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第2章 Surrender
01.とある侯爵令嬢の年譜 1
しおりを挟む「叔父上。これが、今週の報告書になります」
「おお、ステラ! わざわざ持って来てくれたのかい」
「ええ。療養期間中は何も考えずにゆっくり過ごしてもらいたい気持ちはあるのですが、仕事のことが気になるようでも、それはそれでまずいと思いまして」
「うん、うん。お前の顔が見られるだけでも元気になるよ。だから報告書はありがたい」
叔父ジェラルド・ハサウェイの屋敷を訪ねたステラは、ここ一週間で司令部に起こった出来事をまとめた報告書を手渡した。
報告書は非公式のメモ書きのようなものだが、叔父に言ったように見舞いがてら、でも自分の抜けた穴があまり気にならない程度を考えて記したものだった。
「おやおや、教材室も二階に移したのかい」
「はい」
「資料室の引っ越しをしたばかりじゃなかったかい」
「ええ。部屋を使用していた緑鷲騎士団と交渉して、譲ってもらいました」
実際は交渉などという平和的なものではなかったが、ここはこう言っておいた方がいいだろう。なにより、もう済んだことだ。
「なんと! いつも海賊と渡り合っているだけあるねえ。でもそんなに手柄をあげられては、みんなが『教官長は戻ってこなくてもいいや』なんて思ってしまうよ。私の居場所を残しておいてくれるとありがたいなあ」
「叔父上、私などまだまだです。叔父上のような立派な存在には遠く及びません。教官たちも皆、叔父上の復帰を心待ちにしておりますので、どうかご安心を」
叔父はベッドのヘッドボードに枕を重ねて、そこに寄りかかった状態でステラを見上げた。何度か瞬きした後でふっと微笑む。
「あの小さかったステラも、もう立派な女騎士なんだねえ」
「ありがとうございます。すべて叔父上のおかげです」
ステラは深々と頭を下げる。
自分がこうして女騎士として身を立てているのは、本当に、すべて、叔父のおかげなのだ。
「ミルッカ砦にいた頃が懐かしいなあ。もう、十年くらい経つのかな?」
「はい」
ミルッカ砦とは騎士となったステラの、一番最初の配属先だ。主な任務は国境警備であり、そこに駐留する騎士団の団長を務めていたのが叔父のジェラルドであった。
*
侯爵家の娘、そしてハサウェイ騎士団長の姪ということもあり、騎士となってすぐにステラは副団長の地位に就いた。
ミルッカ砦でのステラの唯一の任務は、国旗、団旗の掲揚と降納であった。
日の出と同時に砦の屋上に向かい、ポールのてっぺんに旗を掲げる。そして日が沈むころに再び屋上へ行き、旗を降ろす。それだけがステラに命じられた仕事だ。
ただ女学校を出たというだけで戦闘のノウハウは何もない。訓練についてく体力もない。衛生兵も賄い方も洗濯女もすでにいる。ミルッカ砦でステラに出来ることはほかに何もなかった。
優しい騎士たちも少なからずいたが、それは表面的なものに過ぎない。「女だから」「侯爵家の娘だから」「騎士団長の血縁だから」そういった理由が大きいようだった。
もちろん、あからさまに敵意を向けてくる者もいた。
『いいご身分だよな。旗揚げるだけが仕事の副団長なんてよ』
『女が来るっていうから期待したのによ。騎士団長の姪じゃ、手も出せねえ』
『愛想も悪ぃんだよな。にこりともしねえ』
『ほんと使えねえな。あの女、何のためにいるんだよ』
『あーあ。小娘一人のために追い出された前の副団長、カワイソー』
ステラの耳にそういった囁き声が聞こえてくるのも──ただし、叔父のいないところで──それほど時間はかからなかった。
前の副団長というのは、ステラのためにその地位を退いている。本人は田舎から王都に戻れると喜んでいたそうだが……残された団員たちにとっては、ステラは「前の副団長の地位を奪った、使えない小娘」でしかなかった。
しかしその状態も、長くは続かなかった。
ある早朝、旗を掲揚して屋上から下りてきた時のことだ。ステラの前に数人の騎士が立ちはだかった。
