鮮明な月

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第十四章 蒼い灯火

147.

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その男はいやでも目立つ。

自分自身ではそれほどとは全く気がついていないのだろうが、何をしてもしてなくてもとても目立つ存在。忌々しい程に一瞬で人の目を惹き付けて心を掴み、惹き付けた途端に今度は目を離せなくなる。それが忌々しいことに、本人が意図したものではなく全て無意識のなせる技なのだ。そうしてこんなことを自分は感じているのに、気がつけば自分まで余計に目を向けてしまうのが腹立たしいのだ。

源川仁聖

実際には大学生以前から、あいつの事はよく知っていた。小学生の頃から知っているから、本人がどんな男なのかも充分に知っている。あいつは言いたくはないが生まれつき、周囲の人間とは基盤の作りが違うのだ。こういうのをライトノベルではチートで俺最高とか、チートで俺強ぇ!とかいうし、もしくは女子的にいえばハイスペック男子とか言う。そういう意味では確かに源川仁聖という人間は、別の世界から来た人間か異国の王子様みたいなものだ。
今や身長は百九十はあるだろうし全身に筋肉も程よくついていて、異国の血が入っているせいで彫りが深い癖に爽やかな顔立ち。ガキの頃から勉強も運動も人並み以上、何もかもそつなくこなして、語学力は異常なほど高い。小学校に入学した当初は国語が苦手で、日本語で話すのも苦手だった。母親が外国人で英語は問題ないらしかったが、それでも日本語がまともに話せないのは事実だ。それを知られ同級生から外人と囃し立てられて、あいつはベソをかいていた。

仁聖のジンは外人のジーン!

そう言われて口をキュッと真一文字に結んで、女の子みたいな顔で瞳を潤ませて泣くまいと必死になっていたのを自分は知っている。濃い茶色のフワリとした猫っ毛と少し青みがかった大きな瞳が泣くまいと必死になっていたのをしっているのだ。ところがその場で泣きはしなかったあいつは、高々一ヶ月ほどで国語の教科書なんか余裕で読解して見せて周囲の度胆を抜いたのだ。
それほど努力もしてないのにスルスルと先に進むことのできる特殊な人間。
華やかで綺麗で格好いいなんていう男が、時にふと誰も近寄らせない儚げな顔をして見せることもあるときては。

イケメンのヒーローとか恋愛小説の彼氏みたいで腹立たしいに決まってる。

腹立たしく忌々しい、出来れば一番傍には近寄りたくない人間。それなのに向こうはこっちが必死で勉強して受験したが落ちた高校にもヘラッとした顔で当然みたいに入学してたし、必死に受験して補欠入学すらできなかった大学にもケロッとした顔で通う有り様だ。しかも今では見れば左手の薬指に、人を避けるための銀の指輪が光る。

わざと嵌めている。

周囲はそう皆言う。何しろ源川が大学になって女性と一緒の姿なんて一度も見たことがないし、学食で何人も女に声をかけられても誰にも靡く気配もない。高校時代までの源川を知っていれば、正直別人かと思う。何時でも年上の女を連れていて既に中学では性体験済みと皆から噂になったら、当然のように付き合ってる恋人とセックスして何が悪いわけ?と言い放った男。しかも次から次へ女は変わったし、同級生とも付き合ってみた事もある。まあ、流石に同級生とはセックスはしなかったらしいから、そこら辺は少しは考えたのかもしれないが。兎も角見た目に騙されて多くの女が騙されてきた筈なのに、何でか揉めることもなく平然としている。しかも大概は相手の方から別れを切り出されるらしいが、別れた女に悪く言われないなんて馬鹿げていると思う。セックスは抜群に上手いとか彼氏としては最高なら、なんでそんなハイスペックと別れると女に問いかけたい。
どうせチャラチャラして適当に女をつれているのだろうと思っていた。ところが大学生で鉢合わせた源川仁聖ときたら、嘘のような変わりようだった。中学の頃の面影はハッキリしているのに、大人びて男っぽくなって更に格段に人目を惹き付ける。しかもあれほど女遊びをしていたのが嘘のような身持ちの硬さで、ミスキャンパスから声をかけられても「すみません。俺、大事な人がいるんで。」の一言だ。その上あっという間に自分の学部でもないのに、文学部の勅使河原教授に気に入られたとびきりの逸材。

