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36、愛か、義か

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「ミレイユ、すまない、それはできない」
「ラファエル?」
「俺は――いや、君は別の男との結婚が決まっているのだろう? そういう女性とは、無理だ。神への誓いを裏切る行為だと思う」
「――わたくしが、他の人のものになってもいいの?」
「さっきも言ったけれど、俺は君の結婚に異議を申し立てる立場にない。君の幸せを祈ることしかできない。嫁ぐ前から裏切り行為をさせるわけにはいかない」

 他の女を愛しているからと言わないのは、自身の卑怯さだと自覚しながら、ラファエルは言葉を選ぶ。

 ――そうか、セルジュが言っていたのは、このことか。

 セルジュはきっと、ラファエルの心がすでにジュスティーヌにあると見抜いていて、それを自覚せずにミレイユを切ろうとしたことを、卑怯だと言っていたのだ。今、ようやくジュスティーヌへの愛を自覚して、ラファエルは自身の卑怯さを思い知る。

「すまない、ミレイユ。――俺は、もう戻る。さようなら。幸せに」
「ラファエル――」

 追いすがるミレイユを振り切って、ラファエルは逃げるようにその場を後にする。速足で四阿を出て、庭を横切ろうとすると、そこにはなんとジュスティーヌが立っていた。

「――姫?! なぜ、ここに……」

 見れば、背後にはセルジュが気まずそうな表情で頭を掻いている。

「その――月が綺麗なので、噴水の池に映る姿を見たいと思って――セルジュにラファエルを呼びに行ってもらったのですが、あまりに遅いので……ごめんなさい、その――わたくし、何も知らなくて……きっとあなたにご迷惑を――」
「今の話を聞いたのですかっ……」
「いえ、はっきりとは……ただ、その――噂だの、姫君に心変わりだの、裏切り者だの――その、ごめんなさい。あなたに恋人がいたら、どんな風に思うか、想像すらしなくて。きっと辛い思いをさせてしまったわ。もし、何でしたら、わたくしの口から、すべてただの噂で、誤解だと説明を――」
 
 ラファエルは膝から崩れ落ちそうな気持になる。よりによって、一番、聞かれたくない話が聞かれてしまっていた。――そこだけ、ミレイユが興奮して叫んでいたからしょうがないのだが――。

「いえ、その……、誤解は解きましたので、大丈夫です」
「では、仲直りをなさった?」
「いえその――」

 ラファエルはそっと背後を振り返る。ぼやぼやして、姫君とミレイユが鉢合わせするのだけは避けたかった。

「ここでは何ですから、あちらの、別の庭に参りましょう」
「でも、あの方はもう、よろしいの?」
「彼女との話はケリがついています」
「でも――」

 ラファエルはとにかく、ジュスティーヌをその場から連れ出そうと必死だ。セルジュが気をかせて、言った。

「隊長と姫君は、あちらの、蓮池の方に行ってください。俺は、その女性を安全なところに送ってきますから」
「お願いします――」

 ジュスティーヌは納得していないようだったが、とにかく強引にその場から遠ざけて、ラファエルは二人で蓮池の畔までやって来ると、石のベンチの夜露を拭ってジュスティーヌを座らせる。

「あなたも座ってください。これではお話ししづらいわ」
「では、失礼して――」

 遠慮しながらラファエルも腰を下ろし、溜息をつく。蓮池にの水面に月が映しだされ、風に揺れる。

「どうもみっともない場面をお見せしてしまいました」
「いいえ――わたくしが無神経だったせいで、彼女はずいぶん、辛い思いをしたのではないかと思って――できれば、わたくしから謝罪を――」
 
 ラファエルは首を振る。 
 
「誤解は解けましたから。俺と、彼女がダメになったのは、そのせいではなくて、もともと彼女の父が俺との結婚を認めてくれなかったせいです」
「お父様が――」
「それで、彼女は父親の言う相手と結婚が決まって――最後に別れを言いたいということだったので、すぐに済むと思って会いに行ったのですが……いきなり、駆け落ちを持ち掛けられまして」
「駆け落ち――」
「でも、彼女の親ももちろん、うちの親も結婚には反対なのです。駆け落ちしても、行く場所もないし、俺は王宮の騎士の職を失ったら、傭兵にでもなるしかありません。彼女だって、貧乏暮らしに耐えられるわけがない。何より、俺は王家に恩と忠誠を尽くす義務がありますので、それを捨てて女を取るようなことはできないと、断ったのですが――」

 内心、ラファエルは冷たいと思いながら、ジュスティーヌは黙って聞いていた。
 
「姫との噂を持ち出して、心変わりしたのだろうと責められて、少し焦りました。一応、納得はしてくれたようですし――」
 
 頭に手をやって、はあ、とため息をつくラファエルを見て、ジュスティーヌは尋ねる。

「でも、ラファエルはそれでいいのですか? 好きな人が、他の人と結婚して、それで、平気なのですか?」
「平気――ではありませんが、俺は代々、王家より領地を拝領し、忠誠を尽くしてきた家の出です。今も王家の騎士として仕えている。すべてを捨てて女と逃げるのは、無責任でしょう。貴族として生まれ、領民に支えられて生きている以上、領地と王家に対する責任は果たすべきだと思うのです」 
「愛を――犠牲にしても?」 
「愛は大切なものですが、それに溺れて義を捨てれば、不忠です。人の上に立つものは、それだけの義務と、犠牲を払うべきだ俺は思いますが――姫君も、そうやって嫁がれたのでしょう?」

 そう、ジュスティーヌを見つめれば、ジュスティーヌははっとして、蓮池の中の月を見る。

「それは――」
「彼女は、愛のために義を捨てろと俺に迫った。俺は、それはできないと言ったのです」 
 
 ジュスティーヌは、しばらく無言のまま、水に映る月を見つめていた。
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