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番外編

ロックな男 3

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 カナルヴィルのキャシディ家の長男は、代々レンガ職人をしている。といっても、ヘザーの曽祖父がはじめた事業らしいので、古い歴史があるわけでもない。
 ヘザーの父ヴァルデスは次男だったので別の職を見つけて家を出たが、長男であるファーガスの父親は、レンガ工房を継いだ。
 ヘザーに物心つく前の、ほんとうに幼いころは、父の実家──叔父やファーガスの家──との行き来はあまりなかったような気がする。ヴァルデスが家の反対を押し切ってマグダリーナと一緒になったせいだ。
 でも、マグダリーナが出ていき、父娘二人きりの生活になってしばらく経つと、父と実家の交流は復活した。ヴァルデスが真面目に働いて、一生懸命ヘザーを育てているのが実家にも伝わったからだと思う。
 そしてヘザーが闘技場で働き出す年齢の頃には、やっぱりファーガスも父親の手伝いをするようになっていた。互いに忙しくなって、顔を合わせるのも以前ほど多くはなくなった。
 ヘザーが王都に出ると、ファーガスと会う機会はますます減った。父の実家はカナルヴィルの街中にあるが、レンガ工房のほうは、住まいとは別に街の外に構えられているのだ。
 鍛冶屋やガラス工房などの音や熱気を放つ建物は、店舗が街中にあっても、作業場は街外れに構えなくてはいけない決まりがあった。キャシディ・レンガ工房に至っては、街から遠く離れたところにある。粘土を採取する場所の近くに工房を構えたら、結果的にそうなってしまったようだ。
 ヘザーが帰省しても、ファーガスは仕事で工房のほうにいたりして、あまり顔を合わせる機会はなくなっていた。でも、久しぶりに顔を合わせたときは、ブランクを感じることなく即座に昔からのノリで接することができた。
 だから「家族みたいに一緒に育った」というのは当てはまらないが、ヘザーにとっていちばん親しい異性の友人──正確には従兄だが──といえば、ファーガスになるだろう。



「え? あ、あれ……?」
 ヘザーはもう一度、ヒューイとファーガスを見比べた。
 ヒューイは立ち上がって身を乗り出しているし、ファーガスは胸の前で腕を組んで、ヒューイを見上げていた。その視線には、敵意のようなものが含まれている。
 彼がヒューイに向ける言葉にも、なんだか棘があるような、そんな気はしていたのだ。けれどもヘザーは家族のようにファーガスを知っているわけではないから、「身内以外にはこんな感じだったっけ?」くらいに考えていた。
 しかし、今は二人の視線がぶつかったところに、火花が散って見える……気がする。
「あ、あの。なんかあった……の……?」
「なあ、ヘザー」
 ファーガスが剣呑な口調で言った。
「ん?」
「俺ら、『三十過ぎても独り身だったら、結婚するか』って約束、昔したよなあ?」
「え……え!?」
「そうなのか、ヘザー!?」
「え? え?」
 ヘザーが昔の記憶を辿ってファーガスとの思い出をひっぱり出す前に、ヒューイがヘザーの腕を掴んで自分のほうへ引き寄せようとした。
「君はこの男とそんな約束をしていたのか!?」
「え? えーと……」

 店のどこかから「ヒュー」と口笛が聞こえた。
「アレ、やっぱりケンカなんじゃねえか?」
「なんか、女とり合ってるみたいだぜ」
「おいおい。やるねえ!」
「なあ、女がどっち選ぶか賭けないか?」
 そんな会話が聞こえてきて、また「ピュー」と口笛が鳴る。

