声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第三章

幕間 高校最後の後夜祭 後編(壱弦視点)

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 一人になった俺は近くの空いていたベンチに座った。視線は自然と人集りの方へと吸い寄せられるが、小さく開いた唇からは深い溜息が溢れ出る。

 ありがちかもしれないが、この学校の後夜祭にもとあるジンクスがあるらしい。後夜祭中に手を繋ぎ、目を合わせながら一緒に踊れば結ばれるといったよくある噂だ。けれどそんなありきたりな根も葉もない噂に、俺は掛けていたのかもしれない。

 本当はこの後夜祭で弓月をダンスに誘おうと思っていた。思いを告げるかどうかまでは正直考えてはいなかったが、それなりに良い感じの雰囲気になったら伝えるつもりではいたのだ。
 けれど今ここに弓月はいない。想いを伝えるかどうかの前にダンスすら一緒に踊れない。落ち込んでいないと言ったら嘘になる。さっき六花さんに意気揚々と諦めませんなんて言ったばかりだというのに、俺はすっかり気落ちしてしまっていた。

 目の前ではいろんな学年の生徒や一般参加者達が入り混じりながら、軽快な音楽とともに楽しそうに踊っている。全員が全員後夜祭の噂を知っているわけではないだろうが、それでもみんな楽しそうだった。

「はぁ……」

 無意識に溜息が出る。こんな賑やかで楽しい雰囲気の中、ベンチに打つ座りながら項垂れているのなんて俺くらいだろう。そんなことあるはずがないのに、俺の周りだけ空気が違うように感じた。

「――刈谷?」

 最近よく耳にするようになった声が頭上から降ってきた。俺はのろのろと顔を上げ、虚な目でその人の顔を見る。

「……保科先生」
「隣、いいか?」
「どうぞ」

 どうせ俺しか座らないんだとど真ん中に腰を下ろしていた俺は、座るのならと僅かにではあったが端へとずれた。広くなった座面に保科先生が小さく礼を言いながら腰を下ろす。古くなったベンチがキィッと小さく音を立てた。

「あー……話くらいなら聞けるが」

 ぶっきらぼうだけれど気遣いの感じられる声に、保科先生らしいななんて思わずくすりと笑みが溢れてしまう。あれだけ気落ちして沈んでいたというのに不思議だ。

 俺は曲がっていた背筋をぐぐっと伸ばすように伸びをした。大きく息を吸い込むと模擬店の残り香が微かに香る。

「……先生は後夜祭の噂って知ってますか?」
「後夜祭の噂?」

 グラウンドの中心部に視線を向けたままそう呟くように言うと、保科先生は初耳だったらしく俺の言葉を不思議そうに繰り返した。ちらりと視線を移せばそこには珍しくきょとんとした先生の顔があって、思わずふはっと笑ってしまった。

「先生ってそういうの疎そうですもんね」
「……まあ……否定はしない」
「否定しないんだ」

 保科先生と話していると不思議と陰鬱とした気分が晴れていくような――いや、どちらかといえば解けていくような心地になる。暗い色に白が足され、少しずつ明るい色になっていくようなそんな心地だ。

「後夜祭で手を繋ぎ、目を合わせながら踊ると結ばれるっていう噂です」
「……ありきたりだな」
「ははっ……うん、そうなんですよ。ありきたりな根も葉もない噂話なんです」

 乾いた笑いを溢しながら、そうぽつりと呟いた。
 ありきたりで根も葉もない噂話なんだから気にするなと、自分自身に言い聞かせるように心の中で繰り返し呟く。

 視線が徐々に落ちていき、やがて膝の上で組んでいた手で止まった。左右の親指が居心地悪そうに動いている。
 
「でも……刈谷は信じてるんだろ?」
「え……?」

 掛けられた言葉に俺はぽかんと隣に座る先生の顔を見上げた。なんで、と小さく口が動く。声は出ていなかったのに、どうやら先生には伝わったようだ。彼は眉尻を下げ、ふっと笑みを浮かべていた。

