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優しい姉
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私には、2歳上の姉がいた。
私は、早産で未熟児に産まれ、幼い頃は、体が弱くよく熱を出す子供だった。
そんな私は、姉にとって母の愛情を独り占めする邪魔な存在だったと思う。
姉は、離婚した父親そっくりだと母が常々言っていた。
いつからだろうか、、、
姉からの暴力が、始まった。
一緒に幼稚園に通う頃は、姉の後ろにくっついていた。
私の住んでいた田舎では、気に入らない子を1人づつ、仲間外れにするのが流行っていた。
私の番が回ってきた時、
姉は、「妹は、母に告げ口するよ!」と私を守った。
姉の勉強机を漁り、喧嘩になる事もしばしばあったが、熱を出して1人で眠っていると、アイスで私の額を冷やした。
あの時の、アイスの冷たさと姉の表情を今でも覚えている。
姉の不満が爆発したのはいつなのか……
幼かった私が思い出せるのは、姉に殴られ、泣く自分。ヨダレを垂れ流しフローリングに水溜まりができた。それがとても気持ち悪かった。
そして、離れた所から私たちを見る、
母と、祖母。どんな表情なのか、涙でいっぱいの私にはみえなかった。
姉は、素行が悪かったらしく、小学校にあがる頃には、学校に母がよく呼び出された。
私が4年生になる頃、扁桃腺炎の手術をした。熱を出すことはあまりなくなった。
……残念なことに、休み癖のついた私は、小学校にあがっても言い訳をしてはよく休んだ。
私の事でも、母は、よく学校に呼び出された。
小学校時代には、姉は言葉の暴力を覚えた。
「○○君があんたの事嫌いだって!」
「○○ちゃんも、嫌いって言ってた。」
嫌われ者!! 嫌われ者!! 嫌われ者!!
姉は、その言葉を繰り返した。
私は、学校を休むことが多くなった。
今なら分かる。
あの言葉は、姉に向けて使われていたものだった。
姉は嫌われ者だった、、、
私に敵意を向けることで、自分自身の心を守っていたのだ。
中学に上がるまでは、まだ良かった。
私が中学生になる頃には、暴力は酷くなっていった。
私は、早産で未熟児に産まれ、幼い頃は、体が弱くよく熱を出す子供だった。
そんな私は、姉にとって母の愛情を独り占めする邪魔な存在だったと思う。
姉は、離婚した父親そっくりだと母が常々言っていた。
いつからだろうか、、、
姉からの暴力が、始まった。
一緒に幼稚園に通う頃は、姉の後ろにくっついていた。
私の住んでいた田舎では、気に入らない子を1人づつ、仲間外れにするのが流行っていた。
私の番が回ってきた時、
姉は、「妹は、母に告げ口するよ!」と私を守った。
姉の勉強机を漁り、喧嘩になる事もしばしばあったが、熱を出して1人で眠っていると、アイスで私の額を冷やした。
あの時の、アイスの冷たさと姉の表情を今でも覚えている。
姉の不満が爆発したのはいつなのか……
幼かった私が思い出せるのは、姉に殴られ、泣く自分。ヨダレを垂れ流しフローリングに水溜まりができた。それがとても気持ち悪かった。
そして、離れた所から私たちを見る、
母と、祖母。どんな表情なのか、涙でいっぱいの私にはみえなかった。
姉は、素行が悪かったらしく、小学校にあがる頃には、学校に母がよく呼び出された。
私が4年生になる頃、扁桃腺炎の手術をした。熱を出すことはあまりなくなった。
……残念なことに、休み癖のついた私は、小学校にあがっても言い訳をしてはよく休んだ。
私の事でも、母は、よく学校に呼び出された。
小学校時代には、姉は言葉の暴力を覚えた。
「○○君があんたの事嫌いだって!」
「○○ちゃんも、嫌いって言ってた。」
嫌われ者!! 嫌われ者!! 嫌われ者!!
姉は、その言葉を繰り返した。
私は、学校を休むことが多くなった。
今なら分かる。
あの言葉は、姉に向けて使われていたものだった。
姉は嫌われ者だった、、、
私に敵意を向けることで、自分自身の心を守っていたのだ。
中学に上がるまでは、まだ良かった。
私が中学生になる頃には、暴力は酷くなっていった。
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