昨今の聖女は魔法なんか使わないと言うけれど

睦月はむ

文字の大きさ
189 / 392
5[リア]

ダンス §1

しおりを挟む
 婚約発表の場でダンスを踊れ——この非情なミッションが降ってわいたのは、アレンさんのヘルグリン病騒ぎの前だった。
 その頃わたしは、リビングの一角に四畳ほどの土足禁止エリア『リア様のお茶の間』を作ったばかりで、お風呂上りは決まってそこでゴロゴロしながら読書をしていた。

 ある日、ヴィルさんの帰りが遅く、心配していると小さなノック音が聞こえた。
 ドアを開けると彼が立っていた。しかし、様子がおかしい。
 世界を癒す王族スマイルは消え失せ、心なしか身長が縮んでいるようにも見える彼は、どんよりと濁った空気をまとって部屋へ入ってくる。 
 彼はゴソゴソと手を動かし上着を脱ごうとしていたが、一向に脱げる気配がない。手が空振りするたびに「うにゅ」とか「はにゃ」といった謎の鳴き声が聞こえた。
 手伝って脱がせてやると、彼の後頭部あたりから「アニガトウ」という声が聞こえてくる。
 彼はソファに腰かけると、最終ラウンドまで戦ったボクサーのようにガックリとうなだれた。

「俺は……俺は、ダメな夫だ……」
 彼の背中の曲がり具合が、まるで大きなパンダでも背負っているかのようだった。
「リアに負担をかけるから、俺は猛反対した。しかし叔父上が、まるで石のように頑固で……神薙の婚約発表をしたい、と」
 首謀者はイケオジ陛下だった。仕事を終えてから、二人きりで相当やり合ったらしい。

 色々落ち着いたばかりだから、そっとしておいてほしいと彼は主張した。ところが、陛下は取り付く島もなかったそうだ。
 お披露目会よりも規模が大きく、国内最大級の舞踏会で発表するのだと言う。
「冬の社交……って、わかるか?」
「ええと、聞きかじっただけですが、貴族の皆さんが王都に来て、お食事会やダンスをする、と……」
「毎年、国内のほぼすべての貴族を招待する国王主催の舞踏会がある。一番大きな会場を使って盛大にやるのだが」
 わたしはゴクリとつばを飲み込んだ。
「ヒト族の貴族も含まれる。発表は舞踏会の冒頭。つまり、俺たちが主役ということになり、中央で一曲目を踊ることになる……」
「でえええーーーッッッ!」

「俺たちがどれほど二人きりの時間を必要としているか、叔父上はちっともわかっていないんだよ」と、彼はナミヘイさんに叱られた直後のカツオ君のように言った。
 なんという無茶振りだろう。

「リア、ダンスは?」と、彼が顔をのぞき込んできた。
 そんな高尚なものは経験がない。
「何もかもゼロから教わらなければなりません」と答えた。
「少しやってみて、無理そうだったら二人で断りに行こう」
「そんなことが許されるのでしょうか」
「大丈夫。俺が王宮を火の海にしてでも——」
「そこまでして断らなくていいです……」

 踊るしかない。この世界で生きていくのにダンスが必須であろうことは、侍女たちの会話から薄々気づいていた。
 そもそも結婚という大イベントを控えているわりに、なんでもかんでも周りにやってもらって、わたしは楽をしすぎているのだ。

「良い知らせもある。正式に婚約の承認が下りたよ」
「わぁ~、おめでとう、わたしたち」
「これで手続きをすれば、晴れて正式な婚約者だ」
 彼はポケットから陛下のサインが入った承諾書と、正式な婚約の手続きをするための申請書を出して見せてくれた。
 申請書の証人欄には、すでにお義父様と陛下のサインが入っている。あとは当人同士の欄にサインをして出すだけだ。

 わたしたちは署名をし終えると、部屋にあるバーからミニサイズのシャンパンを出した。
「また忘れられない日が一つ増える」と、彼が栓を抜く。
 くまんつ領で作られた「終わらぬ愛」という銘柄のシャンパンが、ポンと音を立ててわたしたちを祝ってくれた。
「クランツ領のワインは、どれもこういうキザな銘柄ばかりだ」
「婚約のお祝いだから、これを選んでくれたのですか?」
「ピッタリだろう?」

