不可侵領域

千木

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 迫り来る触手を叩き切って、本体に飛び掛かる。十字架を持つ手に力を入れ直し、体重を掛けて思いきり貫くと、異形は黒い石を吐いて動かなくなった。それを拾う間も無く、もう一体。虫の居所が悪いセイは半ば乱暴に触手に攻撃を加える。ぼとりと地に落ち、気味悪く蠢くそれを踏み抜いて、本体に向かった。

「ーー!」

 本体から唐突に生えて来た、今まで無かった触手。けれど同じ手は食わない。嫌な記憶が蘇り、顔を顰める。一歩後ろに下がってから振り払うと、ぬるりとした液体が飛び散って、思わず鼻と口を塞いだ。
 その隙を逃すまいと、細い触手がセイの腕に絡まった。無理矢理引き千切る間に、もう一本が飛んできて、姿勢を立て直そうとして。
 不意に肩を掴まれたかと思うと、強い力で引き寄せられた。

「きゃ、」
「無理をしないで」

 片腕の中にセイをおさめて、レンは引金を引く。狂いなく本体に着弾し、黒い石が飛び散った。月の光さえ反射しない、闇を凝縮したような固形物は、ころころと地面に転がる。そうして、ようやく森は静けさを取り戻した。

「大丈夫でしたのに」
「攻撃に対して受身をとることは、ダメージ軽減の手段であって、大丈夫ではないと思うよ」
「……。すみません。少し間合いを詰めすぎました」
「どうしたの?今日は随分と落ち着かないね」

 腕の中にいたままの会話。異形の気配が無くなったことを確認して、レンは銃をしまう。任務に出てから数時間経ち、何回か休憩も挟んだのに、彼は何も言い出してこなかった。かくいうセイもどう切り出したら良いか悩み、段々痺れを切らして、それが言動に出始めていた。リミットは明日なのに、レンは普段通りで自分ばかり焦ってしまって、それを彼に宥められるのはどうにも居た堪れない。セイは少しだけ言い淀んだが、一息吐いてからレンに首を向けた。

「貴方こそ、どうしてそんなに冷静なのですか」
「え?いつも通りだと思うけれど……」
「それがおかしいんです。主任に随分なことを言われていたじゃないですか」
「……!どうしてそれを、」
「たまたま聞いてしまったんです。貴方が主任に、追放されそうになっていること……」
「……」

 レンは小さく、そうかと言った。特に動揺は見られなかった。それからセイを解放して、足元に落ちている石を拾いながら近くの倒木に腰掛けると、ちょいちょいと手招きする。セイが素直に従って隣に腰を下ろすと、そっと抱き寄せた。

「ごめんね。君に心配をかけることばかりで」
「それは構いません。言っていただけないのは、気に食わないですが」
「俺もどのタイミングで言おうか悩んでいた、と言ったら許してくれる?」
「……。言ってくだされば良いです」
「ありがとう」

 とんとんと背中を優しく叩かれ、あやすような行為にセイは頬を膨らませる。嫌ではないが、これでは自分が駄々をこねているようではないか。レンの顔は相変わらず上半分が隠されているが、焦りも悲観も見られない。本当にいつも通りで、それがセイには不思議でならなかった。

「良かった。君が他のシスターたちに嫌がらせを受けていると知って、心配していたから。それで気を揉んでいたわけではないんだね?」
「え?嫌がらせ……?」

 セイはきょとんとする。嫌がらせを受けた覚えは無かった。確かに、何人かが自分を見て何か囁いていた気はするし、時々不自然に私物が消えたりはしたけれど。そう言うと、レンは苦笑を浮かべた。

「それは、嫌がらせではないのかな……?」
「あまり気にしたことはありませんでした。別に私に実害はありませんでしたから。無くなるものは、すぐ代わりのきくものばかりでしたし」
「そう……気にしていないなら良いのだけれど」
「そもそも、何故神父様が知っているのですか?」
「たまたま現場に鉢合わせてね」
「なるほど」

 心当たりが有りすぎて、どの所為でそんなことをされているのかセイには判断が出来なかった。男を嫌う振る舞いか、神父に人気だからなのか、お高くとまっている(と思われている)からなのか、レンと一緒にいるからなのか。どれにしろ、そんな子供じみた愚行に興味は無く、セイにとってさほど問題ではなかった。それに、現場をレンに押さえられてしまったなら、きっと厳しく嗜められたのだろう。それで悪化しようものなら、いっそ呆れるだけだ。

「そんなことは良いのです。今は貴方のことでしょう」
「そんなことって……。まぁ、君が良いなら良いか……。うん、じゃあ話を戻すね」

 本当にどうでも良いことだったし、レンの現状より緊急性も無い。そう思っていたのに、レンは困ったように言葉尻を濁した。首を傾げるが、彼は自分のことより人の……セイのことを心配する優しい人だから、ある意味いつも通りではあった。しかし今そんな余裕があるならば……もしかして?

