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SS「クリスマスの小さな猫に、祈りをこめて」
2 聖夜の客
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栗間の脳裏に、あの日の記憶が甦る。
二年前のクリスマスだった。
その時、栗間は『Poche d'amour』ではなく、繁華街にほど近いパティスリーで修行していた。比較的大きな店で、オーナーを含めパティシエは数人いたが、それでもクリスマスはてんてこまいだった。
予約のケーキの他、店売りのケーキもプリンもタルトもよく売れて、営業時間前にショーケースは空になってしまった。残っているものといえば、焼き菓子と、栗間が作っていたチョコレート菓子だけ。
パーティー用にホールケーキを買っていく人ばかりだからと言って、なにもチョコレート菓子だけあからさまに売れ残らなくてもいいだろうに、と栗間は嘆息した。
「子どもにも人気が出そうな可愛い猫ちゃんにしたのになぁ」
一番の下っ端だった栗間は、店じまいをした後に掃除を一任され、一人店に残っていた。苦行から解放された先輩たちの楽しそうな声を聞きながら、栗間はモップを握っていた。
クリスマスを一緒に過ごす相手が特にいない栗間は、のんびり片付けて帰ろうとマイペースに考えていた。
その時、カランとドアベルが鳴った。遠慮がちな音だった。
(しまった。プレートを「CLOSED」にしてなかったか?)
音の後にそっと入ってきたその人の姿を見て、栗間は息を呑んだ。
『痩身』――そんな言葉すら生ぬるいと思うほどに痩せ細った女性が、そこにいた。頬はこけて青白く、髪は艶を失ったまま伸び放題だ。おまけに薄手のコートに、薄い素材のスカート。素足のまま、ボロボロのスニーカーを履いていた。おおよそ真冬の装いとは言えない格好だった。
唇は乾ききり、ぶるぶる震えているばかりで、何も言おうとしない。店内を見回すばかりで、何かを言おうとしては黙り込んでいる。
「あの……どうか、されましたか?」
怪しいと言えばそうなのだが、栗間はこの女性が、何か企みがあって入ってきたようにはどうしても見えなかった。むしろ、気後れしているように見えたのだ。
栗間が尋ねても尚、女性は視線を落として何かぼそぼそと声を漏らすばかりだ。
「あの……もしかして、クリスマスのケーキをお探しですか?」
女性は、おずおずと、小さく首を横に振った。
「違うんですか? では、何をお探しで……」
女性は、意を決したようにポケットに手を突っ込み、何かを握りしめていた。握りしめて取り出したそれは、百円玉が二枚。
硬貨を載せた手のひらが、さらにぷるぷると震えた。
「あの……これで買えるお菓子……ありますか?」
「え……」
失礼とわかっていながらも、栗間は不安げに呟いた女性の顔をじっと見つめてしまった。何日もまともな食事をしていない者の顔だ。
今、女性が持っているお金ではこの店のケーキは買えない。それに、ケーキよりもコンビニなどで売っているおにぎりなどを買った方が、この女性のためにはいいんじゃないだろうか。それなのに、何故、わざわざパティスリーに足を運んだのだろうか。
様々な疑問が、数秒の間に栗間の頭の中を駆け巡った。だが、どれも口にするのは憚られた。
「ダメ……ですよね」
栗間の沈黙を否定と捉えたのか、女性はガッカリして俯いてしまった。栗間は自分がとった反応が女性を傷つけたと気づき、慌てて手を振った見せた。
「いえいえ、違います! ありますよ、買えるお菓子!」
そう言うと、栗間はショーケースとは別のコーナーへ向かった。そこには焼き菓子などの日持ちするお菓子が置いてある。ケーキなどは売り切れてしまったが、こちらはまだ僅かに売れ残りがあった。その中に、女性の提示した金額に見合うものが、あったのだ。
「はい。こちらなら、お買い求め頂けますよ」
栗間は、そっと手にしたものを見せた。
小さな袋に入ったチョコレートだ。動物の形に作ってあり、袋ごとに違う動物が入っている。象、コアラ、鳥、犬、兎……。それらを見た瞬間、女性の目にほんの少し光が宿ったように見えた。僅かに感嘆の息を漏らし、栗間が見せた動物を一つ一つ眺めた。
そして、おずおずと一つを手に取った。
「これ……」
「猫ちゃんに、なさいますか?」
尋ねると、女性は小さく、だがしっかりと、そしてほのかに嬉しそうに頷いた。
二年前のクリスマスだった。
その時、栗間は『Poche d'amour』ではなく、繁華街にほど近いパティスリーで修行していた。比較的大きな店で、オーナーを含めパティシエは数人いたが、それでもクリスマスはてんてこまいだった。
予約のケーキの他、店売りのケーキもプリンもタルトもよく売れて、営業時間前にショーケースは空になってしまった。残っているものといえば、焼き菓子と、栗間が作っていたチョコレート菓子だけ。
パーティー用にホールケーキを買っていく人ばかりだからと言って、なにもチョコレート菓子だけあからさまに売れ残らなくてもいいだろうに、と栗間は嘆息した。
「子どもにも人気が出そうな可愛い猫ちゃんにしたのになぁ」
一番の下っ端だった栗間は、店じまいをした後に掃除を一任され、一人店に残っていた。苦行から解放された先輩たちの楽しそうな声を聞きながら、栗間はモップを握っていた。
クリスマスを一緒に過ごす相手が特にいない栗間は、のんびり片付けて帰ろうとマイペースに考えていた。
その時、カランとドアベルが鳴った。遠慮がちな音だった。
(しまった。プレートを「CLOSED」にしてなかったか?)