こういう嫌がらせは何度か受けている。ステラが彼らの間を無理に通り過ぎようとすると、クスクス笑いながら服の裾を引っ張ったり、足を引っかけようとして来たり、とにかくガキっぽいことをしてくるのだ。
『……通ります。退いてください』
今回もそうなのだろう。だが一応ひと声かけてから足を踏み出す。
すると、一人の騎士がにやつきながら言った。
『なあ。あんた、結婚式当日に旦那に捨てられたんだって?』
『……!!』
ステラが息を飲むと、周りの騎士たちも騒ぎ始める。
『おいおい。その反応……マジだったのかよ』
『それで王都を出て田舎で騎士やってんのか?』
王都から離れた地方の砦に駐留しているとはいえ、生家は王都にある騎士も多い。任務で王城へ赴く者もいる。
いつかはばれるかもしれないと、覚悟もしていた。
しかしこんなに早く知れ渡るとは思っていなかった。
動揺しているうちにステラは取り囲まれ、騎士の一人に腕を掴まれた。
『なあ。俺らが慰めてやろうか、ステラちゃあん』
『……放して!』
『つっ……』
男の手を勢いよく振りほどくと、ステラの爪の先が彼の顎を掠めてしまう。彼はそこをさすりながらステラを睨みつけた。
『っとに、可愛げのねえ女だなあ!』
『だから男に逃げられたんだろ』
『違いねえ……で、旦那っていうのは、あんたの処女を食い散らかしてから逃げたのか?』
花婿となる男、アリスター・ピケットが教会に現れず、行方をくらませたことは確かだ。だがまだ夫婦ではなかったし、彼に純潔を捧げた覚えもない。
『な、何を……下品な……口を慎みなさい』
それだけ言い返すのが精いっぱいだったが、ステラの言葉を聞いた騎士たちはまたげらげらと笑う。
『慎みなさい、だとよ』
『あんた、上品ぶってるけど本当は身体が疼いて仕方ねえんじゃないの~?』
『お前たち! 何をやっているんだ!?』
この場をどう乗り切ろうか考えていると、廊下の向こうから叔父の声がした。
『やべ、団長だ……!』
『逃げろ……!』
騎士たちはステラを置いてあっという間に姿を消した。
ステラは再び屋上にいた。叔父がゆっくり話そうと言って上方を指さしたからだ。
『大変だったね』
叔父の言葉にステラは首を振る。
さっきは叔父がやって来たことで助かったと思ったが……あの騎士たちにとってみれば、ステラは「騎士団長の身内である特権を行使した、使えないくせに生意気な小娘」でしかない。今後の風当たりはますます強くなるに違いない。
それに、王都での醜聞が知れてしまった。これはステラをからかうための恰好のネタとなるだろう。
『そうか、結婚式でのことが……』
叔父はう~んと唸って、それからステラに向き直った。そして言った。
『辛いなら……辞めるかい』
『……!』
『お前のことを王都から遠ざけて守ってやるつもりだったんだがなあ……こうなってしまうと、ね。どうする、お前の家族に手紙を書いて、修道院か留学の手配を頼もうか』
叔父の言葉で、漸うステラは気がついた。家族の意図に反して騎士になる道を選び、自立したつもりであった。しかし、自分は叔父に守ってもらいながら逃げているだけの、単なる甘ったれだったのだ。
『お、叔父上……私、私に稽古をつけてください』
この国で女性が騎士になる方法といえば、王立女学校で騎士クラス──運動系の授業が増える──を選択し、一定期間の新人教育を受けなくてはならない。中には王族や貴族からスカウトされるなどのルートで騎士になる者もいたが、それはごく少数だった。
そしてステラは騎士クラスではなかったし、新人教育も受けてはいない。「ハサウェイ侯爵家」の力を使って騎士になった。醜聞のことも考慮され、ピケット公爵家の力も働いたのだろうか、中身のない騎士の称号は簡単に手に入ったのだった。
そして今、中身のない地位に就いていながら、それすらも投げ出したくなっている。ここで騎士を辞めたら、次に選択した人生も簡単に投げ出す人間になってしまうのだろう。
それからは、叔父に屋上で稽古をつけてもらう日々が始まった。
『あっ、ちょっと待ってください』
ある日、稽古中にステラの手のひらのマメが潰れた。
『どれ、見せてみなさい。どうする、医務室へ行くかね?』
『すみません、叔父上……』
