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第1章 What's Going On?
02.秘密のカーニバル
しおりを挟む「いやあ、わざわざ来てもらっちゃって悪いねえ」
ジェラルド・ハサウェイ教官長は、見舞いに訪れたベネディクト・ラスキンの顔を見るなり申し訳なさそうに肩を竦めた。
「いえ。俺は別にいいんですけど、教官長こそ大丈夫なんすか? 骨折って聞いてますけど」
ラスキン伯爵家の三男坊であるベネディクトは、騎士として身を立てている。現在の職務は、新人騎士たちの教育だ。そしてベネディクトのような教官たちを取り纏めるのが、ハサウェイ教官長である。彼はハサウェイ侯爵の弟にあたる。
貴族の家に生まれはしたが、跡継ぎはほかにいるので自分は騎士になった……という立場が同じせいだろうか。教官長は気さくに、ときには親身になってベネディクトの話し相手になってくれていた。
そんな教官長が怪我をして長期療養することになった。彼の負担を少しでも減らすのが自分の役目だとベネディクトは考えている。
「うん、医者によると……まず、ひと月は固定して……その後は様子を見ながら、っていう話だったよ」
教官長は憂鬱そうに自分の足元に目をやった。
彼は寝台で身体を起こしている状態であるが、下半身は薄手の毛布で覆われている。そして左足首にあたる部分にはかさばったような膨らみがあった。折った足首を固定しているせいだ。
「リハビリも含めて三ヶ月……いや、二ヶ月で復帰を目指したいところだねえ」
「いやいや、あんまり無理しないでくださいよ」
そう言いつつも、頭の中で教官長の抜けた穴をどう埋めるのか考える。書類関連の最終チェックと押印は教官長の仕事である。教官たちの給与査定もそうだ。おそらくは副教官長が代理を務めることになるのだろう。
「それで、私がいない間の代理のことだけどね」
「あっ、はい」
ちょうど考えていたことだったので、ベネディクトは姿勢を正した。だが、代理を務めるのは副教官長ではなかった。
「実は、私の姪っ子に代理をお願いしているんだ」
「……は?」
「うん。私の兄……ハサウェイ侯爵の娘だよ。名前はステラ」
「め、姪御さんっすか?」
これは意外であった。甥っ子ならまだしも、姪っ子。女である。
「海軍の黒鴎騎士団って聞いたことはあるかい? ステラは普段、そこの騎士団長を務めていてね」
「き、騎士団長っすか!?」
これまた意外である。まあ、一人では靴紐も結べないような深窓のご令嬢に代理で来られてもこっちが困るのだが、侯爵の娘とはいえ騎士団長を務めているとは。
「そうそう。ステラはバリバリ海賊を捕まえている、元気な娘だよ。今ちょうど長期のバカンスに入ったところみたいでね、しばらくは陸地にいるから、私の代わりに入ってくれるって言うんだ」
海軍の長期休暇はふた月あまりあると言う。ずいぶんと長い休みだとベネディクトは思ったが、黒鴎騎士団はフェルビア王国とネドシア島のを結ぶ海路の巡航にくわえ、遠洋に出ることもあるらしい。さらに年末年始も海に出ていることが多いので、そのぶん、リフレッシュするための休みを長く取るそうなのだ。
「へえ……せっかくの長期休暇なのに、なんか悪いっすね」
「うん。私もそう言ったんだけど『これといった予定もないし、どうせなら働きたい』って」
「へーえ。姪御さんは、なかなかの……働き者なんですね」
教官長の話に相槌を打ちながら、ベネディクトは考えた。侯爵家の娘で騎士団長……これは、いわゆる「お飾りの騎士団長」なのではないかと。
貴族の女が騎士になる例はいくつもある。多くは結婚までの腰かけで、簡単な任務をこなし、縁談が纏まれば辞めていく。
ほかには、男騎士たちの士気をあげるための「お飾り」になることもある。
寂れた地方の砦に配置された騎士は、たいていはテンションがた落ちである。そこで登場するのが貴族の娘だ。それが若くて可愛らしい女であれば、騎士たちは彼女にいいところを見せようと奮起する。また、娘の口から貴族である親に「だれそれの頑張りが素晴らしかった」などと伝えられる可能性もある。騎士たちのやる気は俄然アップする。貴族の血を引く女騎士には、そういう役割もあるのだ。
