鮮明な月

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第十二章 愚者の華

103.

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三月、翌日に卒業式を控えて最後の予行練習を終えた。両親のいない自分には叔父が血縁の保護者ではあるが、殆ど国内にいない源川秋晴にはそこまでの期待はしていない。

本当は恭平が来てくれたらなぁ

とは言え流石に卒業式に来て欲しいとは思いながらも、実質は無理だと理解している。そんな訳で仁聖は、帰宅を告げながらそっと書斎のドアを開いた。
今朝家を出る時点で仕事の追い込みに入っていた恭平が、自分にかけた「いってらっしゃい」の言葉と共に書斎に入ったのは知っている。ところが書斎の恭平の姿は予想に反してパソコンの前には無く、ソファの方に視線を向けた仁聖は思わず苦笑を浮かべた。スルリと室内に音をたてずに足を入れた仁聖が、ソファーで眠り込んでいる姿をそっと覗き込む。
滑らかな白い肌に短くなった艶やかな黒髪、長い睫毛。以前に比べて恭平の目の下に隈が出来るような事は格段に減っていて、奮いつきたくなる様な甘い香りを漂わせた柔らかい薄紅の唇が規則正しい吐息を零している。

全く……相変わらずココで寝ちゃうんだから…。

それでも以前仁聖が見ていたよりも、ずっと穏やかで子供の様にあどけない寝顔に暫く見入ってしまう。一緒に眠れば幾分魘される事はあるが、それも以前に比べると直ぐ治まる程度に変わりつつある。胸の上に無操作に置かれた左手には、律儀な位に外さないでくれるお揃いの指輪が光る。

ああ……綺麗だなぁ……前よりずっと綺麗。

ふっとほんの一年前にはこうしてそっと寝顔を見つめて、口付けるだけが自分にできる唯一のことだった事に気がつく。そうして見ると恭平が律儀なくらい外さない指輪に、頬が染まってしまう。自分の伴侶として永遠を誓ってくれたその人の指に光る指輪と自分がペンダントトップにしている指輪。その存在を恭平がどんなに大切にしてくれているのかに、思わず胸が疼くような思いを感じる。
綺麗で優しい大事な人…初めて出会った時から変わらない甘い香りと優しい仕草。幼い独占欲がいつしか恋慕に変わって、纏わりつく様に少しでも長くその人の傍にいたかった自分。それを彼は何も言わずに、ずっと前から受け止めてくれていた。思えば自分の初恋だと分かるその恋慕の勢いで、耐え切れずに恭平に触れてしまった時の事が鮮やかに脳裏に映る。子供染みた嫉妬に突き動かされて始めて触れたその肌の感触は、今でも夢のように鮮やかに思い出せるのだ。

でも、今の方がもっとずっと好き、愛してる。

仁聖の不器用な想いを恭平は戸惑いながらも、やがて自分の過去の思いごと昇華してくれるように全て受け止めて包み込んでくれた。そして、仁聖の痛みと共に自身の痛みすらも曝け出して、二人で前を向こうとしてくれる。

仁聖のためなら苦手な事まで克服してみようなんて、あり得ない事なんだから……俺の恭平ってほんと凄い。

愛してるという言葉が言えなかった自分を包みこんで、真っ直ぐに見つめる恭平の強さ。自分の存在を引き寄せ、共にいる時間を選び紡いで行こうとしてくれる。

「…愛してる、恭平。」

そっと囁きかけて覗き込んだ体勢でその柔らかい唇に唇を重ねると、不意に眠っていたと思っていた恭平の腕がスルンと仁聖の体に絡みつく。驚きながらもしっとりと甘い口付けをゆっくりと堪能してから、その腕の体温を心地よく感じながら耳元に囁きかける。

「ただいま。」
「……おかえり。」

見下ろすと少し頬を染めて甘く柔らかい微笑みが見上げてきて、仁聖はそれに嬉しそうに微笑みを返す。

「寝てると思った。」
「……じっと見てるから…目を開けにくかった。」

それじゃ大分前から起きてたんじゃんとクスクスと小さな笑いを溢しながら身を擦り寄せる仁聖の仕草に、腕を回したままで恭平が小さくもう少し大きな声でただいまって言いながら入ってくれば目が開けられたと咎める様な声を響かせる。

「お仕事は?」
「……終わったから、こうしてる。」
「じゃぁ、ココじゃなくってちゃんとベットで休もうよ?」

休む時にちゃんと休まないと駄目、などと言う母親染みた仁聖から言われる言葉に恭平が苦笑する。
仁聖に自分の伴侶なんだから、恭平も自分自身の健康に気を使うよう言い渡された。それは、ほんの二ヶ月ほど前の年末の事だし、甘やかすから何とか体重を増やせとも言われた。確かに元々細身ではあったが、目下百八十センチあるかないかの身長で体重は五十四キロ前後をいったり来たりだ。お前は栄養士か調理師かと言いたくなるような食事を作るようになり始めた仁聖が、最近になって五センチも身長が伸びたことに衝撃を受けたのはさておき体重が十キロも違うと目を丸くした。

そんなに違うか?

思わずそう言った恭平に仁聖は呆れたように、俺の体型は誰々恭平の体型は誰々と芸能人で教えられて愕然とする。仁聖の体型と同じ若手イケメン俳優と、自分の身長体重前後の痩せぎす芸人では余りにも切ない。

恭平は元々綺麗な体だからいいけどさぁ?腰なんか何センチなの?!

そんなことを言われて腰に腕を回されたが、自分では余り考える機会もなかったのは本音だ。筋肉つけようかなと言ったらその前に、まず体重増やしてよと言われる始末。肥満にならないよう蛋白質増やすからさと言う仁聖に、反論の言葉が出ない。元々運動部の仁聖は合宿中の料理とかも気にしていたらしく、栄養学に関しても興味はあったようで何故か料理に関して相談相手までいる様子なのが不思議だ。それから大分甘やかされているが、あまり体重が増えないのは反面仁聖のせいだとも思う。

運動量が格段に増えてると思うんだよな、正直。

元々性的な事にそれほどの執着も興味もなく性欲自体が薄いと、恭平自身が自分の事を考えていた。自慰は流石に男性としては幾らか欲求にかられてすることはあったが、積極的に女性との行為を求めない時点で自分とはこんなものなのかと考えもしたのだ。ところが相手がこと仁聖になると、その今までの常識は役に立たなくなってしまった。
仁聖ときたら前戯でいかせるだけに留まらず、行為の最中に何度も幸せそうな顔で名前を呼んだり、体の隅々迄キスをしてきたり、綺麗だとか好きだと嬉しそうに囁いてきたりする。そういうのが当然なのかと思えば、ある一面では驚くほど古風な考えで自分を特別な存在に簡単に変えてしまう。そうされるのがどんなに自分を作り替えてしまっているのか、仁聖は分かっているだろうかと思う。あんなに薄いと考えていた筈の性欲が唐突に自分を突き動かして、仁聖を欲しがって強請ってしまう自分に我に返って何度悶絶しているか。しかも、最近ではその快感が強すぎて、疼きに似た感覚を覚えていることがある。

おかしいと思うけど、好き過ぎて仁聖が欲しくて仕方がない

そうつい自分が考えてしまうのを仁聖に見透かされそうで、恥ずかしくなってしまう。恥ずかしい感情を抱いている自分に変わらず嬉しそうにまとわりつかれると、正直なところ堪らない気持ちになってしまうのだ。なんだか素直に愛情を表現する仁聖を、自分が酷く邪な感情で仁聖を見ている気がして。考え事に耽ってしまった恭平を、心配そうに仁聖がいたわる気配で見上げる。