「どこから聞いていた?」
「いい加減に……という主任の言葉から」
「なんだ、殆ど全て聞いていたんだね。なら話は早いかな」
「……。何か策があるのですか?」
「うん。一応」

 やはり何か考えがあるようだった。セイは目を丸くしてレンを見つめる。自分は何も思いつかなかったから、その《策》とやらの内容について聞きたいが故の催促のつもりだったが、レンは言葉でなく、笑いながらキスをくれた。ちゃんとキスに応じて、唇が離れた刹那、セイの口は「ばか」と紡ぐ。そうではない。嬉しいが、今はそうではない。

「わかっているよ。ごめんね」

 悪戯っぽく肩を竦めるレンの腕をぺちぺちと叩く。痛くはないように、しかしやり場ない気持ちを乗せて。レンは避けようともせず甘んじている。それからもう一度、とんとんとセイの背中を撫でた。

「けれど、肩の力は抜けたかな」
「抜けすぎました。もう、心配していたのに」
「うん、わかっている。俺も本来なら、もう少し困惑している筈だからね。君が居るなら大丈夫と、楽観視しているところがあるのかな」

 そう言って、レンはセイの額に口づける。反論を必要としない言葉に内心喜んで、しかし臍を曲げた様子のまま、セイはレンの胸に埋まった。逞しい胸筋の感触。

「とはいえ、この方法はかなり無茶苦茶だよ。その割には一時的に凌ぐだけになる。根本的に解決は何もしない。しかも、君の許可が無いと成り立たない」
「前振りは要りません。貴方は話してくれれば良い。余程でない限り、私は否定しませんよ」
「ふふ、頼もしい」

 レンは笑って、そっと話し出す。

「まず、ーー」

 ーー。

「ならば、大都市に行くと言うのか」

 椅子に深く腰を掛けた主任は、深い皺を刻んで此方を睨みつけている。レンはゆっくりと頷いた。
 次の日。レンは夜を待たずに、セイを連れて主任の部屋へ訪れた。答えを出すために。不安な心をグッと堪え、真っ直ぐに主任を見据える。その背に、レンが優しく手を添えた。

「はい。俺の最大のデメリットである目が治療されれば、番はより見つけやすくなります。幾ら俺が教会で立場が上であるとはいえ、運命の相手が世話の掛かる障害者なのは……と、名乗りをあげてくれない女性も中にはいるのではと思うのです」
「……」
「また、総合病院のあるような大都市ならば、此処よりずっと女性との出会いがありましょう。性行為に至らなくとも、番であれば少し親密になるだけで強く惹かれ合い、どうあってもわかる筈なのです。そんな人に出会うためにも、知らぬ場所に滞在することは良い手ではないかと」
「その為に、私に治療費と当面の生活場所を提供しろと言うのかね?」
「お願い出来るのは貴方しかおりませんから」
「ふん、昨夜は偉そうな物言いをしていた癖に、結局は番探しをして此処に居座りたいと思うのではないか」
「俺はあくまで出会いを探すだけです。けれどこの数打ちは、急ぎで番を探す方法として有効だと考えます。そして、貴方にとって俺はかなり強めのカードだ。追放と言いはしたものの、今俺を下手に失うと、それだけで立場が不利になるのでは?」
「……脅すつもりか」
「とんでもありません。カードをより強化する方法をご提案しているのです。しかしその為の金もコネも、俺には無い。貴方のお力添えが必要という話です」
「………」

 言葉が飛び交う。それは落ち着いた声音なのに、強い力を帯びていた。まるで刃物のようだと、セイは息を飲む。水面下でぼこぼこに殴り合っている勢いだ。レンは事前にセイに話していた内容を、そっくりそのまま話しているだけなのだが。
 『主任を利用して、この場を一旦離れる』。これがレンの提案だった。まだ居住地を確保することは難しい二人が、しかし教会に居座ることも困難な状況で、なんとかやり過ごす方法。立場が危うい主任の状況を理解し、レン自身が最重要の手札であることを理解し、実際はレン以外に優秀な神父が主任の手中に居ないことを理解した上での方法。それはまさに恩を仇で返す形の、最大の親不孝だった。上手いこと回りくどく話し、それらしい体裁を装っているだけのハリボテ。いくらなんでも『主任が番を探せと強く言うから、女性に沢山会いに行く為に大都会に行きます』など贔屓の極みを言いふらされるのは主任も困るだろうから、表面上の名目として目の治療もそれらしく提案する。
 主任は暫く目を閉じていたが、やがてぎょろりと二人を見やった。