 状況がまだよくわからないのだが、ヒューイとファーガスが自分をとり合っている……?
 自分を! とり合っている……!?
「…………。」
 口元の緩みを必死に我慢しようとしていると、ファーガスが立ち上がり手を伸ばしてきて、ヘザーの額を人差し指で突いた。
「おい、ヘザー。おめー、何笑ってんだよ」
「え?」
 バレちゃしょうがない。頭をかいてごまかそうとしたが、今度はヒューイが自分の身体でヘザーを庇うように前に出る。
「ヘザーに触るな!」
「……!!」
 ヒューイがそう言った瞬間、ヘザーは小さく息を吸い込んで胸を押さえる。
 すごい。胸がキュンキュンする。
 ヒューイが「僕の(言ってない)ヘザーに触るな」だって!「僕の(だから言ってない)ヘザーに触るな」だって!!
 こういうシチュエーションは、小説や演劇で見たことがある。二人の男に奪い合われているヒロインは、決まって「私のためにケンカしないで!」なんて涙を流しながら訴えているけど、実際にその立場に自分が置かれてみると、ヒロインの気持ちがちっとも理解できない。「イエーイ! もっとやって、もっとやって!!」としか思えないのである。
 でも、実際にそう言って煽るのはヒトとしてどうかとも思う。そんな発言をするヒロインを奪い合う男たちはいないだろう。
 それがわかっていたから、ヘザーは頑張って心にもないことを言った。
「ふ、二人とも。お願いだからもうやめてえ。」
 頑張ったつもりだが、まったく感情のこもらない棒読みになってしまった。いまの口調は違和感炸裂だったようで、さすがにヒューイもおかしいと思ったのか、怪訝そうな表情でヘザーのほうを見た。
「ヘザー! 君は……君は何をニヤニヤしているんだ!!」
「え。えへ」
「だから俺さっきからそう言ってんじゃん……」
「ファーガス殿、君は黙っていたまえ!!」
「おお、怖ぇえー。ヘザー、お前こんな短気な男とほんとに結婚すんの?」
「な、なんだと……!?」
 これは、ちょっとまずいかもしれない。ヒューイがヘザーを奪おうとしてくれるところまでは良かったのだが、お説教モードに切り替わりそうである。しかもファーガスがヒューイの怒りに薪をくべるような真似をするものだから、いよいよ収拾がつかなくなってきた。
「ね、ねえねえ」
 もうほんとにやめようよ。そう言おうとしてヒューイの服をつんと引っ張ったとき、この修羅場を終わらせる救世主が現れた。店員である。
「お客さんたち、いい加減にしてください」



 酒場を出たあとにつかまえた辻馬車の中で、ヒューイは腕を組んで黙りこくっている。ちなみにファーガスの泊まる宿はヘザーの住まいと反対側だったこともあり、彼とは居酒屋の前で解散している。向かう方向が同じだったとしても、三人で一緒に馬車に乗り込める空気ではなかったが。

「あ、あの。なんか……」
 ヘザーは俯きつつ、口を開き、そこで言葉を切った。「ファーガスがごめんね」と言おうとして、躊躇ったのだ。
 ファーガスがヒューイに絡んだせいであんなことになったようだ。だから「自分の身内が嫌な思いさせてごめんね」という意味で謝ろうと思ったのだが、でも、ヒューイにはファーガスを庇っているように聞こえるのではないだろうか。ヒューイはますます嫌な気持ちになるかもしれない。
 だから、順を追って話すことにした。
「あの、あのね。ファーガスのお母さん……伯父さんとファーガスを置いて、別の男の人のところに行っちゃったの」
 ヒューイが顔をあげてこちらを見る。馬車の中は暗かったが、それでも彼が片方の眉をあげたのはわかった。それは君の家の話ではないのか、と問いたいのだろう。
「うちも……だけど、ファーガスの家もそうなの……」
 キャシディ家の男は、女運がものすごーーーく悪いみたいなのだ。
 でも、ファーガスの母親は、普通のお母さんに見えた。ヘザーのところとは違って、食事も作るし、工房の手伝いだってしていた。いたって普通の、ちゃんとしたお母さんだと思っていた。世話焼きで、ちょっと口うるさくて、世間一般の人が「オカン」と呼ぶようなお母さん、そんなイメージだった。
「私が十歳くらいの時だったと思う。ファーガスの家に、身なりの良い男の人がやってきて、『奥さんと別れてくれ』って伯父さんに言ったらしいの」
 その男の人は、貴族ではないようだが、上流階級に属する人間のようだったと聞いている。たぶん、ヒューイのような騎士の家系に生まれた人か、地主だったり事業を成功させていたりの、一般人よりもずっとずっとお金を持っている、地位のある人。
 妻がほかの男と密通しているとは思っていなかったファーガスの父にとっては、寝耳に水である。彼はもちろん戸惑った。
「するとね、身なりの良い男の人は、伯父さんに金貨の詰まった袋を渡したんだって。伯父さんは怒ってお金を突き返したんだけど、でも、ファーガスのお母さんはその人と出て行っちゃったって……」
 そこでちらりとヒューイを見ると、彼はふうっとため息をついた。
「それで彼は上流階級の人間が嫌いなんだな」
「そうみたい……」
 以来、ファーガスは貴族や金持ちを見るたびに「奴らは金と地位さえあればなんでも好きにできると思っている。人の心さえも。俺はそれが気に入らない」そんな風なことを言っていたが、まさかその感情をヒューイにまで向けるとは思っていなかった。