本来ならば剣と剣の勝負で「ちょっと待った」なんてできるわけがない。でも叔父を相手にしている限りはそれがまかり通ってしまう。やっぱり自分は甘やかされているのだと思った。
叔父はステラの気持ちを汲んだようだった。
『ステラ。あの崖を見てみなさい』
砦から少しだけ離れた場所にある崖を見やる。そこでは騎士たちがロープを使って上まで登る訓練を行っていた。敵方の拠点を攻略するための訓練のようだった。
叔父が黙ってその風景を見つめているので、ステラもそれに倣う。
『何か、気づいたことがあったら言ってみなさい』
『……身体の大きな騎士が、次々と落下していますね』
普段は筋肉で身体を膨らませている騎士、腕力や体力がありそうに見える騎士は、あまり上にまで登れなかった。一方で、身体の大きな騎士から「ヒョロガリ」と呼ばれている痩せた騎士──実際は薄くてしなやかな筋肉を纏っているのだと思う──は、すいすいと上方に登っていく。
『そう、よく気がついた』
叔父は大きく頷いた。
『あれは、身体の大きなものが上に行けるとは限らない。体躯に対する腕力や握力がどれだけあるか、だからね。純粋な力だけがものを言うわけではないんだよ』
叔父はステラの手首を掴み、その手のひらをじっと見つめる。
『女性ならば、あとは……弓なんかの飛び道具だね』
それは大きなヒントだった。
どうやったら中身の伴う女騎士になれるのかを、ステラはその時に学んだ気がする。
二年経って、叔父は王都へ呼び戻されることになった。これまでに培った知識で、新人騎士の教育を行うのだという。
ステラはと言うと、ドンスレーの街に配属となった。国境地帯にあるが、寂れたミルッカ砦とは違う、大きな街だ。
そしてステラはまた副団長という地位に就いていた。これも背後に侯爵家の力が働いていたことは確かだが、独自の鍛錬法を編み出し、体躯に見合った筋力を身につけ、それを利用できるようになっていたステラは、事件が起きた際は積極的に現場へ赴いていた。
さらに迷路のように張り巡らされた壁だらけの街は、ステラが能力を発揮するにぴったりの仕様であった。
ドンスレーは賑やかな街だけあって、スリや泥棒も多かった。
ある時、王都で犯罪を犯した者がドンスレー方面に逃走したとの情報が入った。
ステラは団員たちに資料を見せながら説明をする。
『これが手配犯の人相書きだ。こいつを捕まえれば国王から特別報奨金が出るぞ』
『マジっすか!?』
『けど、備品を買い替えるとか、そういうことに消えちゃうんでしょ』
団員たちは口々にぼやく。だがステラは首を振った。
『いや、団長の許可は得てある。犯人を捕らえるにあたって、活躍したものに報奨金を分配することにした』
『……マジっすか!?』
こうして団員たちを鼓舞するのも団長、そして副団長の役目であると、ステラは学び始めていた。
『そっちに逃げたぞ! 追い込め!』
ステラは団員たちにそう指示し、犯人を特定の路地に追い込ませる。そして自分は男の身長の倍ほどもある壁の攻略に取り掛かった。
レンガの凹凸に指を引っかけ、身体を持ち上げていく。
腕立て、指立て、懸垂……黙々と続けたミルッカ砦での地味な鍛錬は、ゆるぎなく実を結んでいた。
壁の頂上から周囲を観察し、犯人が逃げ込んできたタイミングで飛び降りる。後ろからやって来た団員たちと挟み撃ちにする形で悪者を捕らえていくのがステラのスタイルとなった。
『あーあ。結局一番活躍したのはハサウェイ副団長かあ』
『いいなあ。報奨金、何に使うんすか?』
結局、最初に犯人を取り押さえたのはステラであった。
『いや、私は受け取らない。犯人をあの路地に追い込んだ者たちで使え』
『いいんすか!?』
『ああ。私は団長に高い肉でもおごってもらう。金は貴様らで分けろ』
『やったあ!』
地位に伴った実力があれば、団員たちもついてくるようになる。それはステラの自信にも繋がった。
ドンスレー駐留時代に、ステラは統率者としての資質を身につけていった。
応援ありがとうございます!
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