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第六章
百五十八話 雨音の記憶①(律樹視点)
水の音がする。
これは、雨だろうか。
気付けば俺は雨の降る外に立っていた。既に全身はずぶ濡れで、一体いつからこうしていたんだろうと頭の片隅で思う。
見上げれば、どんよりと暗い空が見えた。
大きな雨粒が顔に降り注ぎ、俺は静かに目を閉じる。
「――!」
遠くの方で誰かが呼んでいるような気がして、俺はその方へと顔を向けた。パシャパシャと音と水飛沫を立てながら誰かがこっちに向かってくるのが見える。
「――律樹!」
影が落ち、全身を打っていた雨が遮られた。視線を上に動かせば、そこには大きな傘と心配そうな皺だらけの顔。
「……じい、ちゃん?」
「律樹、っ……良かった……!」
自分の服が濡れるというのに、その人――俺の祖父は全身ずぶ濡れの俺の身体をぎゅっと力強く抱きしめた。雨に打たれて芯まで冷え切った体にほんのりと温もりが宿っていく。
俺はその温かさにほうと息を吐き出し、そっと目を閉じた。
季節は夏。俺は今母方の祖父母の家にいる。
普段は離れた所に住んでいるここに、小学校の夏休みを利用して二つ上の姉と二人で遊びに来ているのだ。一昨年までは二人ではなく家族全員でここに来ていたのだが、色々と事情があって去年からは俺と姉の二人だけになった。
夏休み中、俺たち二人はずっとここにいる予定だ。けれどあまり寂しいとは思わない。だって祖父母がずっと一緒にいてくれるし、度々母もここに来てくれることもあっていつもよりもなんだか充実しているようにさえ感じる。
目の前に座る祖父がずずずと音を立てながら昼食の素麺を啜った。隣に座る姉も同じように啜っている。俺はそれを横目に、表面に水滴が付いたガラスのコップを手に取った。
コップを揺らすと、茶色の水面と同じようにそこに映った自分の姿も揺れている。小学生なんだからもう少し可愛げがあっても良さそうなのだが、残念ながら揺れる水面に映るのは生意気そうな姿だった。
俺は乾いていた喉を潤すためにコップを傾け、映った自分ごと入っていた麦茶を一口煽る。口からコップを離すと同時に氷がカランと音を立てた。
「あーあ……また雨だって」
素麺を食べ終えた六花姉さんがテレビの天気予報を見ながらぽつりとこぼした。そのつまらなそうな口ぶりに俺も頷きを返す。
「雨ばっかでつまんない!」
「そうだねぇ……今年は異常気象だとかで台風が多いとか言ってたからその影響かねぇ?」
「くそ台風め!」
「こら六花、くそとか言ったらいかんよ」
「むう……」
俺には二人の姉がいる。
八歳上の法子姉さん、そしてこの二歳上の六花姉さんだ。長女である法子姉さんは中学に上がってから部活が忙しいとかで一緒には来ていない。けれどお盆や年末年始には必ずここに来て一緒に過ごすので、祖父母たちもそれで満足しているようだった。
二つ上の六花姉さんとは歳が近いこともあってそれなりに仲がいい。小学生になりたてとはいえやんちゃざかりな俺よりもさらにやんちゃなこの姉は、どこにいてもいつも賑やかだった。
昼食を食べた後は宿題だ。それが終われば次は祖父母のお手伝いをしたり一緒に遊んだりするのが、ここでの俺たち姉弟の日課だった。
俺たちが普段住んでいるところとは違い、ここは田舎だ。田畑や山ばかりの長閑な場所だから、遊ぶところやものも限られている。だからこそ普段は出来ない遊びをするのだが、これがまた面白かった。
そうして異常気象による雨の多かった夏が終わり、冬が来て春になって、また夏が来た。
俺は小学三年生になった。
六花姉さんと一緒に祖父母の家に来て過ごすのも今年で三年目。今年は長期休みが取れたらしい母も一緒に来ることができたので、少し楽しみが多い。
……なのに、目の前のガラス戸の向こうは相変わらずの大雨だった。しばらくは続くだろう大雨に無意識にため息が溢れる。ガラスに映る自分の顔は不満げだった。
「律樹」
「おじいちゃん」
低く優しい声に振り向くと、そこには祖父がいた。
祖父は俺の隣に来ると、まだ背の低い俺の目線に合わせるように膝をつき、そのごつごつとした皺だらけの手を俺の頭に乗せた。大きくて温かくて優しい祖父の手。俺はこの手に撫でられるのが好きだった。
「ねぇ、雨ばっかりでつまんないよ」
「そうさなぁ……」
「……おれ、外で遊びたいのに」
ぶすくれた俺の話を聞きながら、祖父は優しい顔でうんうんと頷いてくれる。少し前までは話を真剣に聞いてくれるというだけで嬉しかったが、今はそれが気に入らなかった。多分祖父とは対等でいたかったからかもしれない。
俺はきゅっと唇を引き結んで俯いた。祖父の大きくて皺くちゃな手が俺の頭を少し乱暴に、けれど優しく撫でる。それに俺はなんだか堪らなくなってふいと顔を逸らした。
次の日も雨だった。朝方は晴れていたのにもうすぐ昼というころに急に降り出した雨は止むことを知らないみたいにざーざーと音を立てて地面を濡らしていく。いつものように姉と二人、家から一歩も出ずにいつもと変わらない一日が終わるんだろうなぁ、なんて思っていた。
「――っ‼︎」
昼食を食べ、居間で姉と二人ぼんやりとお昼の情報番組を見ていた時だった。突然玄関の方から怒声が聞こえ、俺たちは顔を見合わせた。
なんだなんだと居間から廊下へと繋がる襖を開けると、さっきまで聞こえていた怒声がさらに大きくなる。この声は祖父の声だ。俺は六花姉さんと顔を見合わせた後、そっと廊下の方を覗き込んだ。
玄関にいたのは声が聞こえてきていた祖父は勿論のこと、さらに祖母がいた。祖母と喧嘩なんて珍しいと様子を伺っていると、どうやら祖父が怒っている相手は祖母ではないらしい。じゃあ誰が、と祖父の奥に視線をやった瞬間、頭に鋭い痛みが走った。しかしそれは一瞬ですぐに消え去る。
「あれ……誰だろ?」
隣にいた六花姉さんがそうぽつりと呟いた。
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