「彼が僕を嫌う理由はわかった。だが、あの話は本当なのか」
「……どの話?」
「彼と君が結婚の約束をしていたという話だ」
「え? ええ? あ。ああー……」
 そういえば、酒場でも訊ねられたのだった。そのあとすぐにおかしなことになってしまったので、ゆっくり思い出す暇もなかったけれど。
「私が剣士になった頃、『女の子が剣士なんかやってちゃ、嫁の貰い手がなくなるぞ』って、そういうこと言ってくる人がけっこういたんだよねー」
 でも、ヘザーは普通の家庭で育ったとは言い難いから結婚に憧れてはいなかった。そしてファーガスもまた、結婚や家庭というものに不信感を抱くようになっていた。
 顔を合わせるたびに「なんでみんな結婚、結婚って騒ぐんだろうね」「余計なお世話だよな」なんて話をするようにもなっていた。
 だがある時ふっとヘザーは思ったのだ。結婚したいとは思わないけど、このままひとりでおばあちゃんになって、ひとりで死ぬのも寂しいなあ~、と。
 すると、ファーガスが笑いながら言った。
『あー、じゃ、お前が三十になっても独り身だったら、俺がもらってやるよ』
 彼にしてみれば、女は信用ならないが、同じキャシディの血を引くヘザーならば大丈夫だと、そう思ったのだろう。
 ヘザーとファーガスは、いとこ同士である上に、母親がほかの男と出て行ったことで、結婚や家庭に憧れを抱けないという共通点があった。だからそのヘザーが上流階級の男と結婚すると知って、彼は裏切られた気持ちになったのかもしれない。
「私とファーガスは、同志みたいな関係でもあったから」
「子供の頃の話と聞いていたが……僕が考えていたほど昔の話ではないのだな」
「で、でも、愛とか恋とか、そういうのが根底にあるわけじゃないよ」
 さっきは、ヘザーを取られまいとムキになるヒューイがすごく可愛かったし、とても嬉しかった。でも、こうして落ち着いて話し合っているうちに、申し訳なくもなってきた。
 ファーガスとはなんでもない。彼が「嫁に貰ってやる」と言ったのも、ヒューイに絡んだのも、ヘザーを愛しているからではない。いまヒューイと話したことでそれは伝わったと思う。だからと言って、ヒューイのファーガスに対する印象が良いほうに変わったわけではないとも思う。
「あの……明日のフェス、行くのやめるね」
「……それは、なぜだ? 君は『ふぇす』に行きたいのだろう?」
「だって、私とファーガスが一緒に行動したら、ヒューイは嫌でしょう? ヒューイに嫌な思いさせたくないし……」
 その時、ヒューイが小さく、けれども鋭く息を吸い込んだのが聞こえた。
「ヘザー」
 ヒューイの手が、ヘザーの肩に置かれた。
 そして彼は諭すように言った。
「僕の機嫌を取る必要はない。君は、『ふぇす』に行って来たまえ」
「え? 機嫌?」
 別にヒューイの機嫌を取ろうと思ったわけではない……だが、「ヒューイが嫌な気持ちになるだろうから、行かない」というのは、彼の機嫌を取ることになるのだろうか。
 ヘザーが考え込んでいると、ヒューイが続ける。
「僕は、君の行動を制限したり支配したりするつもりはない。ただ、危ないことはしないで欲しいだけだ。『ふぇす』に、行って来たまえ」
「え……? う、うん……」
 ヒューイの様子がなんだかおかしいと思った。ヘザーが手洗いに行っているとき、ファーガスに何か言われたのだろうか。
「あの、ファーガスに、何か……」
「ファーガス殿と一緒であれば、妙な輩に絡まれる心配もないだろう。行って来たまえ。終わる頃に、港まで君を迎えに行く」
「うん……」
 ヒューイが、やっぱりなんだかおかしい。急にフェスへ行く気が失せてきたが、ここまで言われているのに参加をやめたりしたら、ヒューイとの関係が変に拗れてしまう気もした。
 どちらにしろ、フェスへは行こうと思う。ファーガスに会って、彼を問い詰めて、場合によってはとっちめる必要があるかもしれないからだ。


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