その傷を舐めさせて

雪村こはる

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近付く距離と遠ざかる距離

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「あ、ありましたよ!」

「ねぇって。お前、音痴だろ」

「なーっ! そんなことないですよ! 聴けばわかります!」

 夜天は腕を組んで考えるが、やはりわからなかった。全く聞いた事のないメロディにきっと色んな曲を聴いている内に曖昧な記憶が混じり合ってしまったんだろうと思えた。
 それでも聴けばわかるのなら、聴かせてやった方が早いか……。そう思う。

 コンサートで聴いた曲は、全て頭の中に入っている。記憶力のいい夜天はそれを記憶していた。人気のJ-POPならファンがインターネットにセットリストを載せていたりするが、グレン・ブラウンのファンがわざわざそんなものをあげていたりもしなかった。
 コンサートが終われば公式サイトで紹介されるだろうが、今はまだツアー中。夜天も記憶を頼りにするしかなかった。

 夜天はその場に立ち上がると、リビングの一角へと足を運ぶ。リビングにはバーチャルアシスタントAI技術を持った現代的なスマートスピーカーが設置されていたが、それとは反してアンティークな蓄音機が置かれていた。
 蓄音機の形を元に現代の手法で作られたレコードプレイヤーも存在するが、夜天は古い時代を音楽家と共に生きた蓄音機を好んで使っていた。
 夜天はグレン・ブラウンの演奏だけでなく、奏者が誰であれクラシックは全般嗜む。作曲家が手がけた古いレコードを聴くのも好きだった。今となっては入手困難なレコードもコレクションとして多く並んでいた。
 この中には夕映が目的とする曲が必ずあるはずだった。

 指でなぞり、1曲ずつ曲名を辿る。おそらくこれだろう。いや、こっちか。いいや、これかもしれない。なんせ夕映が口ずさむメロディーは聴いたことがないのだからどれなのかわからない。

「聴けばわかるなら聴かせてやるけど」

「え?」

「何となく目星がついてるものがある」

「え!? わかったんですか?」

「わかんねぇって言ってるだろ。お前音痴なんだから」

「だ、だから違いますよー!」

「ふ……。レコードいくつかあるから家に来れば聴かせてや……」

 夜天はそこまで言ってはっと顔を上げた。

 あ……やべ。何も考えてなかった。コイツ、旭のこと好きだったんだっけ。家に呼ぶのはさすがにまずいか。

 そう思った夜天だったが「お邪魔してもいいんですか!?」と嬉しそうな夕映の声が聞こえ、夜天はガクンと項垂れる。

 本当にコイツは……俺以上になんも考えてねぇな。

「あー、いいけど。お前、旭は大丈夫なのかよ」

「え? 何がですか? 荻乃先生と関係ありますか?」

「いや、仮にも男の家に来るわけだから」

「あ……。てっきり夜天さんが言ってくれたので、友達ならそれが普通なのかもしれないと思ってしまいました……」

 ポツリと言った夕映の言葉に夜天はそっと目を見開いた。目線を下げ、口元を手で覆う夜天。

 マジか……。コイツ、俺のこと信用し過ぎだろ。いや、別に俺だってやましいこと考えてるわけじゃねぇし。つーか、コイツにそんな気起こんねぇし。

 そう心の中でブツブツと呟きながら、「まぁ、普通っちゃ普通だけど……」と言いにくそうに言った。

「あ、それなら行きます」

 来んのかよ。
 夜天はガシガシと頭を掻きながら「んじゃ、来週な。平日は無理だから」と言った。
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