「いいだろう。但し期間は決めさせてもらう。そこまで啖呵を切るのだ、番を見つけずにのこのこと帰って来られるとは思ってはおるまい」
「もちろんです。その時には神に懺悔するつもりですよ」
「……。まずは治療に専念。その間も番探しは忘れるな。治療を終えてからは三ヶ月だ。それ以上は待たない」
「はい」
「治療の経過は、繋がりのある医者に毎回報告してもらい、直接支払う。その金を他に使うことや、治療を怠けようなどとは思わないことだ」
「むしろ、手間が省けて助かります」
「……それから、何故シスターがいるのだ」

 深い瞼の下の目が、セイに向いた。ぴくりと肩を震わせて、しかし一度深呼吸をすると、静かに言葉を紡ぎ出す。

「神父様の身の回りのお世話をしたいと、申し出ました」
「番探しをするのに、女の影は邪魔ではないのかね」
「ですが、見知らぬ土地で、目の見えない神父様が一人で生活するのは困難と考えます。シスターとして、神父様をお支えすることは職務の一環でもあります」
「……」
「それから、私は元々大都市に住んでおりました。流石に変化はあるでしょうが、大抵の地理は把握しております。必ずお役に立ちます」

 元の提案では、レンは一人で行くつもりだった。嫌がらせに対してセイが心を痛めていないのであれば、現段階でセイまで出て行く必要は無い。けれどその点に関してだけは、セイは強く反対した。何かしら理由をつけて、一緒に行くと。もちろんレンを疑っているわけではない。ただ、離れたくなかったのだ。
 自分がついて行くことに、きっと主任は嫌な顔をするだろう。それで計画を全て白紙にされてしまうならば他を考えないといけないが、傍に居続けることを強く求めるセイに、レンは割と簡単に折れた。本心は、レンも同じだったから。

「ふむ。ならばシスターよ。一つ誓いなさい」
「……はい」
「レンの番探しの邪魔はしないと。お前は番でも何でもない。あくまで職務に勤しむのみと。もしレンが番を見つけられなかった時には、お前にも責任をとってもらう」
「ッ、」

 レンが心配そうにセイを見た。流石に二人が《何も無い関係》とは主任だって思ってはいない。あえて言わせようとしているのだろう。にやにやと汚い笑みを浮かべている主任に、しかしセイはにっこりと笑った。可憐に、穏やかに。場違いな笑顔に面食らった男二人を気にすることなく、徐に胸元で手を組んで目を閉じる。

「誓います。私は、神父様が運命のお相手を見つける為、誠心誠意お仕えいたします。その障害になることは、決していたしません」
「……ふん。その言葉を忘れるな。いいか。お前たちに退路は無いぞ」
「ありがとうございます。主任」
「早く行け。一週間後には準備を整えろ」
「はい」

 二人は部屋を後にする。詰まっていた息が二つ重なって吐かれる。こんな喧嘩腰の案が通るとなると、自分たちが思うより主任は窮地に立たされているのだろうか。あまり下手に出てはつけ込まれてしまうからと、だいぶ乱暴な言い回しになったわけだが、結果が良ければなんでも良い。

「セイ、大丈夫?」
「何がです?」
「最後に言っていたこと、」
「あぁ……。性格の悪いことですね。だから好きではないのです」

 小さく憤慨するセイの顔を、レンは心配そうに覗く。それからまた、「ごめん」と紡ぎかけた唇を、セイは人差し指をあてて塞いだ。

「あんなものに傷つくほどではありません。貴方と居られるなら、何とでも嘘を吐きますよ」
「……はは、本当に君は強い女性だな」
「褒めてます?」
「もちろん」

 鐘の音が響く。昼食の時間だ。確か担当のシスターたちがサンドイッチを作っていた。たまごとツナと、それから別にフルーツが挟まったもの。そう考えると、無性に空腹感に襲われた。

「お腹がすきました。行きましょう、神父様」
「……うん。行こう」

 レンの手を引いて歩き出す。そうすればレンはようやく顔を緩ませてくれた。緊張していたのはわかっていたし、主任がセイに言い放ったことに対して怒ってくれたこともわかっていたから、彼が微笑むのを見てセイも笑った。
 今日も天気はとても良い。サンドイッチを受け取ったら、中庭のベンチで食べよう。蕾をつけ始めた百合の花を眺めながら。
 そう考えながら、二人は食堂へと向かった。
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