天狗の盃

大林 朔也

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一反木綿 5

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「オヌシ、何故ワシに何も言い返さない?
 そうか…分かったぞ。
 全てが真実だと、オヌシ自身が認めているからだ。
 オヌシには何も無いなぁ。
 オヌシは薄っぺらいなぁ。
 ワシの体よりも薄くて、風に吹かれたら飛んでいくような紙切れのような妖怪だ。
 オヌシのような何の価値もない妖怪は生を諦め、ワシの血肉となった方がよっぽど価値がある!」
 一反木綿は声を荒げた。

「真実だ。真実だなぁ」
 そう言って回り続ける一反木綿から僕は目が離せなくなった。

(そうだ…そうなのかもしれない…何も言い返せない。
 それこそが、真実だ。
 自分の居場所も望む場所、夢や希望も分からないのだから。
 自分の事が「何も」分からない、薄っぺらい男なのだから。
 僕が歩いてきた道には何もない。
 何も…言い返せない)

 僕が降参したかのように両手をダラリと下げると、一反木綿は僕の体に巻きついて締め上げ始めた。
 その力は恐るべきもので、体が捩れるような痛みが走り呻き声を上げた。すると一反木綿は締め上げる力を弱め、僕の体を近くの木に叩きつけた。
 僕が立ち上がれないでいると、また同じことを繰り返し、吐血して苦しむ姿を見て愉しんでいた。
 頭から幹に激突すると、僕の思考は完全に鈍くなった。
 立ち上がることもできず、ぬかるんだ地面の汚い土にまみれながら泥だらけの右手を見つめた。
 体中が痛くて拳を握り締める力もなかった。風が身を切るほどに冷たく感じた。
 

 終わりは遠くない。
 僕の物語は、ここで終わりだ。
 
 どこまでもどこまでも情けない、泥まみれの男だ。
 どんなになっても…結局は抜け出せない。
 今更戦おうなんて、今更抗おうなんて、出来るはずがない。僕はそうしてこなかったのだから。
 戦うことが出来るのは、恐怖に打ち勝ち、訓練してきた者だけだ。
 鍛え抜いた屈強な心と体がなければ、こんなふうに悲惨な現実を知るだけだ。
 理想は理想でしかなく、現実にはならない。
 努力しなければ、現実は変えられない。
 だが僕はその努力を怠った。
 これ以上現実を思い知らされて、ボロボロになるぐらいならば早々に諦めてしまった方がいい。骨が折れていないことが不思議なくらいだ。その方が楽だろう…辿る道が決まっているならば。

 一反木綿は笑い声を上げながら僕の腹部に巻き付くと、少し高く浮き上がり今度は地面に叩きつけ始めた。
 その衝撃によるものなのか、頭上高くから大きな音がした。木々が揺れ、葉がザワザワと揺れる音が騒がしくなった。
 その音は、一反木綿の笑い声を飲み込み、僕の意識を一反木綿から少し逸らさせた。

(さっき見た幻が現実になろうとしている…。
 もう諦めよう…僕はその程度の男だ…。
 兄さんのようにはなれなかった…あきら…)

 兄を思いながら目を瞑ろうとした時、つんざくような鳥の鳴き声を聞いた。
 聞き慣れぬ鳥の声だった。
 灰色の暗い空間の中で顔を上げると、赤く見える枯れ葉が燃えるような弧を描いて舞い落ちてきた。
 僕は泥にまみれた右手を広げた。
 すると、それは僕の手の中に落ち、赤々とした光となった。

 鳥の声と赤い光は朦朧としている頭を正気に戻し、兄と紅天狗の顔を鮮明に浮かび上がらせた。

(本当に諦めていいのだろうか?
 諦めたところで、現状は何も変わらない。
 兄なら諦めない。
 一反木綿に抗うことを、決してやめないだろう。
 だから兄は刈谷昌信となったのだ。
 そうだ…僕も刈谷昌景にならねばならない。
 たとえ紅天狗が戻ってくるまで、僕は生きていなくても、こんな妖怪の思い通りにさせてたまるか…こんな妖怪に僕の何が分かる!分かってたまるか!
 叩き潰されようが爪痕は残さなければならない。思い通りにならない者もいるのだという事を思い知らせてやる。
 そうすれば僕は生きたということになるだろう。
 泥の道は楽には歩けない。だが固まってはいないのだ…僕が諦めなければ歩き続けることが出来る。
 僕は、諦めない)

 僕の中で、燃え上がりそうなほどの力がようやく目覚めた。熱は力となり、腰にあるモノを思い出させ、戦う為の拳を握り締めた。冷たい風ですら、僕の目を覚まさせ勇気づけてくれるものに感じ始めた。
 