彼女たちは原則として副団長の地位に就くようだが、団長を務めているならば、副団長が実質的なリーダーで、彼女に悪い虫がつかないよう見張る役目も請け負っているのだろう。そして「バリバリ海賊を捕まえている」というのは、副団長の統率力の賜物ではないだろうか。
……と、ベネディクトは教官長の姪っ子について推測した。
どちらにしろ、一時的にでも女性が来るのならばなかなか楽しくなりそうだ。目の保養になるような美人であればなおいい。会話が面白い娘であればもっといい。
お目付け役がいるとしても荒っぽい海軍に同行しているのならば、そこそこのお転婆なのではないだろうか。
いい。すごくいい。
自分の意見も言えないような大人しい娘よりは、よく喋る活発な女性のほうがベネディクトは好きだった。
「それからね、ラスキン君。折り入ってのお願いがあるんだけれど……いいかな?」
「あっ、はい。なんですか?」
教官長は窓の外と部屋の入口周辺に目をやった。この部屋にはベネディクトと自分だけだというのに、それでも顔をベネディクトの方に近づける。
重要で、しかも秘密にしたい話があるようだ。
「今からする話は、決して口外しないでほしいんだけど」
「は、はい」
ベネディクトは教官長の頼みを聞くべく、彼の方へ耳を寄せた。
「はぁ~~~~」
翌日のベネディクトは、ため息をつきまくりであった。
「はぁ……」
司令部の自席について、目の前に置いた紙袋の中身のことを考えては、再びため息をつく。
この紙袋の中には教官長に頼まれていた本が入っているのだが、一刻も早く渡してしまいたい。ベネディクトは何か理由をつけて早退し、教官長にこの紙袋を手渡すことだけを考えていた。
『本屋に行って”森の秘密のカーニバル”という本を買ってきてほしい……! 妻やうちの使用人ではだめなんだ。ラスキン君、君にしか頼めないんだよ……!』
これが教官長の頼みごとであった。どうしても手に入れたい書物があるのだが、彼は身動きができない状態だ。でも身内には頼めないという。そしてベネディクトにしか頼めないのだと。
そこまで言われては頼みを聞かない訳にもいかない。教官長の屋敷を出たあと、ベネディクトは本屋へ向かった。
本のタイトルからして、学術系の本なのではないかとベネディクトは考えていた。森の動物たちの知られざる生態が記されている本なのではないかと。だからそういった類の本が置いてある棚へ向かったのだが見当たらない。
そこで、今度は絵本なのではないかと思った。そう考えると「身内には頼めない」と言っていたのにも合点がいく。いいトシのおっさんが絵本を読むなんて、身内には知られたくないからベネディクトに頼んだのだと、そう思ったのだ。
でも、絵本コーナーでも見当たらなかった。
仕方がないのでベネディクトは店員に訊ねた。「森の秘密のカーニバル」はどこに置いてあるのかと。訊ねられた店員は、ベネディクトの頭のてっぺんからつま先までを不躾に眺めたあと、本が置いてあるらしい方向を指さした。そこはパーテーションで周囲から隔離されている、成人向けコーナーであった。
ベネディクトの家はラスキン伯爵邸であるが、そこには両親のほか、長兄とその家族たちも住んでいる。だから現在のベネディクトの住まいは、王宮騎士たちに与えられている兵舎になる。
兵舎の自室へ戻ったベネディクトは、書店で買ってきたばかりの「森の秘密のカーニバル」の表紙を目にして眉を顰めた。
そこには半人半獣……とでもいうのだろうか。動物なのだか人間なのだかよく分からない生き物たちが描かれており、それらが奇妙な行為をしているのである。
興味本位で目次を開いてみると「ウサギさんとオオカミくんの目隠しドキドキ剃毛プレイ」という項目が目に入った。
剃ってしまったら、それは動物である意義が失われてしまうのでは……?
いったい、どの部分をどの程度剃るのだ?
