俺の名前は今日からポチです

ムーン

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くるま

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あの日は雨が降っていた。あの時は夜だった。あれは山道だった。
何もかもが今とは違う。けれど俺の頭は共通点ばかりを探してしまう。

「雪風雪風!  ゆきにお年玉はー?」

「……お前のせいで時間が押している。今年は無しだ」

「けち!  酷いよ!  この日を楽しみに毎日頑張ってたのに!  ねぇポチ、ポチもそう思うよね?」

雪兎に袖を引かれ、俺は意識を現在に戻す。

「……あぁ、そう、ですね?」

「だよね?  ねぇ雪風、ポチもこう言ってるし、お年玉ちょうだい!」

「浅ましい……」

雪風と呼ばれている男は不機嫌そうに雪兎を睨んでいる。見た目と名前からして、雪兎の親族だろう。二十代前半に見える、兄……いや、雪兎は一人っ子だったか。

「おい犬、お前の仕事はこいつを黙らせることだろう。早く口を塞げ」

「……あ、俺の事ですか。はいはい。ユキ様、静かにしましょうね」

面と向かって「犬」と呼ぶなんて、中々に性格は悪そうだ。

「そうだ犬、お前の名は雪也だ。これから行くところではそう名乗れ」

「はぁ……」

養子になった時に名前を変えられたのか。知らなかったが、まぁどうでもいい。どうせ家の中ではポチとしか呼ばれないのだろうし。

「ところで、あなたは……?」

「雪風だ」

「雪風さん……」

「様を付けろ。それが嫌ならパパと呼べ」

まさか、こいつが父親か?  若過ぎないか?
大企業の社長がこんな若造で大丈夫なのか……と、年寄り臭い心配までし始めたところで、俺は自分が混乱していると気が付いた。
叔父の工場にやってきた四、五十代らしき男は社長ではなかったのか。俺はあの男が義父だと思っていた。

「パパーお年玉ー」

「……おい犬。仕事をしろ」

俺は半ば無意識に雪兎の口に食べかけのおにぎりを突っ込んだ。
フラッシュバックする事故の記憶。思いがけない義父との出会い。それらが俺の思考力を奪っていく。

「…………犬、おい犬」

「あ……はい、なんでしょう」

「なんて顔をしている。良い顔を作れ、出来なければ車から降ろす。これから行くのは得意先だ、笑顔でなければ蹴り飛ばすぞ」

「……善処します」

自分で自分の頬を揉み、車のガラスで表情を練習する。けれど、やはり、車は怖い。

「…………っ、ユキ様。あの、手を繋いでくれませんか」

「んー?  ん」

雪兎はおにぎりを頬張りながら俺に手を差し出す。俺はその手を両手で包み、抱き締めて額を寄せる。

「……ポチ?  もしかして車怖いの?」

「…………はい」

「そっか……雪風、お年玉ちょうだい。お年玉あればポチ元気になるから」

「お前の犬だろう、お前が面倒を見ろ。出来なければ蹴り殺すぞ」

雪兎に背を撫でられても、頭を撫でられても、少しも落ち着かない。呼吸がどんどん不規則になって、視界が歪む。

「大丈夫、大丈夫だよポチ。この車は大丈夫だから」

「…………ユキ」

「何?  今取り込み中」

「口を塞げ、呼吸音が不愉快だ」

「……分かった。ありがと、父さん」

雪兎に頭を持ち上げられる。雪兎はそのまま俺の顎に手を添え、優しくキスをした。息を吹き込まれ、俺は呼吸の仕方を思い出す。

「……大丈夫?」

唇が離れて、心配そうな赤紫の瞳が情けない顔をした俺を映す。

「…………はい、落ち着きました」

心音はうるさいままだけれど、息が出来るようになった。
俺は雪兎の肩に腕を回し、髪に顔を埋めた。シャンプーの爽やかな香りが俺を落ち着かせていった。
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