「だから今一人でいるんだろ?」
「……っ」

 胸がぎゅっと締め付けられたように痛む。
 ……俺は、弓月と踊りたかった。根も葉もないただの噂話でも良いからジンクスにあやかりたかった。だから他の人といても、踊っても意味がないからと拗ねて一人でここに座っていた。
 それを全て見透かすような先生の目や言葉にぐっと目の奥が熱くなる。

 もしかすると六花さんが俺の気持ちに気がついていたように、保科先生もまた俺の気持ちに気づいているのかもしれない。気付いていて、あえて確信的なことを言わないでいてくれるのかもしれない。――保科先生は、そういう人だ。

「……先生って見た目によらず優しいですよね」
「……それはどうも」

 俺はそっと視線を下に逸らした。ここで泣いてしまえたら楽なんだろう。けれど人が楽しんでいる横で泣くのは憚られ、俺は唇を噛み締めた。
 ……いや、失恋をしたわけでもないのに泣くのはおかしいか。けれどなんとなく、胸が痛かった。

 ベンチが小さく軋んだ音を立てた。ざり、ざりと小さな砂粒が混じった地面を踏み締める音が耳に届いたかと思えば、視界上部に僅かに靴の爪先が入ってきた。それが保科先生がいつも履いている靴の爪先だと気がついた瞬間、ぽんと頭に何かが乗った。
 頭の上でくしゃりと何かが動く。大きくて温かな、何か。

「……なんですか」
「高校最後の文化祭、なんだろう?」
「……そうですけど……でも」

 消え入りそうなほど小さくて情けない声が口から溢れ、俺は唇をギュッと噛み締めた。これ以上口を開いたら余計なことを言いそうだし、何より涙が出てしまいそうだ。
 俯いた顔をそのままにじっと耐えていると、地面と爪先だけが見えていた視界にぬっと保科先生の顔が急に現れ、身体がビクッと跳ねる。意図せず出てこようとしていた涙は一気に引っ込んだ。

「!びっ……くりしたぁ……」
「……お前の求めている相手じゃなくて悪いが、教師と踊ったというのも中々の思い出だとは思わないか?」
「は……」

 保科先生には珍しく、口角を僅かに上げて悪戯っ子のような笑みを浮かべている。瀬名先生ほどではないが、保科先生もそれなりに整った容姿だ。男の俺から見ても格好良いと思う先生の突然の笑みに、心臓がどくんと大きく音を立てた。

 ――いやそれよりも、この人は今なんと言った?
 俺が求めている相手じゃなくて悪いがって、やっぱり俺が誰を好きなのか、本当は誰と踊りたかったのか全部わかっていたんじゃないか。それをわかった上で「教師と踊ったというのも中々の思い出」だとか言うのは、ちょっと反則じゃないですかね。

「……やっぱり教師と生徒が踊るのは目立つか」

 真剣な顔でそんなことを呟いた先生に、俺はまた吹き出した。突然の俺の反応に彼は目を僅かに見開いている。

「……気にするところ、そこなんだ」
「ん……?」

 先生と話していると、やっぱり不思議な心地になる。冷たくて暗い心の中が優しく明るく溶かされていく。

 ぱちぱちと瞬きをする、僅かに低い位置にある先生を見下ろしながら「しょうがないなぁ」なんて苦笑した。はい、と差し出した手を保科先生が不思議そうに見つめている。

「俺と……踊ってくれるんでしょ?高校最後の文化祭の思い出に」

 だからほら、ともう一度差し出した手に今度は先生の大きな手が重なった。俺よりも大きくて意外と温かな手のひらが俺の手をぎゅうと包み込む。
 そしてどちらからともなく立ち上がり、その場で曲に合わせてくるくると回った。
 

 
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