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8話「できないまま、いっしょに」
しおりを挟むその日は家に来客があった。
「少しの間だけね」
お母さんがそう言って、
朝からいつもより丁寧に家を整えていた。
(……だれ)
知らない人が来る。
それだけで胸の奥が少しざわつく。
理由は分かっている。
前世の記憶だ。
空気を読む。
失敗しない。
嫌われないようにする。
(……いらない)
ここでは、それをしなくていい。
そう分かっているのに、
身体の方が先に固くなる。
***
やって来たのは、
市場で見かけたことのある女性と、
その子どもだった。
年は私より少し上。
(……こども)
無意識に距離を測ってしまう。
お母さんたちが挨拶を交わす。
私はお母さんの後ろに、
半分隠れるように立っていた。
(……みないで)
見られたくない。
比べられたくない。
***
その子は、家の中をきょろきょろと見回していた。
「ここ、ひろいね」
(……そう?)
でも新しい場所は、それだけで特別なんだろう。
「ねえ、あそぼ」
唐突にそう言われた。
(……え)
心臓がドクっと鳴る。
遊ぶ、という言葉の後ろに、
いくつもの“できない”が浮かぶ。
走る。
投げる。
追いかける。
(……むり)
「……りぃ、あそぶ」
口から出た言葉は、
自分でもはっきりしなかった。
でもその子は、近くにあった木の積み木を指さした。
「これ!」
(……つむ)
積み木なら。
私が小さくうなずくと、その子はうれしそうに笑った。
***
最初はうまくいかなかった。
積み木を置く。
手が、少し震える。
――ガタッ
崩れる。
(……やっぱり)
胸の奥がきゅっと縮む。
その子は一瞬こちらを見て、
でも何も言わなかった。
自分で積み直す。
(……いわない)
それだけで、息が少ししやすくなる。
私は次はもっと低い位置に置いた。
ぐらぐら。
でも、今度は崩れなかった。
(……できた)
ほんの、一段。
「つぎ、わたしね」
その子は自然に順番を主張した。
奪われない。
急かされない。
私は小さく頷いた。
***
しばらく、積んでは崩し、
また積んで。
そのうち、その子がぽつりと聞いた。
「りぃ、あるくの、ゆっくり?」
(……きた)
胸の奥が、一瞬冷たくなる。
言われ慣れている言葉。
でも、慣れてはいない。
前だったら、
黙ってやり過ごした。
やり過ごせば、
その場は、終わるから。
でも。
黙ったままだと、
自分がどんどん小さくなる。
それを、もう知っている。
「……ゆっくり」
私はそう言った。
言い訳も、笑いも、つけなかった。
ただの事実。
「ふーん」
その子は少し考えてから、
「じゃあ、すわってあそぼ」
そう言ってまた積み木を置いた。
(……え)
拒まれなかった。
直されなかった。
頑張れとも、
できるようになれとも、
言われない。
ただ、合わせられただけ。
胸の奥がじんわり温かくなる。
***
昼が近づき、お母さんたちは台所に立った。
「一緒に食べましょう」
そんな声が聞こえる。
私は、いつもの椅子に座った。
来客用の皿が並び、匂いが広がる。
油。
野菜。
少し、甘い。
(……すき)
お母さんが、私の前に小さな器を置いた。
「今日は、りぃの好きそうな感じよ」
私は、黙って一口食べた。
(……うん)
向かいの子が見ている。
「それ、おいしい?」
(……どうする)
私は、もう一口食べてから言った。
「……あったかい」
正確じゃない。
でも、嘘じゃない。
「たべたい」
その子が言う。
大人たちが、少し笑って皿を分けた。
(……おなじ)
同じものを、同じ場所で。
***
食べながら、その子はよく話した。
私は、聞いていることの方が多かった。
「りぃは?」
聞かれて、少し考える。
できることは、すぐには浮かばない。
でも。
私は、自分の器を指さした。
「……これ、すき」
その子は、一瞬きょとんとして、
それから笑った。
「いっしょ!」
(……いっしょ)
その言葉が、胸に静かに残る。
***
帰り際。
「また、あそぼ」
その子はそう言った。
私は少しだけ迷ってから、
「……うん」
ちゃんと、頷いた。
***
夜。
布団の中で、今日のことを思い返す。
できないことを言った。
それでも、一緒にいられた。
(……だいじょうぶ)
全部じゃない。
でも、
できないままでも、
関われる。
その感覚が、
確かに残っている。
台所から、
昼の匂いが、
ほんのり漂ってきた。
私は、それを感じながら、
静かに眠りに落ちた。
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