 エメラルドの瞳が優しく微笑んでいた。

 ふと会話が途切れると、彼はワイングラスをじっと見ていた。
 すでにシャンパンを飲み終え、彼は別の赤ワインを飲んでいた。彼がグラスをいじり回すせいで、グラスの中の残り少ないワインが翻弄され、クルクルと回っている。

「何か、言おうかやめようか迷っていますか?」と尋ねると、彼はグチャッとバーカウンターに突っ伏した。どうやら図星のようだ。
「ごめん。俺の悪い癖だ」
「そんなことはないですよ。最近はわたしもわかるようになりましたから」

 彼はくまんつ様やアレンさんにはなんでも素直に話すけれど、わたしには言うべきか否かをモニョモニョ考えていることが多い。
「実は、ポルト・デリングの旅をやり直したいと思っている。あまりに邪魔が多かった。俺も一緒にバーに行きたかったし、観光船にも乗りたかった。大人げないが、アレンから話を聞いて、悔しくなってしまった」
 一緒に旅に出たがいいが、彼の仕事で忙しく、さらにはわたしの都合で予定を一部キャンセルして帰ることになってしまった。現地の貴族に会って挨拶をする予定も含まれており、わたしも悔いが残っている。

「そうですね。また行きましょうね。やり直しをしましょう」
 わたしがそう言うと、彼はパッと表情を明るくした。
「なぜ今までこういうことを君に話さなかったのだろう。話せばこんなに一瞬で解決するのにな」
「話しづらいですか?」
「いいや、俺が悪い。俺が大事なことに気づいていなかったんだ」
「わたし、初めてのデートで行けなかったレストランにも行ってみたいです。あと『北の庭園』も改めて行きたいですし」
「それもあったな。……ほかにも思い出した。忘れないうちに書いておこう」

 彼はポケットから手帳を取り出すと、二人でやりたいことを箇条書きにした。
 レストランで食事、バーに行く、魔法植物園、観劇、北の庭園、ポルト・デリングやり直し、珈琲の店、一緒に服を作りたい、ダンス……
「まだまだある。思い出したら書いていこう」
「そうですね」
「しかし、まずは……」
 彼は手帳を指でトントンとたたいた。
 わたしたちは同時に「ダンスだな」「ダンスですね」と言った。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

黒騎士団の娼婦

星森
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

眺めるだけならよいでしょうか?〜美醜逆転世界に飛ばされた私〜

蝋梅
恋愛
美醜逆転の世界に飛ばされた。普通ならウハウハである。だけど。 ✻読んで下さり、ありがとうございました。✻

二度目の召喚なんて、聞いてません!

みん
恋愛
私─神咲志乃は4年前の夏、たまたま学校の図書室に居た3人と共に異世界へと召喚されてしまった。 その異世界で淡い恋をした。それでも、志乃は義務を果たすと居残ると言う他の3人とは別れ、1人日本へと還った。 それから4年が経ったある日。何故かまた、異世界へと召喚されてしまう。「何で!?」 ❋相変わらずのゆるふわ設定と、メンタルは豆腐並みなので、軽い気持ちで読んでいただけると助かります。 ❋気を付けてはいますが、誤字が多いかもしれません。 ❋他視点の話があります。

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

花嫁召喚 〜異世界で始まる一妻多夫の婚活記〜

文月・F・アキオ
恋愛
婚活に行き詰まっていた桜井美琴(23)は、ある日突然異世界へ召喚される。そこは女性が複数の夫を迎える“一妻多夫制”の国。 花嫁として召喚された美琴は、生きるために結婚しなければならなかった。 堅実な兵士、まとめ上手な書記官、温和な医師、おしゃべりな商人、寡黙な狩人、心優しい吟遊詩人、几帳面な官僚――多彩な男性たちとの出会いが、美琴の未来を大きく動かしていく。 帰れない現実と新たな絆の狭間で、彼女が選ぶ道とは? 異世界婚活ファンタジー、開幕。

異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜

恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。 右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。 そんな乙女ゲームのようなお話。

処理中です...