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第4章

乙女ゲームの矯正力

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 罠だとわかっている……

 リンベル伯爵家を飛び出したアイシャは、辻馬車に乗り、街外れへと向かっていた。

 リアムを心に残しながらキースのプロポーズを受けたヒロインの辿たどる結末は、バッドエンドだった。

 もし、乙女ゲームのヒロインと同じ運命を辿るなら『アイシャ』は死ぬ運命なのだろう。自分が死ぬことで、グレイスは元のヒロインの立ち位置に戻り、存在しない『アイシャ』はこの世界から消え去る。

 これが、この世界の矯正力なのかもしれない。

 ただ、死ぬ運命だと分かっていても、リアムを見捨てる選択だけは出来なかった。

 彼は私の特別な人……

 本当イヤになる。
 ご丁寧に地図まで同封してあるなんてね。

 グレイスとの決戦を前に、アイシャは緊張からか、持っていた鞄を無意識に撫でる。

 最期まで、リアムから貰った短剣を使う運命になるなんて皮肉ね……

 グレイスと刺し違える事になったとしても、リアムを助ける!

 決意を胸にアイシャは、街外れにあるち果てた屋敷へと先を急いだ。






『ギィィィ……』

 朽ちかかった扉はいとも簡単に開いた。そっと家の中を覗き、誰もいない事を確認したアイシャは、足元に気をつけながら、廊下をゆっくりと進む。

 外にも中にも、見張り一人いないなんておかしくないかしら?

 侯爵家令息を監禁しているのだから、見張りが大勢ウロウロしていると考えていたアイシャだったが、人の気配すらしない邸内に違和感を覚える。

 これもグレイスの仕掛けた罠なのだろうか?

 しかし、たとえ罠だったとしても、アイシャの足を止める理由にはならない。元より覚悟の上だ。

 壁伝いに慎重に歩みを進めるアイシャの目に、廊下の奥で揺らめく光が見え、ボソボソと話す人の声が耳に入る。

 とりあえず、光が見える方へと歩みを進めれば、徐々に話し声も大きくなっていく。

「リアム様、悪く思わないでくださいな。貴方が、この世界のヒロインであるわたくしではなく、アイシャなんていうモブですらない女を選んだのが、間違いだったのよ」

「グレイス、アイシャに何をするつもりだ? まさか、傷つけるつもりなのか!?」

「いいえ。わたくし自ら手を下すなんておぞましい。あの女には、貴方の命と引き換えに、死を選んでもらうわ」

 やはり、シナリオ通りだ。

 アイシャが壁の影に隠れ、中の様子を伺へば、椅子に縛られ動けないリアムと、そんな彼のあごを掴み上向かせ、話しかけるグレイスが目に写った。そして、彼女の仲間と思しき数名のゴロツキと真っ黒な燕尾服えんびふくをまとった執事と思われる男が、二人の様子を後方から眺めている。

(まだ、気づかれてはいないようね……)

 彼らからアイシャは死角となり、見えていない。

 グレイスは乙女ゲームのシナリオ通り、アイシャに死を選ばせようとしている。

 このまま無様に死ぬわけにはいかない。

 今から街の憲兵の詰め所に行き、事情を説明し助けを求めるのはどうだろうか?
 幸い、リアムはまだ死にそうには見えない。

『一人で来るように』

 手紙の内容が、頭をよぎる。

 万が一、憲兵を連れて来た事がグレイス側にバレたら、リアムの命が危険にさらされる。

 一人でどうにかするしかないのか。

 アイシャは、護身用の短剣を鞄から取り出すと、ゆっくりと歩みを進める。

「その汚い手をリアム様から外してくださるかしら。お約束通り、来ましたわ」

 突然、室内に響いた声に、パッと顔を上げたグレイスが辺りを見回しアイシャを見つけると、ニタァと笑みを浮かべる。

「あの手紙を読んで本当に来るなんて、よっぽどリアム様を愛しているのね。初めましてアイシャ様。お話しするのは、初めてですわね」

 グレイスが周りのゴロツキに合図を送ると、彼らとアイシャとの間合いが徐々に詰められていく。

「近寄らないでくださいね。わたくし、これでも騎士団で剣の修行をしていましたの。下手に近づいて怪我なんて、したくありませんでしょ」

 アイシャの脅しに、間合いを詰めていたゴロツキの足が止まる。

「グレイス様、お約束通り一人でこの屋敷に来ましたわ。リアム様を解放なさいませ。貴方の目的は、わたくしでございましょ?」

「ははははははは……」

 グレイスの高笑いが室内に響く。

「貴方、バカですの。本気でリアム様を解放すると思っているなんて、バカ過ぎじゃないかしら。解放する訳ないじゃない」

 狂気にも似た笑い声をあげていたグレイスの表情が瞬時に変わり、憎悪を宿した瞳でアイシャを睨む。

「私はねぇ……、アイシャも憎いけど、リアムも憎いのよ。ヒロインである私を陥れたのよ。私と婚約したのも、ドンファン伯爵をだまし、私が『白き魔女』ではない証拠を掴むため。そのせいで、ノア王太子にまで疑いを持たれる結果になってしまった。私は、白き魔女なのよ。この乙女ゲームのヒロインたる白き魔女なのよ! だから、予知を完結させねばならない」

 くくっ、くくくっと不気味な笑いをこぼし、呪詛のような言葉を放つグレイスは気づいていない。彼女の言葉を理解している者が、この場にはいないという事を。

――――アイシャを除いて。

 沈黙が支配する室内に、グレイスの言葉だけが響く。

「今までだって、全てが私の思い通りだった。私がデタラメを言ったとしても、必ず予知は当たったのよ。だから、今回も成功するわ……
愛する二人は、ここで死ぬ運命なの。ヒロインたる白き魔女が予知したのだから、運命がくつがえる事はない。さて……、どちらから殺して欲しい?」

 狂気をはらんだ目をして、短剣を握ったグレイスがリアムの首筋に刃を当てる。

「貴方の愛するリアムが死ぬ所が先に見たい? そうねぇ、貴方が自ら命を絶つなら、リアムは後からゆっくり殺してあげるわよ」

 常軌を逸したグレイスの高笑いだけが、静けさに包まれた部屋に響きわたっていた。


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