雨降らし

羽川明

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その三 燃えるような男

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 ――――燃えるような男だった。

 錆びたトタン屋根の宿屋の二階。私物化した借りっぱなしの一室で、痩せこけた男に乱暴に抱かれながら、私はまた、あのひとのことを思っていた。私を、この泣いてばかりの街に閉じ込めた、鮮烈なあの一夜を――――

 ――――この街に来たのは、その日が初めてだった。その日も、当然のように止まない雨の中、私は、バーの軒下で雨宿りしていた。
 それは単に、たまたま乗り合わせた電車の終点がそこだったからで、それが当時の私のセオリーでもあった。無論、うっかり知人に鉢合わせないためだ。終点に着く頃には、景色は、いつも様変わりする。そのことが、私に束の間の安息を与えるのだ。
 しかしその日は、いくら待っても一向に客が現れず、雨脚ばかりが強くなっていった。そのうち誰も通りを歩かなくなり、諦めて、踵を返そうとした時、背後でバーの扉のベルが鳴り、長身の男が大股で詰め寄って来た。
「ん?」
 すらりとした長身を、厚手のコートですっぽりと覆った男は、ぶつかる寸前で私に気付いたようだった。訝しむように目を細め、私の頭を覗き込む。息のかかるような距離だった。
「婦人、なぜカツラをしている?」
 看破されたのは、後にも先にもこの一度きりだけだ。
「それは――――」
 言い切らないうちに、長身の男が得心したように鼻を鳴らす。男は、さらに距離を詰めてから、声を忍ばせ囁いた。
「――――お前、娼婦か」
 私は、決して目を逸らさない澄んだ虹彩の中に、激情をべた業火を見た。

 ――――燃えるような、男だった。
 男に抱かれて明かす度、あの夜の事を思い出す。連れられるがまま訪れた、この宿屋の、この部屋での、忘れ難いあの一夜を。
 そうして私は、この取るに足らない商売相手と、あの、炎そのもののようなひととを重ねるのだ。
 激烈に燃える大きな瞳。焼け野原の如きちりぢりの赤髪。蒸気を纏った隆々な四肢は、月光に青く燃え上がる。そして、火を吹くような竜の吐息が、私の、乳白色に彩られた谷間を、心を溶かすのだ。
 ……けれど、部屋中に満ちたバラの香りに気付く度、私の幻想は終わる。
「……おい、こっちを見ろよ」
 フケだらけの小心者が、馬乗りになって威張り出す。それでも、私の視線は、電話台の傍で揺れる、赤いアロマキャンドルの火に注がれていた。
 それは、全てが終わった後、あの炎の化身のようなひとからもらったものだった――――
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