天狗の盃

大林 朔也

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約束 5

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 すると、雨がポツポツと降り始めた。
 雨ですら血の復讐を悦ぶ歓喜の涙のように感じると、僕は勝ち誇ったように右手を上げた。

「見てみろ!これが僕の力だ!
 何もかもが思いのままだ!
 僕は、何をしても許される!」
 僕は興奮しながら叫んだ。
 冷たい雨に打たれると気持ちがよくなり、地面にさらに大きく伸び始めた黒い影ですら自らの力をあらわしているかのように感じた。

「助けて…昌景…まさ…かげ…」
 アイツらは間抜け面で、用がなければ呼ぶことすらなかった名を呼び続けた。
 

(そうだ…僕も少し遊んでやろう。
 僕の心を滅多刺しにしたように、今度は僕がコイツらの顔や腕や足を痛めつけてやろう。
 長年苦しめ続けた者に、今度は苦しめられるがいい。
 その身で、思い知ればいい)
 感情を昂らせながら、腰に差している短刀の柄に触れた。

 だが、柄は氷のように冷たかった。
 さらに目貫の「扇」が目に飛び込んできた。 
 それは、紅天狗の扇であった。
 扇がもたらすのは「恐ろしい死」である。
 その覚悟をもって掲げなければならない。


「僕は…一体…何を…」 
 僕は柄から手を離すと、ようやく目を覚ました。

(今のも…きっと僕なのだろう。おさえつけていた僕なのだ。
 恨む気持ちがないといえば嘘になる…)
 心の奥底では血の復讐を望んでいた自分もいたのだと思うと恐ろしくなった。 

 見上げた満月には、流れいく雲がうつった。
 血のように赤々とした不気味な雲は、その輪郭を際立たせ、めまぐるしく満月を血で染めていく。
 満月は赤々と燃え上がり、睨め付けるような真っ赤な目で僕を見下ろした。

(憎しみは目を曇らせるだけだ。正しく物事を見えなくする。
 もっとも危険な感情だ)
 軒下で紅天狗が言った言葉を思い出した。

 渦巻く憎しみが、僕の目を曇らせた。
 僕を「僕」ではなくし、恐ろしい男に変えようとしていた。
 異界で学んだはずなのに、それすらも「無」にするところだった。
 この目で見て、感じたはずだ。


 僕は半分までお茶が注がれた湯呑みを手に取り、美しい深い黒の光沢を見つめた。斑紋がキラキラと光ると、体の中に溜まった恐ろしい感情を吐き出すかのように息を吐いた。
 それからお茶を口に含むと少し冷めてはいたが、まろやかな甘みが喉を潤して体の中に広がっていった。
 すると、白の陰陽師が脳裏をよぎった。
 僕は小さく笑った。

(今の僕は…あの男と何も…変わらない。
 自分を見失った…愚かな男だ。
 それに…また背中に隠れていた。
 さらに天狗の威をかる狐であり、自らの言動の責任の全てを紅天狗に押し付けようとした最低の男だ。
 ようやく…新たな道を歩み始めようしたんだ。
 両親の影におびえることなく、僕が僕自身を語れるように。
 僕は…憎しみに支配されてはいけない。
 僕は、戦える男だ。
 坂道を転げ落ちてはいけない。
 辿り着く先は、真っ暗な闇の中だ。
 真に、自分が為さねばならない事を考えなければならない)

 僕は拳を握り締めた。
 誰かを暴力的に痛めつけるのではなく、自分自身と戦う為に力を込めたのだった。

「僕は…望ま…ない」
 僕は地面を見ながら小さな声で言った。

「あ?すまん、昌景。
 声が地面に吸い込まれたせいか何も聞こえなかった。
 俺の目を見ながら、言ってくれ」
 紅天狗は僕の足元の影を見ながら低い声で言った。

 僕は顔を上げて紅天狗の瞳を見つめた。

「僕は、望まない。
 これは、僕の戦いだ。
 ここから、始めるんだ」


「何をだ?どうするつもりだ?
 殺してしまえば、簡単だ。
 ソイツらがいなくなれば、苦しめる者が消えてなくなる。
 ようやく、終わるんだ。
 俺が、終わらせてやるよ」
 銀色の瞳はソコにあるものを飲み込むような力を放った。

「ちがう…そうじゃない…そうじゃないんだ」

「あ?はっきり言えよ。
 そうでなければ俺には分からん。
 カラスもまだ来ないから、俺達には時間がある。
 お前の答えが出るまで、次の領域には進めんぞ」
 紅天狗は満月を眺めてから、僕に時間を与えるかのように瞳を閉じた。

(消えてなくなれば…終わるのだろうか?
 否、終わらない。
 むしろ僕の苦しみは続くだろう。
 僕が殺したという事実が生き続ける。
 僕は人間だ。誰かの命を奪う権利はない。
 僕から多くを奪ったアイツらと「同じ」人間にはなりたくない。
 僕は奪うのではない。
 そうだ…僕は勝ち取らねばならない)

「僕は、自分自身を取り戻す。
 僕は、誰も殺さない」
 僕が力を込めると、紅天狗は閉じていた瞳をゆっくりと開けた。


「お前が、殺すんじゃない。
 殺すのは、この俺だ」
 全てを貫くほどの銀色の光だった。
 底知れぬほどに大きくなり、ついには空に浮かぶ満月のようになった。その光の力は凄まじく、偽りの小さな光など簡単に飲み込んでしまうだろう。

「ちがう。
 僕が紅天狗に頼むのなら、僕が殺したのと同じだ。
 それに紅天狗に…人間を殺して欲しくない」
 僕は生死を語る銀色の瞳に一瞬怯みそうになったが、なんとか自らの思いを伝えた。

「俺の手は、すっかり血まみれだ。
 紅が増えたとしても、今更どうという事はない。
 血で血を洗えば、綺麗になるかもしれん。
 望めば、振りかざしてやる。
 お前の恨みを晴らしてやる」
 紅天狗は恐ろしい笑みを浮かべながら言った。

「僕は…望まない。
 僕は…もっと両親が悔しがる方法で見返してやりたい。
 それが僕の振りかざす刃だ。
 僕が立派な男になった時に、両親は僕にもすり寄ってくるだろう。兄さんにいつもそうしているように。
 その時…僕は両親を受け入れない。
 どれほど苦しみ悩んだのかを声に出して、僕は両親の言動を痛烈に批判する。
 そして背を向けて、自分の道を…歩いて行くんだ。
 この先何があっても…両親のことを助けない。
 僕自身が関係を…ハッキリと断ち、過去にも縛られる事なく生きていくんだ」
 僕が途切れ途切れにそう言うと、紅天狗は冷たい眼差しを向けた。

「甘いな、昌景。 
 お前を苦しめた連中が、そんな事で悔しがるとは思えん。ソイツらは開き直るぞ。腐り切った連中ってのはな、お前が考えているよりも異常だ。お前に対する罵詈雑言を何も覚えちゃいないぞ。
 猫又を思い出せ。
 もともと神経が図太いから、罰を逃れる為ならどんな嘘でも吐く。そもそも嘘だとも思っていない。
 立派な男にする為に厳しく育てたとか真面目な面して抜かしやがる。何事もなかったかのように振る舞い、自分達の育て方が良かったと声高に叫ぶだろう。
 そうだな…昌景が山を降りることを選び、何を思ったか宗家の連中に報告に上がったとする。百鬼夜行がおこらないから行かんでも分かるがな。
 となればソイツらは意気揚々と邸宅に顔を出し、涎を垂らしながらすり寄ってくるぞ。
 世界を救いし、刈谷昌景という名の男に。
 自分は何もしていないのにデカい面をしながら、親戚中に自慢しにかかるだろう。
 そんな事が、平気でできる連中だ。
 罪の意識が、そもそも欠如している。
 お前は、菓子よりも甘すぎる。
 殺さぬ限りソイツらは、何一つとして、変わらない」
 紅天狗は呆れたような声を出した。

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