「恭平、ご飯出来るまでベットで休んでる?」
「………新妻みたいなこと言うな、お前。」

思わずそう口にしたら何故か仁聖が、少し頬を染めて自分を見つめ躊躇いがちに口を開く。

「新妻かぁ、……恭平が…言うなら。」
「ん?」
「恭平がしたいなら、してもいいけど。」
「はぁ?」

仁聖の言葉に意図が掴めずポカーンとした恭平の様子に、仁聖の方もあれ?と言う顔をする。したかったらしてもいいと言われても、つまりあれか?自分が仁聖を抱く?自分がされているようなことを仁聖にする?それを少し想像した瞬間、何でかとんでもなく恥ずかしい。恭平の顔が見る間に真っ赤になるのに、仁聖は不思議そうに見上げた。

「恭平?」
「あ、んまり、考えたことない事を、急に言うなって。」

慌てて眉を潜めて恭平が、僅かに身を起こす。それを抱きかかえる様に腰に手を回して引き寄せると、仁聖は甘えるように頭をすり寄せる。

「だって恭平が好きだから、恭平がしたいなら俺はいいよ。」

そんなことを当然みたいに簡単に言う仁聖に、その柔軟な感覚はどうなってるんだとクラクラと眩暈がしそうになる。顔を赤らめたままの恭平は額を手で押さえて、言われてもまともに想像出来ないから出来るようになったら言うからと口にするので精一杯だ。ただでさえ自分がして欲しがっている感覚に戸惑っているのに、仁聖を抱く想像をするだけでも恥ずかしくて悶絶しそうになる。溜め息混じりで恭平は、見上げている瞳を見つめた。

「お前、本当に俺を驚かせるのが得意だな。」
「え?考えたことない?だって恭平、彼女としてたでしょ?」
「……それって、そういう問題なのか?」

呆れたように言う恭平に、仁聖は違うのかなぁと首を傾げる。確かに女性とは以前は性行為をしていたが、言った通りあまり欲情することがあったわけではないのだ。とは言え恭平が元々男性に興味があるわけでもないし、一応好きで女性とも付き合っている。

仁聖が特別過ぎるだけなんだよな、俺には。

ナデナデと頭を撫でると仁聖が更にスリと頭をすり寄せて来て、恭平はそれを見下ろしておやと目を細めた。

「仁聖?」
「お仕事の間はちゃんといい子にしてたよ。俺にしては、かなりいい子にしてたよ、ね?」

得意げに聞こえる声に思わず噴き出した恭平が、柔らかい微笑みで頭を撫でる。フワリと甘い香りを漂わせソファーから足を下ろし、纏わりつく仁聖の腕の体温を確かめる様に手を触れさせ以前よりずっと自然に恭平は表情を緩ませた。そんな恭平の顔を見上げる仁聖が心底幸せそうに微笑むと、恭平が顔を下げて可愛いチュッという音をさせて口付る。ふっとキスの後に指に光る指輪に視線を下ろした仁聖が、その手を包み込むと指にもキスを落とす。

「恭平、俺卒業したら指輪してもいいんだよね?」
「……何だ今更?」

立ち上がり纏わりつく仁聖に促されながらリビングまで足を運んだ恭平が少し可笑しそうに呟く。恭平は良いと言ってくれるのは分かっているが、それでも仁聖が改めて確認せずにはいられないのは不安だからだ。

「だって、心配になっちゃうし……いいのかなぁって。」
「……俺だけしてるってのも……。」

おかしいだろと優しく言いながら、また頭を撫でる恭平に何で最近そんなに頭ばっかり撫でるのと問いかける。恭平は自覚していなかった風にそうか?と口にしながら、それでもやはりもう一度仁聖の頭を撫でた。