音の後にそっと入ってきたその人の姿を見て、栗間は息を呑んだ。
『痩身』――そんな言葉すら生ぬるいと思うほどに痩せ細った女性が、そこにいた。頬はこけて青白く、髪は艶を失ったまま伸び放題だ。おまけに薄手のコートに、薄い素材のスカート。素足のまま、ボロボロのスニーカーを履いていた。おおよそ真冬の装いとは言えない格好だった。
唇は乾ききり、ぶるぶる震えているばかりで、何も言おうとしない。店内を見回すばかりで、何かを言おうとしては黙り込んでいる。
「あの……どうか、されましたか?」
怪しいと言えばそうなのだが、栗間はこの女性が、何か企みがあって入ってきたようにはどうしても見えなかった。むしろ、気後れしているように見えたのだ。
栗間が尋ねても尚、女性は視線を落として何かぼそぼそと声を漏らすばかりだ。
「あの……もしかして、クリスマスのケーキをお探しですか?」
女性は、おずおずと、小さく首を横に振った。
「違うんですか? では、何をお探しで……」
女性は、意を決したようにポケットに手を突っ込み、何かを握りしめていた。握りしめて取り出したそれは、百円玉が二枚。
硬貨を載せた手のひらが、さらにぷるぷると震えた。
「あの……これで買えるお菓子……ありますか?」
「え……」
失礼とわかっていながらも、栗間は不安げに呟いた女性の顔をじっと見つめてしまった。何日もまともな食事をしていない者の顔だ。
今、女性が持っているお金ではこの店のケーキは買えない。それに、ケーキよりもコンビニなどで売っているおにぎりなどを買った方が、この女性のためにはいいんじゃないだろうか。それなのに、何故、わざわざパティスリーに足を運んだのだろうか。
様々な疑問が、数秒の間に栗間の頭の中を駆け巡った。だが、どれも口にするのは憚られた。
「ダメ……ですよね」
栗間の沈黙を否定と捉えたのか、女性はガッカリして俯いてしまった。栗間は自分がとった反応が女性を傷つけたと気づき、慌てて手を振った見せた。
「いえいえ、違います! ありますよ、買えるお菓子!」
そう言うと、栗間はショーケースとは別のコーナーへ向かった。そこには焼き菓子などの日持ちするお菓子が置いてある。ケーキなどは売り切れてしまったが、こちらはまだ僅かに売れ残りがあった。その中に、女性の提示した金額に見合うものが、あったのだ。
「はい。こちらなら、お買い求め頂けますよ」
栗間は、そっと手にしたものを見せた。
小さな袋に入ったチョコレートだ。動物の形に作ってあり、袋ごとに違う動物が入っている。象、コアラ、鳥、犬、兎……。それらを見た瞬間、女性の目にほんの少し光が宿ったように見えた。僅かに感嘆の息を漏らし、栗間が見せた動物を一つ一つ眺めた。
そして、おずおずと一つを手に取った。
「これ……」
「猫ちゃんに、なさいますか?」
尋ねると、女性は小さく、だがしっかりと、そしてほのかに嬉しそうに頷いた。
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