102 / 667
くるま
しおりを挟む
あの日は雨が降っていた。あの時は夜だった。あれは山道だった。
何もかもが今とは違う。けれど俺の頭は共通点ばかりを探してしまう。
「雪風雪風! ゆきにお年玉はー?」
「……お前のせいで時間が押している。今年は無しだ」
「けち! 酷いよ! この日を楽しみに毎日頑張ってたのに! ねぇポチ、ポチもそう思うよね?」
雪兎に袖を引かれ、俺は意識を現在に戻す。
「……あぁ、そう、ですね?」
「だよね? ねぇ雪風、ポチもこう言ってるし、お年玉ちょうだい!」
「浅ましい……」
雪風と呼ばれている男は不機嫌そうに雪兎を睨んでいる。見た目と名前からして、雪兎の親族だろう。二十代前半に見える、兄……いや、雪兎は一人っ子だったか。
「おい犬、お前の仕事はこいつを黙らせることだろう。早く口を塞げ」
「……あ、俺の事ですか。はいはい。ユキ様、静かにしましょうね」
面と向かって「犬」と呼ぶなんて、中々に性格は悪そうだ。
「そうだ犬、お前の名は雪也だ。これから行くところではそう名乗れ」
「はぁ……」
養子になった時に名前を変えられたのか。知らなかったが、まぁどうでもいい。どうせ家の中ではポチとしか呼ばれないのだろうし。
「ところで、あなたは……?」
「雪風だ」
「雪風さん……」
「様を付けろ。それが嫌ならパパと呼べ」
まさか、こいつが父親か? 若過ぎないか?
大企業の社長がこんな若造で大丈夫なのか……と、年寄り臭い心配までし始めたところで、俺は自分が混乱していると気が付いた。
叔父の工場にやってきた四、五十代らしき男は社長ではなかったのか。俺はあの男が義父だと思っていた。
「パパーお年玉ー」
「……おい犬。仕事をしろ」
俺は半ば無意識に雪兎の口に食べかけのおにぎりを突っ込んだ。
フラッシュバックする事故の記憶。思いがけない義父との出会い。それらが俺の思考力を奪っていく。
「…………犬、おい犬」
「あ……はい、なんでしょう」
「なんて顔をしている。良い顔を作れ、出来なければ車から降ろす。これから行くのは得意先だ、笑顔でなければ蹴り飛ばすぞ」
「……善処します」
自分で自分の頬を揉み、車のガラスで表情を練習する。けれど、やはり、車は怖い。
「…………っ、ユキ様。あの、手を繋いでくれませんか」
「んー? ん」
雪兎はおにぎりを頬張りながら俺に手を差し出す。俺はその手を両手で包み、抱き締めて額を寄せる。
「……ポチ? もしかして車怖いの?」
「…………はい」
「そっか……雪風、お年玉ちょうだい。お年玉あればポチ元気になるから」
「お前の犬だろう、お前が面倒を見ろ。出来なければ蹴り殺すぞ」
雪兎に背を撫でられても、頭を撫でられても、少しも落ち着かない。呼吸がどんどん不規則になって、視界が歪む。
「大丈夫、大丈夫だよポチ。この車は大丈夫だから」
「…………ユキ」
「何? 今取り込み中」
「口を塞げ、呼吸音が不愉快だ」
「……分かった。ありがと、父さん」
雪兎に頭を持ち上げられる。雪兎はそのまま俺の顎に手を添え、優しくキスをした。息を吹き込まれ、俺は呼吸の仕方を思い出す。
「……大丈夫?」
唇が離れて、心配そうな赤紫の瞳が情けない顔をした俺を映す。
「…………はい、落ち着きました」
心音はうるさいままだけれど、息が出来るようになった。
俺は雪兎の肩に腕を回し、髪に顔を埋めた。シャンプーの爽やかな香りが俺を落ち着かせていった。
何もかもが今とは違う。けれど俺の頭は共通点ばかりを探してしまう。
「雪風雪風! ゆきにお年玉はー?」
「……お前のせいで時間が押している。今年は無しだ」
「けち! 酷いよ! この日を楽しみに毎日頑張ってたのに! ねぇポチ、ポチもそう思うよね?」
雪兎に袖を引かれ、俺は意識を現在に戻す。
「……あぁ、そう、ですね?」
「だよね? ねぇ雪風、ポチもこう言ってるし、お年玉ちょうだい!」
「浅ましい……」
雪風と呼ばれている男は不機嫌そうに雪兎を睨んでいる。見た目と名前からして、雪兎の親族だろう。二十代前半に見える、兄……いや、雪兎は一人っ子だったか。
「おい犬、お前の仕事はこいつを黙らせることだろう。早く口を塞げ」
「……あ、俺の事ですか。はいはい。ユキ様、静かにしましょうね」
面と向かって「犬」と呼ぶなんて、中々に性格は悪そうだ。
「そうだ犬、お前の名は雪也だ。これから行くところではそう名乗れ」
「はぁ……」
養子になった時に名前を変えられたのか。知らなかったが、まぁどうでもいい。どうせ家の中ではポチとしか呼ばれないのだろうし。
「ところで、あなたは……?」
「雪風だ」
「雪風さん……」
「様を付けろ。それが嫌ならパパと呼べ」
まさか、こいつが父親か? 若過ぎないか?
大企業の社長がこんな若造で大丈夫なのか……と、年寄り臭い心配までし始めたところで、俺は自分が混乱していると気が付いた。
叔父の工場にやってきた四、五十代らしき男は社長ではなかったのか。俺はあの男が義父だと思っていた。
「パパーお年玉ー」
「……おい犬。仕事をしろ」
俺は半ば無意識に雪兎の口に食べかけのおにぎりを突っ込んだ。
フラッシュバックする事故の記憶。思いがけない義父との出会い。それらが俺の思考力を奪っていく。
「…………犬、おい犬」
「あ……はい、なんでしょう」
「なんて顔をしている。良い顔を作れ、出来なければ車から降ろす。これから行くのは得意先だ、笑顔でなければ蹴り飛ばすぞ」
「……善処します」
自分で自分の頬を揉み、車のガラスで表情を練習する。けれど、やはり、車は怖い。
「…………っ、ユキ様。あの、手を繋いでくれませんか」
「んー? ん」
雪兎はおにぎりを頬張りながら俺に手を差し出す。俺はその手を両手で包み、抱き締めて額を寄せる。
「……ポチ? もしかして車怖いの?」
「…………はい」
「そっか……雪風、お年玉ちょうだい。お年玉あればポチ元気になるから」
「お前の犬だろう、お前が面倒を見ろ。出来なければ蹴り殺すぞ」
雪兎に背を撫でられても、頭を撫でられても、少しも落ち着かない。呼吸がどんどん不規則になって、視界が歪む。
「大丈夫、大丈夫だよポチ。この車は大丈夫だから」
「…………ユキ」
「何? 今取り込み中」
「口を塞げ、呼吸音が不愉快だ」
「……分かった。ありがと、父さん」
雪兎に頭を持ち上げられる。雪兎はそのまま俺の顎に手を添え、優しくキスをした。息を吹き込まれ、俺は呼吸の仕方を思い出す。
「……大丈夫?」
唇が離れて、心配そうな赤紫の瞳が情けない顔をした俺を映す。
「…………はい、落ち着きました」
心音はうるさいままだけれど、息が出来るようになった。
俺は雪兎の肩に腕を回し、髪に顔を埋めた。シャンプーの爽やかな香りが俺を落ち着かせていった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1,376
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる