声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第二章

三十八話 お出掛け 中編


 俺は今、ショッピングモールに来ている。
 日曜日ということもあってかなり人出が多い。週に一度家から出て病院に行くとはいえ、殆ど外出することのない俺にとっては久しぶりの人混みだ。初めは見るもの全てが新鮮で、胸を高鳴らせながらあちこちきょろきょろと見て回っていたのだが、案の定この人混みに酔ってしまった。

「何か冷たいものでも買ってくるね」

 フードコートにあるソファーとローテーブルを組み合わせた一席に俺を座らせた律樹さんは、そう言って何処かに行ってしまった。
 本当は冷たいものなんていらないから一緒にいて欲しいなぁ、なんて思いながらも好意を無碍にするわけにもいかず、下手くそな笑顔でいってらっしゃいと手を振る。小さくなっていく見慣れた背中に寂しげな視線を送りつつ、俺は硬いソファーの背に凭れ掛かりながら大きな溜息を吐き出した。
 目を閉じると目の奥がぐるぐると回る感覚がする。何度か深呼吸を繰り返しているうちにそれも引いていき、同時に吐き気も治っていた。俺は閉じていた目を開けてぼんやりと高い位置にある天井を見上げる。暗い木目の落ち着いた雰囲気のその天井にほっと息を吐き出した。

 そういえば車の中での話は本当なのだろうか。
 正直俺はまだ夢なんじゃないかなんて思っている。車を降りてから頬や手の甲を何度も抓ってはみたが、どれもこれも痛かった。痛いのなら夢じゃないんじゃないかと思うのに、それでもまだこれが現実だと信じきれない自分がいる。だって俺は律樹さんと同じ男でしかも従兄弟、こんなとんとん拍子にうまくいくことなんてあるわけが……いや、あったんだけども。
 でももしこれが俺の夢じゃなくて本当に現実なら、今この時点で俺と律樹さんは恋人同士ということになる。つまりこのお出掛けは俺たちの初デートということになるのではないだろうか。そう考えるとさっきまで夢だって疑っていたにも関わらず、こうして今ダウンしている時間が勿体ないなんて思えてくるから不思議だ。

 俺は生まれてから今までデートというものをしたことがないと思う、多分。記憶が抜け落ちている期間に経験していたのならその相手には申し訳ないとは思うが、デートに関する知識が本やネットで得た知識以外に存在していなさそうなので恐らく経験は限りなくゼロに近いだろう。
 対して律樹さんはこういう場所に慣れているようだった。まあ同性の俺から見てもイケメンで格好良いのだからデートの一つや二つ、歴代の彼女さんたちとこなしていただろうし当たり前かもしれない。

 はあぁ……と声を出さないままに大きく息を吐き出しながら、自分の膝あたりに視線を落とす。特に何があるわけでは無かったが、俺は黒いスラックスの上に置いた手をじっと見つめた。

「――あれ?弓月?」
「……?」

 ふと名前を呼ばれた気がして顔を上げると、目の前に見たことのある顔があった。それは一週間前に律樹さんと一緒に学校を訪れた際に連絡先を交換した刈谷壱弦だった。
 きょろきょろと辺りを見回してみるが、壱弦の連れらしき人は一人もいない。隣の茶色のソファーに腰を下ろした壱弦に、一人?と手指で位置を形作りながら首を傾げると、そうだよという返事が返ってきた。どこか疲れているような表情に自然と眉尻が下がる。

「勉強の息抜きにちょっと、な。弓月も一人?」

 そう聞かれ、ふるふると頭を横に振った。
 スラックスのポケットからスマホを取り出してぽちぽちと文字を入力し、その画面を彼の方へと向ける。

『りつきさんと一緒だよ』
「あー……そっか、瀬名先生と一緒なのか。……まあ、そうだよなぁ」
「……?」
「ん?……ああ、まあなんていうか、瀬名先生って弓月に対しては過保護そうだもんなって」

 眉尻を下げながら困ったように笑う壱弦に、俺はぽかんとする。
 過保護――言われてみれば確かにそうかもしれない。
 律樹さんは元々世話焼きな性格なのか、何かと心配したり世話を焼いたりしてくれることが多いように思う。それは俺の体や心が不安定だったり、自分では何もできない出来損ないだから仕方なく律樹さんがしてくれているだけってのもあるだろうけど……そっか、周りからはそう見えているのか。

「……まあ、気持ちもわからなくはないけど」
「……?」
「んー……なんでもない」
「……??」

 何か聞こえたような気がして首を傾げるが、壱弦は詳しく答える気はないようでただ苦笑を浮かべるだけだった。はぐらかされたんだろうなってことはわかる。けれど同時にそれ以上は言いたくないんだろうなという空気を感じて俺は口を噤んだ。

「あ、そうだ。弓月は今どこに住んでるんだ?」
『今はりつきさんの家にお世話になってるんだ』
「あー、瀬名先生の……え?」
「……?」

 何かまずいことでも言ってしまったのだろうかと頭を僅かに横に傾けたまま固まった。もしかして従兄弟に養ってもらっていることに引かれてしまったのだろうかと一抹の不安が過ぎる。
 今の俺にとって壱弦という人間は、あって間もないとはいえ唯一とも言える同年代の友人だ。そんな壱弦にドン引きされるのはかなり堪える。えっとその、と慌てたように身振り手振りで誤魔化そうとするが、壱弦は呆然と俺を見つめたまま固まっていた。

『今俺家なくて、従兄弟の律樹さんが面倒見てくれててそれで』
「あ……あぁ、そういや弓月と瀬名先生って従兄弟なんだったっけ?……まあ親戚なら、あり得る、か……?」

 壱弦の呟きに、今度は俺と律樹さんの関係に気づかれてしまうのではないかと内心ビクビクしてしまう。
 
 ダイナミクスの力量関係による第二性の発見と同時に男同士や女同士といった同性愛も多く見られるようになったとは言え、まだまだ数は少ない。特にノーマルの人たちからすると「なに生産性のないことを」と思うのだそうだ。第二性を持つ俺たちにとっては生きていく上でパートナーが必要なのだが、それに全く関係のないノーマルの人たちからすれば意味のわからないことなのだろう。
 その上俺たちはパートナーという関係だけではなく、先程正式に多分お付き合いをすることになったのだ。理解が得られないだろうことは承知の上だが、それでも見知った人にドン引かれてしまうのは流石に心がもたないので、俺は誤魔化すように曖昧に笑った。

「今もあの家に住んでんのかなとか心配してたけど……親戚の家にいるんなら安心だな」
「……!」

 壱弦の言葉に、俺はそうかと思う。
 そう、彼は純粋に俺のことを心配していただけなのだ。俺が理不尽に学校を辞めさせられてから何度も俺の家を訪れたという壱弦は、あの家のおかしさに気がついていたのかもしれない。
 だから今もなお俺があそこに住んでいるのではと心配になって聞いてくれたのだろう。感謝こそすれ、ドン引かれたらどうしようなんて考えてしまったことが恥ずかしくなる。
 
『心配してくれてありがとう』

 そう入力したスマホを見せながら笑うと、「ああ……うん」となんだか歯切れの悪い返事が返ってきて、俺はまた首を傾げた。

「……そういえばさ、あの鈴見つかったか?」

 あの鈴、と聞いて心臓がドクンと跳ねる。咄嗟に胸を掻くように服を握り締めるが、一度嫌な鼓動を始めたそれが止まることはなく、俺を嘲笑うかのように徐々にその痛みを強めていった。
 大きい鼓動で震える指先をなんとか叱咤しながら、スマホに文字を打ち込んでいく。しかし小刻みに揺れるせいで打ち損じが多く、いつもの倍以上の時間をかけてしまった。
 
『ううん、まだ探しに行けてないんだ。ごめんね』

 本当は探しにいくことすら躊躇っているなんて言えるわけがない。だってもしあるとしたらそれは俺が以前住んでいた家の中だ。やっとあそこから抜け出すことができたのにもう一度戻る勇気がなくて、俺はなかったことにしたいとさえ思っている。
 でもそれを彼に伝えるわけにはいかず、当たり障りのない曖昧な答えを返した。

「いや、弓月が謝る必要なんてないだろ。その、さ……もし探しにいくことがあったら……」

 暑いのだろうか、顔を僅かに紅潮させた壱弦が頬を指先で掻きながら歯切れ悪くそう言う。しかしその続きはどこからともなく聞こえてきた着信音に掻き消された。
 初めは俺のスマホが鳴っているのかとも思ったが、手におさまっているそれは静寂を保ったままだ。ちらりと隣を見るとそこにはスマホを手に持ちながら眉を顰めた壱弦の姿があった。

「はぁ……ちょっとごめん。……もしもし?なに……わかってるって……え?あっ、なんだよそれ……わかった……はぁ……ごめん、俺もう行くな。姉貴待たしてることすっかり忘れてた」

 溜息をこぼしながら申し訳なさそうに苦く笑うその姿にどう声をかけていいのかわからなくて、俺は曖昧に笑いながらこくりと頷いた。手に持っていたスマホを青色のボディーバッグに再び仕舞い込み、空いた手で俺の頭をくしゃりと撫でる。突然のことに驚いてびくりと身体を跳ねさせる俺に苦笑をこぼした壱弦は、もう一度溜息をこぼしながら重い腰を上げた。

「また……連絡するから。何かあったらすぐに言って。俺だって……その……弓月の力になりたいんだ」

 えっと顔を上げると、柔らかく細められた目と視線が合う。しかしそれはすぐに外れ、またなと言って壱弦は踵を返して行ってしまった。

 俺は触れられた頭にそっと自分の手を乗せて、友達ってこういうこともするんだなぁ……なんて思った。


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