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5話「できる子と、できない私」
しおりを挟む今日は、外に出る日だった。
そう聞いた時点で、
胸の奥が少しだけ、ざわっとした。
外は、広い。
知らない匂いがする。
知らない人がいる。
でも、もう赤ちゃんみたいに、
ただ抱っこされるだけじゃない。
(……あるく)
歩いて、行く。
それが、
少し、怖くて。
少し、楽しみだった。
***
家の外は、
やっぱり家の中とは違う。
土の匂い。
草の匂い。
どこか、金属っぽい匂い。
(……まち)
前世の“街”とは、全然違う。
石で舗装された道は、
ところどころ欠けていて、
建物は低く、色もばらばらだ。
それでも、
人の声は、ちゃんと生活の音だった。
「おはよう」
「今日はいい天気だな」
挨拶が、行き交う。
(……やさしい)
急かされる感じがない。
私は、母親の手を握って歩く。
父親は反対側。
(さんにん)
この形が、
今は、一番、落ち着く。
***
少し歩いたところで、
母親が立ち止まった。
「こんにちは」
声をかけられた相手は、
同じくらいの年の子を連れた女性だった。
(……こども)
その子は、
私より少し背が高い。
髪は短くて、
目がくりっとしている。
「この子も、二歳?」
「ええ、そうなの」
(……おなじ)
同じ。
その事実だけで、
胸の奥が、きゅっとした。
「ほら、挨拶して」
言われる前に、
その子は、ぺこっと頭を下げた。
「こんにちは」
(……しゃべった)
はっきり。
迷いなく。
「り、りぃ……」
私も名前を言おうとして、舌がもつれた。
「リィナ、よ」
母親が静かに補足する。
(……いえなかった)
自分で、言えなかった。
そのことが小さく、でも確かに残った。
***
その子が、地面に落ちていた小石を拾った。
ただの小石。
でも、その子はじっと、それを見つめて
「……あ」
次の瞬間
小石の表面がふわっと、淡く光った。
(……え)
一瞬だけ。
本当に、一瞬。
でも、見間違いじゃない。
「すごいね」
周りの大人は、特に驚いた様子もなかった。
「最近、よくやるのよ」
そう言って、その子の母親は笑った。
(……あたりまえ、みたい)
その空気が、胸にすとんと落ちる。
前世の常識が、
音もなく、崩れた。
光る石。
理由もなく。
(……まほう)
その言葉が浮かんで、
でも、理解は追いつかない。
私は、
ただ、その光を見ていた。
“できる”ということを。
***
家に戻ってからも、
あの光が頭から離れなかった。
(……できる子)
同じ年。
同じくらいの背。
でも、できることが違う。
私は、まだ何もできない。
そう思うと、
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
***
夕方。
母親が、台所でいつものように料理をしている。
私は、低い椅子に座ってその様子を見ていた。
(……みる)
鍋から匂いが変わっていく。
母親が指先で少しだけ味を見る。
(……そう)
私は、そっと真似をした。
鍋には触れない。
代わりに、自分の器の中身を、
小さな指でつつく。
「りぃ?」
母親が気づく。
私は指についたものを、ほんの少し舐めた。
(……あ)
味が変わった。
ほんの少し。
でも“さっきより、好き”だ。
偶然かもしれない。
気のせいかもしれない。
でも。
(……できた)
胸の奥がふわっと、温かくなる。
父親が後ろから笑った。
「お、料理人か?」
(……ちがう)
違う。
でも、自分で何かをした。
それは、
今日見た“光る石”みたいに
分かりやすくはないけど。
***
夜。
布団の中で、今日のことを思い返す。
できる子。
できない私。
でも。
私は、
見ている。
覚えている。
真似をしている。
(……いつか)
私の“できる”はきっとゆっくり育つ。
そう信じられるだけのものが、
今日は確かにあった。
その感覚を胸に抱いたまま、
私は眠りに落ちた。
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