「触りたくなる頭、なんじゃないか?」
「何それ?」
「ほら、あれだ、フワフワしてて触りたくなるって。」

子供扱いしてる?と追い縋る仁聖に、違うと言いながら恭平が笑う。

「もー、誤魔化されないよ?ベットで体に聞く?」

甘える仕草をしながらの仁聖の言葉に「馬鹿」と思わず苦笑を溢しながら、恭平がスルリと身を翻し腕の中から逃れる。それを慌てた仁聖が、腕を回して再び追い縋る。じゃれるようにして寝室に逃れてしまった体を捕まえ勢いベットの上に押し倒すと、可笑しそうに笑いながら恭平が自分を見上げた。そんな恭平に覆いかぶさり少しだけ仁聖が表情を変える気配に気がついた恭平が、真剣な視線を浮かべると手を伸ばし仁聖の頬に優しく触れる。

「それで?…その他のお強請りは何だ?……仁聖。」

その声に少し驚いた様に仁聖が目を見開く。自分が何か口にした訳でもないのに、先に見透かされてしまった。恭平の言葉に少し恥ずかしげに頬を染めて、仁聖がその綺麗な顔を見下ろした。

「あのさ……明日なんだけど……。」

翌日の卒業式。それは恭平にもよく分かっていた。ふっと表情を緩めた恭平が、少し困り顔にも見える微笑みを浮かべる。両親のいない仁聖の唯一の肉親は、恐らく今も遠い外国の空の下で明日には間に合いそうもない。実は恭平から連絡はとっているが何しろ電波圏外にいることの方が多くて、相手が留守電を聴いたかどうかも分からないのだ。とは言え恭平が変わりに行けるわけでもないのは分かっている。

「流石に卒業式は無理だけど……その後、迎えに行こうか?謝恩会とかは?」

仁聖の顔がその言葉に嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。組み敷き覆いかぶさったまま、恭平の体をギュウッと思い切り抱きしめた。謝恩会はただの立食パーティーだから顔は出すけどという仁聖の口ぶりにおやという風に眉を潜めた恭平に向けて、顔を上げた仁聖が躊躇いがちに口を開いた。

「それよりさ…あの…一緒に行って欲しいトコがあるんだ…いいかな?」
「うん?何処だ?」
「えっと………俺の…両親トコに……さ…?一緒に行って欲しいんだ…いいかな?」

オズオズと初めてそう口にされて恭平はハッとしたように一瞬視線を上げたが、直ぐ様澄んで柔らかい微笑みを浮かべて当たり前だろと囁く。
以前恭平の母親の墓参りに二人で行ったのと同じように、既に故人である仁聖の両親の墓に二人で行きたい。そう初めて口にした仁聖に、恭平は優しく頬を撫でながらもっと早く言えば良かったのにと呟く。仁聖は少し恥ずかしそうに頬を染めながら、言い訳のように口を開く。

「……いや……俺も殆ど行かないからさ?年に一回か二回位だけだし。」

それが本当のことではないのは、その顔を見れば恭平にはもう一目で分かる。気がつかないでしまっていた自分も悪いし、仁聖の嘘は指摘しないでそうかとだけ答えておく。多分一人で行っていた時には、彼なりの理由があって行っていてそれは知られたくないのだろうと思うのだ。例えば家族のことで泣きたいときとか、そんな時だってあったに違いない。でも、今は仁聖から恭平と一緒に行きたいと感じてくれたのだ。

「ほら、……いい機会だし報告したい事もあるし、とか…。」
「そうだな、……高校卒業したって報告しないとな。」

納得したようにそう口にする恭平に、思わず表情を拗ねさせた仁聖が口を尖らせる。

「俺には……生涯の伴侶を紹介する事の方が大事な報告なんだけどなぁ?」

その声に苦笑を浮かべた恭平の肌に顔を埋めながら、仁聖の手がモゾモゾと腰のあたりを探り出し始める。その感触に思わず恭平が、身を捩り小さく制止の言葉を放つ。聞こえないと悪戯めいた声で囁いた仁聖の指先がスルスルと服を肌蹴ていくのを、微かに肌を染めて恭平が魅せられた視線で見つめていた。
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