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第二十二章 鬼の義肢と襲いくる災難

最愛を幸福の犠牲に

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クラッカーを食べ終え、ふと鬼達の様子を見れば酒呑は眠ってしまっていた。勝手にこの村に来て勝手に酒を飲んで勝手に酔い潰れて──本当に勝手な奴だ。アルの呼び掛けにも答えないし、僕に酒瓶を投げるし、友人の事を考えてもいないし、一体どうしてあんな奴が頭領になれたのか僕には分からない。
僕の視線に気が付いたのか、酒呑の肩に頭を寄せていた茨木がこちらを見る。
僕と目を合わせ、彼女は赤い瞳を細くする。まるで僕の考えを見透かしたかのように、「だからこそ人徳がある」とでも言いたげに、美しく微笑む。

「はぁ……」

「坊ちゃん、ため息を吐くと幸せが逃げるよ」

「……だったら僕は産まれる前に吐き尽くしたんですね」

「…………何かあったのかい?  ここは酒場、今日限りで愚痴を終わらせる場所さ」

ため息を吐くなら愚痴を吐け、とでも言いたいのか。
確かに、大抵の悩みなら言葉にしてしまえば楽になるだろう。思わぬ解決策が浮かぶかもしれないし、もし浮かばなくても人に聞いてもらえるだけで寂しさは紛れる。人に話せる内容なら、だけれど。

「兄が天才で……でも僕には才能がなくて…………両親に見放されて、それを気にして兄はおかしくなっちゃって」

それが一番初めの一番大きな不幸だ。
兄も僕も平均並みだったなら、二人とも不幸にならずに済んだのに。

「生まれてこなきゃ良かったなぁ。幸せなんて全然無くて、ずーっと不幸で、なんで生きてるんだろって、暇になったら考えちゃって……」

酒は飲んでいないのに僕は酒場の空気感に酔ってしまっていた。
 
「そんなこと軽々しく言っちゃお連れさんが可哀想だよ」

軽々しくなんて、そう反論するよりも先にアルの顔が目に入った。悲しそうな瞳で僕を見つめている。

『ヘル……私に会ったのも不幸なのか?』

「…………不幸だよ。アルに会わなきゃ幸せなんて知らなかったのに。アルに会わなきゃアルを不幸にせずに済んだのに……」

『私は貴方に会ってから不幸を感じた事は無い』

「……そう、そっか…………分かんないんだ」

無知は主観的にはこの上ない幸福だ。けれど傍から見ればこれより下はないと言う程に不幸だ。

「まぁまぁ坊ちゃん、生きてりゃいい事ありますよ」

「……そりゃ、生きてる限りはアルの毛並みを楽しめますからね。それ以外に幸福なんてありませんよ」

『私の毛並みが楽しみなのか?  なら撫でろ。ほら、撫でろ』

アルは僕の太腿に前足を置いて、頭をぐりぐりと押し付けてくる。脇の下を通って二の腕に顎を置き、可愛らしく鳴きながらこちらを見つめた。

「ははは、見た目の割に可愛いことするじゃないか。ほら、こんな可愛い仔に会えたんだ、それだけでお釣りが来ると思わないかい?」

『どうだ?  ヘル、幸せか?  ほら、もっと撫でろ』

「…………幸せだよ」

『それは良かった。ほら、不幸だなんて思えなくなるまで……もっと、撫でろ』

アルと会えて、アルと居られて、こんなにも擦り寄られて、それはとても幸福なことだ。
けれど僕は幸福を感じれば感じるほど、それがアルを不幸にしていると考えてしまう。僕がいなければアルはもっと──、と考えてしまう。

そんな考えをアルに伝えたらきっと怒るだろう。僕はその怒りを嬉しく思うだろう。僕はアルが心身を削って僕に尽くしてくれるのを嬉しく思うだろう。
だから僕は生まれてこなければ良かった。歪んだ幸福しか感じられない、分かっていても解決できない、そんな出来損ない生まれてこなければ良かった。

「アル……」

『…………どうしたんだヘル、泣いているのか?  何故……あぁほら早く撫でろ、そうすれば貴方は幸せになれるのだろう?』

「うん……うん、アル……君がいれば、君がいなきゃ、でもそんなだから僕は……っ!」

『ヘル?  どうした?  もっとか?』

アルは翼を広げて僕を包み、尾を使って立ち上がり僕の肩に前足を乗せた。後から後から零れてくる涙を舐めとって、アルは心配そうに僕を見つめる。

「アル……離れちゃ嫌だ、ずっと傍にいて。お願い…………僕の為に不幸になって」

『勿論だ』

「…………ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ……」

どうして受け入れてくれるの?  突き放してくれればいいのに、逃げてくれればいいのに。いっその事、その牙で僕の喉を喰い破ってくれればいいのに。
思考が黒く醜くぐちゃぐちゃに壊れていく。子供の落書きのような感情に塗り潰される。息の仕方も分からなくなって、僕は必死にアルを抱き締めた。

『…………ヘル?  おい、ヘル?  眠ったのか?』

アルは自分の背に回された腕から力が抜けていくのを感じ、頬を舐めるのをやめて顔を覗く。

『こんな騒がしい場所で座ったまま……』

アルはヘルの体に尾を巻き付け、器用に背負った。

『まだまだ子供だな。貴方と飲める日は遠いか。まぁいい、ちゃんと育ててやるからな、安心しろよ』

アルはヘルのベルトに引っ掛けていた巾着を咥え、紐を引きちぎり、カウンターに置く。

『主人、私は見ての通り硬貨を掴めない。悪いが自分で取ってくれ、手間賃を取っても構わんから』

「ちゃんと料金分だけ頂くよ。ところで……あちらの牛?  の方々は」

『……偶然ここで会っただけの知り合いだ、別れの挨拶も必要無い程度のな』

だから酔い潰れたところで運んでやる義理もないし、奴等の分は払わない。アルは言外にそう含ませ、ジュースとクラッカー、そして葡萄酒の料金分だけ減った巾着を口で受け取る。

『ではさらばだ。奴等が何を仕出かしたとしても私は責任を取らんからな』

「出来ればしでかす前に連れて帰って欲しいなぁー……」

『無理だ。ではな』

アルは扉を鼻先で押し開けると、次にどこに行くべきか迷った。
腹立たしいが「科学の国まで送る」と約束した以上、鬼達を待たなければならない。暴飲や悪事の責任は取らないが約束は守らなければ。
どこに行きたいと聞く相手も眠っている、宿に行くほど長居する気はない。
となれば──

『ここで時間を潰すか。ヘル、下ろすぞ』

選択肢は公園に集束された。
アルはヘルをベンチに移し、隣に座って肘掛けに顎を置く。この場所から酒場の喧騒を聞くこともアルの耳なら可能だ。アルは耳をピンと立てたまま、じっとヘルの顔を眺めて暇を潰した。
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