最後の君へ

海花

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記憶

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「零、先生お待ちだから…すぐリビング行って……。お父さんも待ってるから……」

学校から帰るなり母が零に告げた。要は父の機嫌が悪くなる前に行けと言っているのだとすぐに解った。

「今帰ってきたばっかなんだけど……」

零はあからさまにため息をついてみせた。
姉に比べて成績の悪い零に今日から家庭教師がつけられる事になっていた。しかし本人は納得していない。大学に行く気も無かったし、出来る事なら就職をして一刻も早く家を出たかった。

「そうだけど……。お父さんにまた言われるから早く行って?」

母の顔が懇願するように零を見つめる。父がまた怒り出すのを恐れているのだ。
零はカバンを母に渡すと、もう一度ため息を吐き、父と家庭教師が待っているリビングルームへ向かった。




「遅かったじゃないか。今日は早く帰る様に言ってあっただろう」

入っていくなり父が零を叱りつけた。
しかし零は返事もせずただ黙って立っている。別にどこかへ寄ってきたわけでもないし、ホームルームが終わるなり帰ってきてこの時間なのだから仕方がない。だがそんなことを言ってみたところで父には関係のない事など過去の経験から分かっていた。

「黙ってないで挨拶ぐらいしたらどうだ!?ずっと待っていてくれたんだぞ」

今度は零を怒鳴りつけ、父の正面に座った若い男が止めに入った。

「まあまあ……先生。そんなに待っていた訳じゃないですから」

若い男が零へ向くと

「こんにちは。君が零くんだね?」

人好きする優しい笑顔が向けられ、零はチラッとだけ視線を向け頭を下げた。

「挨拶の一つも満足に出来ないバカ息子だが……よろしく頼むよ」

そう言って父は呆れた様に零に一瞥してから、その男へと笑いかけた。




『遠峰紫紋』と名乗った男は零の部屋に来るなり愛想良く話しかけてきた。

「凄い本の量だね。本好きなの?」

「……はぁ……まぁ……」

それに対して零は警戒心を顕にしている。父の教え子の中でも成績が良く、教員免許も持っていてこの若さでそこそこ有名な塾の講師をしている。……要は父のお気に入りだ。

「紡木先生も昔、知識は財産だから本を読めってよく言ってたよ。さすが親子だね」

紫紋が笑いかけるが、零はその笑顔に一切答えず黙ったまま勉強机の椅子に座った。隣には今日の為に用意された椅子がもう一つ並んでいる。

「勉強するんですよね……?」

零が無愛想に母が置いておいてくれたカバンから教科書を引っ張り出した。
紫紋はその様子を見て「クスッ」と笑い

「今日は勉強するつもりは無いんだけど……」

またさっきの人懐っこい笑顔を零に向け、隣の椅子に腰を下ろした。
そして訝しげな視線を向ける零に

「お互いの話をしようと思ってね。どんなヤツかも分からない相手とこれから一緒の時間を過ごすのイヤじゃない?まあ……信用までは至らないにしても、ある程度打ち解けた方がお互いやり易いと思うんだよね?」

紫紋がまるで子供の様にニッと笑った。

「もちろん紡木先生には内緒でね」



それから結局二人でくだらない話ばかりした。最近見たテレビの話や、音楽、友達と遊んだ話……。
最初乗り気じゃなかった零も塾での失敗談や、変わり者と評判の講師の話など面白おかしく話す紫紋の話に夢中になった。

「零くんが全然普通の子で良かったよ」

その言葉に零は苦笑いすると

「アイツが変な事言ったんでしょ?」

紫紋の瞳を覗き込んだ。

「アイツは昔から俺のこと嫌いだから」

「………そんな事ないでしょ」

「あるんだって!」

零が呆れる様に笑うと

「俺が自分に似て無いもんだから、母さんが浮気して出来たと思ってるんだって。前に母さんと叔母さんが話てるの聞いちゃったんだよね」

「まさか……」

「本当に!マジでバカだと思ったよ。……母さんがそんな事する訳ないのに……」

そう言って零は肩を竦めた。
確かに……どちらかと言えば色黒でガッチリした父親に対して透ける様な白い肌で細く華奢な零が親子だと分かる者はいないだろう。
かと言って母親にも似ていない。零の母親も不美人ではないが零ほど人目を惹く美しさはお世辞にも持ち合わせているとは言えなかった。

「俺の見た目が気に食わないんだよ。女みたいだってよく言われた。別に俺のせいじゃないのに……」

零は軽くそう言うと、また肩を竦めた。

「……俺が、学生の頃ここに何回か遊びに来させてもらったの覚えてる?実はその時、零くんと会ってるんだけど…」

突然そう言って今度は紫紋が零の瞳を覗き込んだ。

「……あー……ごめん。覚えてないや」

零は再び肩を竦めた。
父は零が幼い時から気に入った生徒を、よく自宅へ招いていたから正直いちいちどんな生徒がきたか覚えていなかった。

「そっかぁ……俺……存在感薄い?」

「え!?──あ………別にそういう訳じゃ……」

「けど、俺は……零くんをよく覚えてるよ。凄く綺麗な子だな…って思ったから」

そう言って優しく微笑むと零を見つめた。
今までの笑顔と少し違う、何かを含んだような真っ直ぐ見つめる瞳に、零は意味も解らず逸らせなくなっていた。

「だから……俺から見たら羨ましいけどね。すごく印象的で。ほら、俺存在感薄いから」

紫紋がふざけて自嘲的に笑って見せた。

「え!?……別にっ…本当にそういう訳じゃ」

零が慌てて取り繕うのを見て紫紋が「冗談だよ」と、イタズラっ子のように笑う。
そして零は、いつの間にか自分も笑っているのに気付き、紫紋との空間に心地良ささえ感じていた。



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