんを見据え不敵に笑む。
もう弱い自分には戻らない………





「そうそう。ところで、何故廉の車で遥とキスなんてしていたんですか?」

「あぁ…あれ。カモフラージュよ。
遥の車はパパラッチに知られているけど、廉の車は知られていない。
あの地下駐車場は、住人しか入れない様にセキュリティが門扉にあるでしょ。遥との密会に最適だったのよ。あの中まではパパラッチは入れないしね。それに、廉と遥は背格好も似ているでしょ。だから、万が一バレても幾らでも誤魔化しがきくと思ってたけど甘かったわ。
まさか、貴方が見ていたなんて思わなかった。」

「そうですか………本当最低………」

「あらそう?これくらいしなきゃ、あの業界じゃ生き残れないわよ。みんな女狐ばっかり。人生楽しまなきゃ損でしょ。」

………やっぱり静香さんとは相入れないわ。

そんな静香さんが廉の側にいるリスクもわかっている。

でも、今は彼の側にいる時ではない。

廉を信じる………

私が誰にも惑わされない強い女性になるまで待ってくれると………





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