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読心 1
しおりを挟む僕は何も答えられずに、ただ口をポカンと開けていた。
目の前の紅天狗に対する恐怖と本当に存在していたという驚きで言葉を失くしていた。
紅天狗の腕の力は凄まじく、僕は腕を掴まれたまま中腰のような体勢になっていた。
一方、紅天狗は不思議な顔をしながら首を傾げ、何も答えようとはしない僕の心を探るかのような瞳になった。
「まさかげ、聞こえてるか?
おい、大丈夫か?」
紅天狗が腕の力を弱めると、全身の力が抜けている僕はそのまま地面にストンと座り込んだ。
紅天狗は僕の腕から手を離すと、両膝に手をつきながらしゃがみ込み、放心状態になっている僕の顔を覗き込んだ。
僕は口をポカンと開けながら首を縦に振った。
すると紅天狗は僕の肩に手を置いて、僕の目をじっと見ながら顔を近づけてきた。目の前に月のような瞳が迫ってくると、僕はそれに飲み込まれて小さくなったように感じた。
「縮こまってんな、昌景」
紅天狗は僕の耳元で囁いた。
「えっ…あっ…」
「何も恐れることはない。大丈夫だ。
昌景、俺はお前に危害を加えるつもりはない」
と、紅天狗は言った。
「えっ…あの…はい…。
えっ?なんで…僕の名前…」
僕はかすれた声で答えた。
大丈夫だと言われようが、人ならざるものを初めて見たのだから怖くて仕方がなかった。けれど紅天狗の囁きで僕は感覚を取り戻したかのような妙な気持ちにもなっていた。
「お前、カラスに自分の名を言っただろうが」
紅天狗はそう言いながら笑みを浮かべ、僕の震えている体を眺めた。
「そんなに怖がんなよ。
お前は、殺さないからさ。
しっかし、マズイなー」
紅天狗はさらっと恐ろしい事を言ってのけてから、難しい顔をしながら頭を捻り、何度も「マズイマズイ」と言っては時折流し目で僕を見た。
「あの…マズイって…?」
僕は小さな声で言ったが、僕の目は紅天狗が腰にさしている刀を見ていた。「危害を加えない」「殺さない」と言われたところで、時代劇で見るような刀をさしている男は恐ろしくて堪らない。ましてや「天狗」だ。怒らせでもしたら、次の瞬間には気が変わって刀を抜かれているかもしれない。
「あの盃でな、そろそろ酒を飲まねばならない。
それなのに、盗まれてたとはな。
いやー、マズイ。マズイ。
あの盃でないと、何の意味もない」
紅天狗は低い声で言った。
「あの…どういう事なんですか?
僕…盃について…よく知らなくて…。
マズイって…その…美味しくないってこと…ですか?」
僕は低く変化した声色が恐ろしくなって、よく分からない事を口走っていた。そんな訳ないだろうと自分でも思ったが、そう答えるのがやっとだった。
「あ?なんだよ?それ?
んな訳ないだろうが」
紅天狗は僕の顔を見て笑い出した。
よく笑う紅天狗だった。
紅天狗の笑い声は辺りに響き渡って、夜空にも響き渡り、月も一緒に笑い出したかのようにさらに明るくなった。
「すみません。
なんか…その…僕のせいでしょうか?
僕が…その…もっと早くに来てたら…すみません」
僕はその屈託のない笑顔を見ていたら、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
「だから、謝んなって。
お前は、何も悪くない。
俺は9月末までに来いって書いたんだ。
お前は、期日よりも、かなり早くここに来てくれた。
盃が盗まれたのと、お前は、何も関係がない。
お前が謝る理由はないだろう?
お前にも責任があるって言ったけど、そういう意味じゃないんだよな。人間としての責任って事でさ」
紅天狗はそう言うと、また僕の顔を覗き込み、じっと瞳を見つめてきた。相手に「はい」と言わせるような力強さがあった。
「は…い。
でも…」
そう言われると逆に僕は申し訳なくなった。
苦い顔をしながら俯いた僕の顔を紅天狗は乱暴に掴んでから引き上げ、その大きな手を僕の肩に置いた。
「でもは、ナシだ。
あー、そうだな…俺も心が痛んできたから正直に話すわ。
あの盃な、本当は、8月に盗まれてたんだよ。
もっと早くに盗まれてた」
紅天狗はそう言うと、ニヤリと笑った。
「え?8月に!?
でも、僕…さっき…」
僕は先程見た恐ろしい光景を思い出した。
(あれは…そういえば何だったのだろう?
あの妙に生々しい…そうだ…血!)
僕は、右手を見た。
すると、右手にこびりついていた血は跡形もなく消えていた。
その代わり、紅天狗に握りしめられた感触だけを右腕にジンジンと感じたのだった。まるで上書きしたかのように…恐ろしい何者かの血の臭いも感触も完全に消え去っていたのだった。
「あの…血が…」
僕はそう言ったが、紅天狗はその言葉を無視して話し出した。
「俺が自分で選んだんだけどさ、お前の反応がなかなか面白かったから、ちょっと遊んでしまったわ。
ホント、すまなかったな。
でも、お前は素直でいいわ。
よかった!よかった!
俺が見た色に間違いはなかった。
俺、昌景のこと、すきになりそうだわ」
紅天狗は大きな声で言った。
あまりに紅天狗の声が大きかったので、木の枝に隠れるようにして僕達の様子を見ていた鴉達が驚いて飛び上がる音が聞こえた。
感情表現が激しい…僕はそう思った。
それに選ばれし者は叔父さんの息子なのに、一体どうなっているのだろう?
紅天狗はゆっくりと立ち上がると、腰が抜けたまま立てないでいる僕に向かって手を差し出した。
「ほら。大丈夫。
お前は、立ち上がれるさ」
紅天狗はそう言うと、今度は優しく微笑んだ。
その微笑みは、僕の紅天狗への恐怖をさらに和らげた。
その微笑みで、何故か兄を思い出したのだった。
両親の恐ろしい言葉で傷つけられ俯いている僕に向け続けてくれた微笑みと、同じ優しさを感じたのだった。
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