 一反木綿が僕の首に巻きつこうとした瞬間、その白い布を掴んだ。

「楽しいですか?
 可笑しいですか?」

「何?」
 一反木綿は少し驚いたような声を出した。もう僕は死んだものと思っていたのかもしれない。

「必死で生きようとしている者が、そんなに可笑しいか!?
 笑って楽しいか!?
 お前こそ、どうしようもない妖怪だ。
 僕は今まで戦うことも抗うこともなく、ただ諦め、全てを受け入れてきた。本当の意味で生きようとはしてこなかった。
 自分にはソレが似合いだと思うことで、苦しんでいる自分から目を逸らした。
 自分の為に戦おうとはしなかった。
 圧倒的な力を持った誰かが現れ、助けてくれると期待していた。
 結果は変わらないし、我慢すれば終わると思っていた。
 けれど、それは違う。
 自分で戦わなければ、何も変わらない。何度も何度も繰り返すだけだ。自分で終わらせなければ終わりはやってこない。
 のたうち回って惨めに苦しんでも、そこから学び考え動き出すことで戦うことが出来る男になれる。
 それが生きるということなんだ。
 僕はようやくその事が分かった。僕はその道を、これから歩んでいくんだ。
 痛みも苦しみも分からないヒラヒラした者に、僕の新たな道を邪魔されるなんて我慢できない!語られるなんて許せない!
 僕を語れるのは僕だけだ。
 今こそ、僕は諦めない!」
 僕はそう叫ぶと、ヒラヒラした布を握る手に力を込めて下から引っ張り、自分が起き上がった。背筋をしゃんと伸ばすと、僕に代わって泥にまみれている一反木綿を見下ろした。

「馬鹿にしていた者と同じ泥まみれになったな。
 今、一体どんな気分だ?
 苦しめられる者の気持ちが分かったか?」

 一反木綿はびっくりしたような目で僕を見たが、その赤い口元には徐々に人を馬鹿にするような笑みが浮かんだ。

「これで勝ったつもりか?オヌシ」
 一反木綿は憎悪の籠った目で僕を見ると、口を大きく開けながら空高く浮き上がった。

「ワシの体を泥で汚した罰を与えてやる。
 ワシの歯で細切れに刻んでから、ゆっくりと時間をかけて食ってやるからな」
 一反木綿が耳をつんざくような叫び声を上げて襲いかかってくると、僕も短刀を鞘から勢いよく抜いて向かい合った。

 それは眩いばかりの光を発してから、燃え盛る松明となった。

「これ以上、近づくな」
 僕はあらん限りの大声で叫んだ。

 本当は燃やすつもりなどない。
 松明を掲げながら、一反木綿からゆっくりと遠ざかり、陽の光を求めるつもりだった。
 紅天狗に暴力的な意味で戦うなと言われたことがある。
 異界の事をよく知り尽くしている紅天狗の言葉を聞かなかったから、何度も恐ろしい目にあったのだ。それを思い出して心を落ち着かせ、守る事と攻める事を混同してはならないと自分に言い聞かせた。
 
 一反木綿の動きが燃え盛る火で一瞬止まったが、すぐにニヤニヤと笑い出した。

「そうか、そうか。
 ちっちゃくて可愛い火だな。
 だがワシらを燃やせるのは、地獄の業火のようと伝えられる天狗の炎のみだ。
 オヌシのソレでは何も燃やせぬよ。
 天狗の炎……見るも恐ろしい炎だがな」 
 一反木綿は口を大きく開けて息を吹きかけ、松明の火を一瞬で消し去った。

「どうだ?
 また可愛らしい火を見せてくれぬか」
 一反木綿が叫び声を上げて僕に襲い掛かろうとした時、突如として僕と一反木綿の間に真っ直ぐな太い枝がすさまじい速さで空から降ってきた。


「ならば、その天狗の炎とやらを、お前に見せてやろう」
 空から鳴り響くような恐ろしい声がした。
 雷鳴のようなその声は、山全体に響き渡るほどに凄まじく、肝も潰れるほど威圧的だった。
 黒い大きな影が僕の前に地響きを上げるかのように降り立った。
 唸りを上げるような風が吹き、空高く生い茂っていた木々ですら道を開け、暗い空間の中に光が一気に降り注いだ。

 目の前に立つのは、光を背負った男だった。

 灰色の翼をはためかせた屈強な男は、赤い髪を燃え盛る炎のように靡かせた。
 紅天狗は刀を鞘から抜いた。
 刀は銀色の光を放ち、燦然と輝いた。
 一反木綿はおののき立ち向かうこともせず逃げようとしたが、稲妻のように閃く銀色の刃が素早く振り上げられ振り下ろされた。
 紅天狗が一反木綿を斬り裂くと、そこから燃え盛るような炎が上がり、踊り狂うように全てを包み込んだ。
 僕の目の前で、白が、赤く赤く色を変えていく。
 一反木綿は生を感じさせない、紙のようだった。

 あまりに烈しい地獄の業火は一瞬で全てを焼き尽くした。そこには何も残らなかった。
 紅天狗の刀が鞘に納められるまで、僕は目を逸らすことなく見続けた。



 紅天狗は僕のボロボロの体を見ると、赤い髪の毛をクシャクシャとした。

「大丈夫か?昌景。
 えらくボロボロだな」

 紅天狗の顔を見ると急に力が抜けて、ヘナヘナとその場にしゃがみ込んだ。

「かっこよかったぞ、昌景」
 と、紅天狗は言った。

「見てたんだ…もっと早く…助けてよ…」

「お前は、俺に助けを求めるだけの男じゃない。
 それに今回は見せねばならないものがあるといっただろう?」

「えっ…?」

「初めてだからな、優しくしておいた。
 次は、焼け爛れていく肉塊を見ることになる。
 暗くなる前に山に戻るか。絹織物も手に入ったしな」
 紅天狗はそう言うと微笑みを浮かべ、僕に手を差し出した。僕はその大きな手を見つめてから力強く握り締めた。


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