そう不思議に思って該当するページを開いてみれば、「剃る側」が目隠しをしていた。これでは「ドキドキ剃毛」ではなく「ハラハラ剃毛」である。
次のページを捲ってみると、メスのシカと思しき動物が、ウナギに巻きつかれている絵が描いてあった。目には涙を浮かべ、頬を赤らめ──頬のところにピンク色が乗せてあるのだ──ている。そしてウナギによって開かれた四肢で腹の部分が全開になっているのだが、そこには何故か人間の女性のようなふたつの膨らみがあった。
ベネディクトは首を傾げた。首を傾げながら、目を細め、シカのイラストを人間の女に変換してみようと試みた。
たぶん、これはいかがわしい本なのだろう。成人向けコーナーに置いてあったし、描かれている動物が人間だったらと思うと、すごくいかがわしい……と、思う。
でも、己の下半身はピクリともしなかった。
教官長にこんな趣味があるとは思わなかったし、身内には頼めない理由も充分に把握したベネディクトであった。
「はあ……」
もう何度目になるかわからないため息をつき、紙袋を机の引き出しにしまおうとした。でも、考え直した。離席した瞬間に誰かが引き出しを開けてしまったら……そんなことをする人間はいないはずだが、自分の席と間違えて座るやつがいるかもしれない。これまでにそんな間違いが起こったことはやはりないのだが、後ろめたいことがあるとどうしても悪い方へ悪い方へと考えてしまう。
紙袋を自室に置いてくる気にならなかったのもそのせいだ。施錠はしてあるが、今日に限って泥棒が入るんじゃないかと妄想してしまう。ここは王城なので、外部からの侵入者はまず考えられない。しかし、嘆かわしいことだが、騎士が騎士から金品を盗む事件は何度か起きていた。
ベネディクトは机に置いてある時間割を確認した。今日はそれほど重要な授業はない。
「……。」
出勤してきたばかりなのに抜けるのは気が引けたが、それよりもこの忌まわしい本を、早急に手放してしまいたかった。
やはり、今すぐに教官長の屋敷へ行ってこよう。そう決めて立ち上がり、紙袋をしっかりと胸に抱く。
その時、
「あっ」
少し離れたところで誰かの声がした。ほぼ同時に、教材を載せた台車がごろごろと動き出す。躓いたかなにかで手を離してしまったらしい。
台車は近くの棚にぶつかった。速度はそれほどなかったが、紙や本がたっぷりと積んであったのでかなりの重さがあるようだった。棚がガタッと揺れて、その脇にあった背の高い観葉植物も揺れた。そして、そのままゆらあ~っと傾き出した。
観葉植物は成人男性の身長よりも高さがあった。だから大きな鉢に植えられている。それが倒れたら、床は土まみれ、場合によっては陶器の破片まみれにもなるだろう。
「危ねえ!」
ベネディクトは駆け寄って、倒れないように鉢を押さえた。
紙袋を腋に挟み、屈んで鉢の傾きを直す。
「ふう……あっ」
ほっと一息ついて立ち上がった瞬間、紙袋の中から本が落ちた。腋に抱える際、袋の口が下を向いてしまっていたのだ。
しかも絶妙な角度と勢いがついていた。本は背表紙から着地し、そのままの状態で大理石の床をつつつと滑っていく。
「ああああ!」
ベネディクトはもちろん追いかけようとしたが、追いつく前に、本は誰かの足にぶつかって止まった。その際、真ん中あたりのページがパカッと開いた。
「ちょっ……うわああ!」
やばい、どうしよう、なんて言い訳しよう……!?
ベネディクトがパニックに陥っているうちに、その人物は足元の本を拾う。
女だった。
焦げ茶色の髪を頭の高い位置できつく結い上げ、額を出している。まるで、卵のようになめらかな輪郭の女だった。
濃い睫毛に縁どられた琥珀色の瞳。左目の下には、アクセントのようにほくろがついている。
きつい美人という印象だが、なめらかな輪郭と小さなほくろがそれを微かに緩和させていた。
初めて見る女だったこともあり、ベネディクトはその場で固まった。
でも、女のほうは動いていた。
「これは、貴様の持ち物か?」
凛とした、腹の底から出ているような強い声だった。
女は開かれたページをそのままにして、ベネディクトの方へ突き出す。
「え? あ……」
「貴様の本かと訊いているんだ」
そこに描かれていたのは、ドラゴンが火を噴きながら馬車に覆い被さり、そこに性器を突っ込んで腰をドコドコ動かしているイラストだった。
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