勅使河原はかなりの変人だけど、優秀で、あれに認められるのは難しい。

勅使河原に認められた学生は、その後有名な小説家や文筆業で成功するともっぱらの噂。嘘か本当か最近人気の鳥飼澪も勅使河原の教え子だとか言う噂も流れているくらいで、文学部連中はこぞって胡麻を擂りに行っている。それなのに源川は全然関係ない建築科で、たまにしかない勅使河原の特別講義数回で気に入られてしまったのだ。しかもその後に文学部の教授室にまで遊びに行き、お茶まで出されて親しくしているという。そう噂になっているのが、尚更のこと忌々しい。何でもかんでもそんな風に簡単に手に入れられるのに、そんなものには自分は興味がないという顔を崩しもしないのがとてつもなく自分には腹立たしい。

しかも、このポスター。

最近目につくようになったとある企業の新商品の宣伝ポスター。挑むように正面から写るのは水に濡れた肌に澄んだ空色の瞳ではあるが、どうみても源川仁聖だ。噂では本人は従兄だなんて否定しているというが、髪の生え際の黒子の位置でバレるのを分かっててそんなことを言って周囲の気を引いているのだとしか自分には思えない。しかも周囲の女達はあいつが騒がれたくなくてそう言ってるんだとか恥ずかしいから隠してるとか、終いには奥ゆかしいなんて勝手に訳のわからない都合のいい解釈をする有り様だ。

馬鹿げているし、腹立たしい。

あいつがそんな塩らしい人間な訳がない。あいつが以前みたいに常に誰か女を連れ合いているのなら、そういう軽薄な奴だからと蔑んでやれたのに。あいつは今ではそんなことがあったなんておくびにも出さない。完全なイケメンの王子様を完璧に演じているのが、自分には腹立たしくて仕方がないのだ。



※※※



「どしたの?何で?」

何でか今朝は恭平が、朝から一緒に身支度をしていた。普段なら「いってきます」と告げて玄関先で恭平が仕事場に入るのを見てから玄関を閉めるのに、当然みたいに一緒に出ると靴を履きはじめている。そんなことが初めてなのだから、恭平の姿に仁聖が不思議そうに問いかけるのはやむを得ない。すると恭平は、仁聖に向かって靴の紐を結びながら口を開く。

「…………仕事が上がったから、直接出版社まで持っていく。」
「それにしたって…………時間、早くない?」

確かに受けていた仕事が終わって出版社に届けにいくのは恭平にはたまにあることだが、届ける先の出版社は宇野の勤めている駅前の何時もの出版社だという。一限から授業の為に出る仁聖と一緒では、出版社が開くまで駅前で暫く時間を潰すことになりかねない。それを指摘しようとする仁聖に、少しだけ頬を染めてそっぽを向いた恭平が躊躇いがちに呟く。

「気になるから……、ちょっと、……一緒に……行くだけだ。」

その言葉に目を丸くした仁聖の顔に、見る間に恭平の頬が赤さを増す。
仁聖が昨日の夜に電車の中の視線の話をしたから、恭平は心配してくれて電車の中の視線を確認しに一緒に行ってみるというのだ。確かに視線を感じた時に辺りをみていてくれるなら、仁聖としても安心だが。

「え、あの、恭平?」

予想外の話に戸惑う仁聖に、恭平が立ち上がりながら少し心配そうに口を開く。

「嫌か?」
「嫌じゃないけど、……いいの?」

いいのと聞かれて何がと首を傾げる恭平に、勿論視線があるかみてもらうのに危険があるかどうかという問題もあるし、恭平は用事もないのにワザワザ電車にのって二駅往復するというのだから問いかけたくもなる。

「……ついでだから、…………勅使河原教授の顔でも見てくる。」

不貞腐れた様にみせながらも、その中に行かないという選択肢が一つもない。それに気がついた仁聖は、思わず嬉しくて頬が緩んでしまう。何しろ年が離れているから一度も一緒に学校なんかに登校も下校もしたことがない相手と、こんな状況とはいえ一緒にずっと登校。しかも教授に会うというからには大学まで一緒に行けるわけで。

本気で?しかも一緒に並んで、行けちゃう?

