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4、〈王気〉なき王女
アルベラの覚悟
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十年前、アルベラの即位を拒否され、混乱を収めるためにウルバヌスは渋々、ユウラ女王の即位を認めたものの、機会を見て退位させるつもりでいた。しかし、即位直後に女王の夫ユーシスが急死し、ウルバヌスが忙殺されている隙に、ギュスターブはあろうことか夫を失くして間もないユウラ女王と無理矢理関係を持ち、自ら執政長官になろうと結婚を強行したのだ。ウルバヌスの耳には、ユーシスの死因もギュスターブによる謀殺だとの噂が入ってくる。
ウルバヌスはギュスターブの犯行を確信した。事の真相を明らかにすれば、イフリート公爵家自体の破滅を招く恐れすらある。ユウラ女王の夫に納まった息子を、ウルバヌスは追認する以外になかった。
ウルバヌスにとって、ユウラ女王もその娘アデライードも、見かけばかり美しい中身のない愚かな小娘にしか見えなかった。男というミツバチを誘う、蜜を湛えた美しいだけの無力な花。それも〈王気〉という淫靡な毒を仕込まれ、背後から〈禁苑〉によって操られているのである。
ウルバヌスは決意した。いずれ、〈禁苑〉の柵から脱した女王を戴き、真に民衆の立場にたった政権を打ち立てるのだ。その女王位には、〈王気〉を持たぬわが娘こそ相応しい。ユウラもアデライードも、古き因習とともに切り捨てねばならぬ。
だが、どうやらギュスターブの考えは異なるようだ。むしろ〈王気〉を持つユウラとアデライードを囲い込み、利用しようという腹らしい。しかし、ユウラはギュスターブを受け入れず、正式な執政長官の就任に必要な神器を娘アデライードに渡し、ギュスターブの手に渡らぬよう、聖地に持って行かせたのだ。その結果、ギュスターブは執行長官に就任できなくなった。息子ギュスターブには執政長官の器量はないと考えていたウルバヌスは、この機会を利用してアデライードを亡き者にし、アルベラのために神器を手に入れようと刺客を送り込んだ。だが、その目論見は失敗に終わる。アデライードの暗殺は失敗し、神器の行方はわからないままだ。この時から十年間にわたる、ウルバヌスとギュスターブ親子の、アデライードの命を巡る攻防戦が続くことになる。
アデライードは〈禁苑〉に匿われ、〈禁苑〉に育てられた〈禁苑〉の犬だ。
アデライードを殺し損ねたツケは、最悪の形で巡ってきたと言えるだろう。
〈聖婚〉――。
〈禁苑〉はあろうことか、東の帝国を抱き込み、女王の夫として東の皇子を送り込もうとしているのだ。女王国の自治を奪い、完全に帝国の傘下に置こうと企てる暴挙だ。
ウルバヌスは何としてもアデライードを亡き者にしようと、決意を新たにした。
「アルベラ、そなたを呼んだのは、そなたの覚悟を問うためだ」
ウルバヌスは、愛情を込めた眼差しで娘を見つめる。亡き妻アライア女王と同じ、翡翠色の瞳。西の女王家に代々受け継がれる色の瞳を大きく見開き、背筋を伸ばして父の言葉を待つ愛娘は、しかし龍種の証としての〈王気〉を持たず、〈禁苑〉から即位を認められない。だがそれでも、父はこの娘の持つまっすぐで折れない心と怜悧な頭脳、そして国と民に対する愛情の深さこそ、女王たるに相応しい資格だと確信している。
「アルベラ、そなたは女王になる覚悟があるか?」
静かな問いかけに、アルベラは間髪を入れずに頷く。
「もちろんです、お父様。どのような困難にあっても、誠心誠意、女王として生を全うする所存です」
ウルバヌスは紫紺の瞳をやや眇め、試すように聞く。
「その手を、血に塗れさせてもか?」
アルベラは一瞬、息を呑んで自らの右の掌を見る。
「……覚悟の上です」
心持ち顔を上気させ、アルベラは父の目を見て言いきった。
「……そなたが女王になるためには、アデライードには死んでもらわねばならぬ」
アルベラは絶句する。みるみるその顔からは血の気が引いていく。だが、娘のその様子を見ながらも、ウルバヌスはなおも続ける。
「アデライードには何の罪もない。何の力もなく、聖地に押し込まれ、家族とも引き離され、娘らしい楽しみも知らずに育った。非力で、愚かな娘だ。しかしそれ故に、〈禁苑〉はあの娘を傀儡に押し立て、東の帝国皇子を引き込んで、西の我が国を支配しようとしている。無力は罪なのだ。我が国を守るためにも、死んでもらわねばならぬ」
「父上!」
ウルバヌスの言葉に、ギュスターブが反論する。
「アデライードを殺すのは反対です。生かしておけば使いようもある。……はっきり言いますが、アデライードが死んだところで、〈禁苑〉は〈王気〉のないアルベラの即位には首を縦に振りますまい」
ギュスターブが忌々しげに赤毛の異母妹を見て言うのに、アルベラは唇を噛む。
「これまで、幾度も送り込んだ刺客から、アデライードの暗殺を邪魔したのはおぬしであろう」
ウルバヌスが眉間に皺を寄せて言うと、ギュスターブは頷く。
「神器の在り処もわかりません。アデライードが隠しているに違いないのです。殺してしまえばそれまでだ」
ウルバヌスは首を振った。
「もはや神器など意味を持たぬ。アデライードと〈死神〉の婚姻が成立すれば、東の軍隊はアデライードの即位を要求してソリスティアからこちらになだれ込んでこよう。一刻の猶予もならぬ。……アデライードと〈死神〉、二人ともに死んでもらうしかない」
