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10、辺境伯ユリウスの遺恨

〈聖婚〉への異議

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「公聴会……」
「そろそろだろうとは思っていた。おそらく公聴会でまず矢面に立たされるのは、ほかならぬ後見人であるおぬしだぞ。公聴会は来月の月蝕祭げっしょくさいに開催される。公聴会でギュスターブに対面して、取り乱すなよ」

 〈聖婚〉にも貴族の婚姻の例に照らして、陰陽宮の公示後、三か月間の異議申し立て期間がある。だが、〈聖婚〉というのは結婚相手の選定から何まで、全てのお膳立てを〈禁苑〉主導で整えるので、普通は異議申し立てなどなされない。

「これまでの〈聖婚〉で異議が申し立てられたことなんか、あるの?」

 ユリウスの疑問に、恭親王が側に立っていたメイローズに視線を向ける。

「〈聖婚〉の皇子に強姦され、子供ができたと言って女が訴え出たことがありました。……調べてみると、その子供は皇子の子ではなく、女は別の皇子の意を受けて、〈聖婚〉を壊そうとしてのことと明らかになりました」
「結局どうなったのだ」
「神聖な〈聖婚〉を妨げたとして、主犯の皇子は生涯押し込めに、女は神殿娼婦として奉仕することを命じられ、子は僧院に。その〈聖婚〉は滞りなく遂げられました……千年ほど前のことでございますけれど」

 〈聖婚〉の王女に横恋慕した東の皇子が仕組んだことであったという。まだ〈聖婚〉が現在の形でなく、一人の王女を複数の皇子が争った時代の出来事だ。恭親王には〈聖婚〉を壊そうとした皇子の気持ちがよくわかる。もしアデライードの相手が別の皇子だったらと思うと、はらわたが灼けるほど苦しかった。
 
「そういう陰謀まで仕掛けてこられるとなかなか厄介だが、しかし、私が初婚じゃないのは皆知っているし、今更私が強姦したくらいでは、〈聖婚〉は取りやめにはならないだろう……」

 何せ〈狂王〉ユエリンだ。強姦など朝飯前だと思われているだろう。不愉快だが、噂とはそういうものだ。
 
「それにしても、ギュスターブは義父とはいえ、王女を養育した実績があるわけでなし、異議を申し立てるにはあまりに関係が遠くないか」
「イフリート公爵とギュスターブで、いろいろと意見の相違がありそうだね」

 ユリウスもうんうんと頷く。

「まあ、僕だって〈禁苑〉にごり押しされなければ、アデライードの結婚なんて、そんな簡単には許すつもりはなかったし、この結婚がつぶれてもどうってことはないんだけどな」

 ユリウスの言葉に、恭親王は少し考えながら言う。

「アデライード姫が公の場に出るのは婚約式に続いて二回目になる。ギュスターブの思惑とは逆に、私とアデライード姫の婚約を印象付けるにはいい機会かもしれない」
「でも暗殺するにもまたとない機会だよ」

 恭親王もやや眉根を寄せる。

「まったくだな……。聖地で立ち回りとなると、こちらも兵力を割けないし、いろいろ厄介なのだが」

 恭親王としては、目の前で婚約者を殺させるわけにはいかない。だが、隠して閉じ込めておくわけにもいかないというジレンマがある。

「早く総督府に連れて帰りたいが……そうもいかないのだな」

 恭親王が溜息をついた。

「でも、月蝕祭を襲うなんて、バレたら破門だよ。イフリート公爵は破門されてもいいくらいの捨て身でくるのかな?」

 ユリウスが呆れたように言うのに、恭親王もグラスを傾けながら言う。

「破門くらい何とも思っていないだろう。――少なくとも公爵は。それどころか、〈禁苑〉三宮の長もろとも、大量毒殺する気満々だったからな」

 この世界の宗教は、辺境の魔物を信奉する蛮族以外はすべて、聖地の〈禁苑〉の教えを奉じている。〈禁苑〉から破門されれば、死後の救済もなく〈混沌〉の闇の中で永遠に彷徨さまよわねばならないとされる。およそ中原に属する人間で、〈禁苑〉から切り離されて生きることはできないはずだ。
 ユリウスが発泡白葡萄酒を飲み干して、グラスをテーブルに置いた。

「公爵は世俗主義者だから、いっそのこと〈禁苑〉をぶっ壊すつもりかもよ? ギュスターブの方が、旧来の体制にこだわりがあるような気がする」
「なるほど、息子の方が頭が固いのか」

 恭親王がレモンを絞った岩ガキをつるりと口に入れて言った。横で新しい葡萄酒を開けて、給仕していたメイローズが言う。
 
「……もしかすると、婚姻前に姫君を別邸にお連れしたことを攻撃材料にしてくるかもしれませんね」

 ユリウスが我が意を得たとばかりに恭親王を詰る。
 
「それだ!結婚前の令嬢を、別邸に引き込んで! アデライードがふしだらの謗りを受けたらどうしてくれる!」

 飲み込んだ岩ガキを喉にひっかけて咽せながら恭親王が反論する。

「言っておくが、あのまま修道院に置いておいたら、確実に殺されていたぞ!」
「だからと言って、兄である僕に一言の断りもなく、修道院から出して邸に連れ込むなんて! しかもエイダを追っ払っているし。アデライードを好きにしたかったと勘繰られても仕方がないよ」

 恭親王が苦い顔でメイローズを見て言った。

「ほら、お前がきちんと根回ししておかないから、こういうことになる」

 メイローズが眉を八の字にして恐縮した。

「申し訳ありません。情報の漏洩ろうえい元がユリウス卿ではないかと、疑っておりましたので……。しかし正式に婚約した令嬢が、花嫁修業と称して婚家に同居するのは別に普通のことです。とりたてて非難されることでもないはずなのですが」
「東では普通かもしれないけど、西の貴族はあまりしないよ。付添人も無しなんて、あり得ない」

 ユリウスの指摘に、恭親王が頭を掻く。

「まあ、エイダを追い払ったことは邪推を生むかもしれないが、間諜を邸に入れるわけにはいかないからな」

 メイローズが主に向ってもう一度頭を下げた。

「あの愚鈍そうな女が間諜とは、思いもよりませんでした。私の失態です」
「まあ、あの日も私は別邸に泊まらずに引き上げているし、その後は聖地に足も踏み入れていない。物理的にどうこうできる状態ではないし、実際何もないのだから、そう言い張るしかないな」

 そこで恭親王がその話はそこまでにしようとした時、ふとユリウスの様子がおかしいことに気づく。

「ユリウス?」
「その……兄としてはさ、やっぱりすごーく気になるのだけれど……本当に、天と陰陽に誓って、やましいことはないと、誓える?」

 一瞬、恭親王が視線を泳がせたのを、ユリウスの灰青色の瞳は見逃さなかった。
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