思わず嬉しそうに笑う仁聖に気がつかずに恭平がほらいくぞと声をかけ、まるで当然みたいに並んで歩き出す。朝の爽やかな空気の中で並んで一緒に歩くなんて産まれて初めてで舞い上がってしまう仁聖に、恭平がおかしそうに笑う。

「何だ?そんなに嬉しそうに。」
「だって、嬉しいよ。初めてだもん。」

その初めての意味が分からない様子の恭平に、仁聖がニコニコと顔を覗きこみながら一緒に朝から歩けるなんてと言う。何だそれくらいと言いたげな様子の恭平に、仁聖は心底幸せそうに微笑みかけていた。

それにしても……これって……凄い……

何が凄いというのかと言えば、満員電車で自分の背後をみてもらうには一番分かりやすいこの体勢しかないわけで。目下電車のドアに恭平を壁ドン状態で、仁聖は社内に背を向けた状態で密着している。目の前には恭平の長い睫毛と、少し苦しげにしかめられた眉、悩ましく肌を擽る吐息。

「平気?苦しくない?恭平。」
「ん、……舐めてた、こんなだったか……。」

最近は満員には乗らないという恭平が囁く吐息まで何時もより肌により近く、まるで閨の中のように熱く感じてしまう。というか、こんな状況では背後の視線どころか、目の前の恭平にしか意識が向かない。電車が走り出しても仁聖の意識は、腕の中で圧力に堪えている恭平の悩ましい顔に釘付けだ。

「…………仁聖…………。」

流石に苦しいのかと慌てて身動ぎした仁聖に、少し頬を染めて怒ったような困ったような顔の恭平が上目遣いに見つめる。少し潤んだ瞳が悩ましくて可愛い何て思っていたら、恥ずかしそうに視線をそらされた。

「馬鹿…………。」
「え?」
「…………ってる……。」

掠れて切れ切れの言葉に、思わず顔を寄せてしまう。すると真っ赤に頬を染めて、恭平が戸惑うように視線をそらしたままで小さく囁く。

「……た…………ってる…………。」

何がと問いかけようとして、我に返った仁聖が思わず頬を染めてしまう。密着し過ぎて興奮した自分のアレが何時の間にか存在をアピールしていて、恭平の腰の辺りにゴリゴリと生々しく擦れているのだ。今更改めてごめんというのも恥ずかしいが、何しろ綺麗で可愛い上に頬を染めて恥じらう恭平をこんな間近で眺めてたらおさまるものもおさまらない。思わず背けられたままの黒髪に顔を埋めてしまうと、何だか余計に背徳的な気分になってしまう。

「これ、…………ヤバい。」
「なん、だよ……。」
「触りたくてしょうがないんだけど…………。」
「馬鹿なことを言うな。」
「だって、凄いムラムラする…………。」

ヒソヒソと耳元で囁きかけると気がそれるどころか、耳朶まで真っ赤になってしまった恭平の真っ白な項が仄かに甘い香りを放っているのに余計興奮してしまう。思わずその耳朶に舌を伸ばすと、ビクッと恭平の体が硬直した。こんなところでと思うけれど、こんなに無意識に誘う恭平に勝てるはずがない。

「ば、馬鹿……っ何して……っ。」
「ん…………。」

幾ら車内に覆い被さり見えないようにしていても、電車が並走すれば車外からは見える。ジタバタしようにも満員電車の中では身動きも出来ないし、下手に騒いで問題になるのも困るのだ。それが分かっていて執拗にヌルンと耳朶を舐めたり噛んだりする仁聖に、咄嗟に恭平が足を踏みつける。

「ーっっ!!」

痛みに悶絶している仁聖の肩越しに、ふと恭平は誰かの強い視線を感じた。人混みの合間からギラギラと光る瞳だけが見えて、それが真っ直ぐに自分達を見ている。そう気がついた瞬間向こうと恭平の瞳がかち合って、向こうは驚いた様子で視線を反らす。そらした瞬間にあっという間に人混みの中に消えてしまった視線に、これでは確かに見つけれないだろうと気がつく。

「ひ、酷いよ、恭平……親指の先は痛い……。」

自業自得といい放ちながら視線の主を探そうとするが余りにも人が多過ぎ、同時に似たような色味のスーツが多すぎて一瞬の相手を探しようがないでいた。たった二駅後に電車を降りた恭平から、話を聞いて仁聖は視線の高さって分かんないもんだねと呟く。項に感じていたからテッキリ男性かと思っていたけど、相手が斜め下から視ていたのなら分からないでもない。水平に見ている前提で考えるから男性かと思っていたが、こうなると男女は余計に分からなくなってしまった。何しろ人混みに紛れてしまうのなら、相手の身長の幅はかなり広くなる。折角恭平に着いてきて貰ったのにこれでは、視線の相手どころの問題ではない。
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