「父上!……それでは西の……陰の龍種が死に絶えてしまいます!」
ギュスターブの言葉に、ウルバヌスは表情を変えることなく言い放った。
「龍種など、絶えてしまえばよい。女王は〈禁苑〉の……天と陰陽の支配から自由になるべきだ」
ウルバヌスはギュスターブの犯行を確信した。事の真相を明らかにすれば、イフリート公爵家自体の破滅を招く恐れすらある。ユウラ女王の夫に納まった息子を、ウルバヌスは追認する以外になかった。
ウルバヌスにとって、ユウラ女王もその娘アデライードも、見かけばかり美しい中身のない愚かな小娘にしか見えなかった。男というミツバチを誘う、蜜を湛えた美しいだけの無力な花。それも〈王気〉という淫靡な毒を仕込まれ、背後から〈禁苑〉によって操られているのである。
ウルバヌスは決意した。いずれ、〈禁苑〉の柵から脱した女王を戴き、真に民衆の立場にたった政権を打ち立てるのだ。その女王位には、〈王気〉を持たぬわが娘こそ相応しい。ユウラもアデライードも、古き因習とともに切り捨てねばならぬ。
だが、どうやらギュスターブの考えは異なるようだ。むしろ〈王気〉を持つユウラとアデライードを囲い込み、利用しようという腹らしい。しかし、ユウラはギュスターブを受け入れず、正式な執政長官の就任に必要な神器を娘アデライードに渡し、ギュスターブの手に渡らぬよう、聖地に持って行かせたのだ。その結果、ギュスターブは執行長官に就任できなくなった。息子ギュスターブには執政長官の器量はないと考えていたウルバヌスは、この機会を利用してアデライードを亡き者にし、アルベラのために神器を手に入れようと刺客を送り込んだ。だが、その目論見は失敗に終わる。アデライードの暗殺は失敗し、神器の行方はわからないままだ。この時から十年間にわたる、ウルバヌスとギュスターブ親子の、アデライードの命を巡る攻防戦が続くことになる。
アデライードは〈禁苑〉に匿われ、〈禁苑〉に育てられた〈禁苑〉の犬だ。
アデライードを殺し損ねたツケは、最悪の形で巡ってきたと言えるだろう。
〈聖婚〉――。
〈禁苑〉はあろうことか、東の帝国を抱き込み、女王の夫として東の皇子を送り込もうとしているのだ。女王国の自治を奪い、完全に帝国の傘下に置こうと企てる暴挙だ。
ウルバヌスは何としてもアデライードを亡き者にしようと、決意を新たにした。
「アルベラ、そなたを呼んだのは、そなたの覚悟を問うためだ」
ウルバヌスは、愛情を込めた眼差しで娘を見つめる。亡き妻アライア女王と同じ、翡翠色の瞳。西の女王家に代々受け継がれる色の瞳を大きく見開き、背筋を伸ばして父の言葉を待つ愛娘は、しかし龍種の証としての〈王気〉を持たず、〈禁苑〉から即位を認められない。だがそれでも、父はこの娘の持つまっすぐで折れない心と怜悧な頭脳、そして国と民に対する愛情の深さこそ、女王たるに相応しい資格だと確信している。
「アルベラ、そなたは女王になる覚悟があるか?」
静かな問いかけに、アルベラは間髪を入れずに頷く。
「もちろんです、お父様。どのような困難にあっても、誠心誠意、女王として生を全うする所存です」
ウルバヌスは紫紺の瞳をやや眇め、試すように聞く。
「その手を、血に塗れさせてもか?」
アルベラは一瞬、息を呑んで自らの右の掌を見る。
「……覚悟の上です」
心持ち顔を上気させ、アルベラは父の目を見て言いきった。
「……そなたが女王になるためには、アデライードには死んでもらわねばならぬ」
アルベラは絶句する。みるみるその顔からは血の気が引いていく。だが、娘のその様子を見ながらも、ウルバヌスはなおも続ける。
「アデライードには何の罪もない。何の力もなく、聖地に押し込まれ、家族とも引き離され、娘らしい楽しみも知らずに育った。非力で、愚かな娘だ。しかしそれ故に、〈禁苑〉はあの娘を傀儡に押し立て、東の帝国皇子を引き込んで、西の我が国を支配しようとしている。無力は罪なのだ。我が国を守るためにも、死んでもらわねばならぬ」
「父上!」
ウルバヌスの言葉に、ギュスターブが反論する。
「アデライードを殺すのは反対です。生かしておけば使いようもある。……はっきり言いますが、アデライードが死んだところで、〈禁苑〉は〈王気〉のないアルベラの即位には首を縦に振りますまい」
ギュスターブが忌々しげに赤毛の異母妹を見て言うのに、アルベラは唇を噛む。
「これまで、幾度も送り込んだ刺客から、アデライードの暗殺を邪魔したのはおぬしであろう」
ウルバヌスが眉間に皺を寄せて言うと、ギュスターブは頷く。
「神器の在り処もわかりません。アデライードが隠しているに違いないのです。殺してしまえばそれまでだ」
ウルバヌスは首を振った。
「もはや神器など意味を持たぬ。アデライードと〈死神〉の婚姻が成立すれば、東の軍隊はアデライードの即位を要求してソリスティアからこちらになだれ込んでこよう。一刻の猶予もならぬ。……アデライードと〈死神〉、二人ともに死んでもらうしかない」
「父上!……それでは西の……陰の龍種が死に絶えてしまいます!」
ギュスターブの言葉に、ウルバヌスは表情を変えることなく言い放った。
「龍種など、絶えてしまえばよい。女王は〈禁苑〉の……天と陰陽の支配から自由になるべきだ」
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