【R18】渾沌の七竅

無憂

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一竅

20、我慢の限界

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 翌日、棚の上に置いておいた竹籠を目ざとく見つけたデュクトは、休暇で皇宮外に出た侍女が調達してきたと聞き、それを没収した。

「そのような怪しい出自の食物を、殿下に食べさせるわけにはまいりません」

 デュクトは、三人の侍女たちを恭親王の居間に呼びつけると、彼女たちをこっぴどく叱責した。部屋のタイルに膝をついて並ばせ、厳しい言葉で詰り、懲罰房に入れて仕置きをさせると言い出した。

 シウリンは昨夜も食べたが問題なかったこと、彼女たちの純粋な好意に基づくものだからと、デュクトを止めるが、聞く耳を持たない。

「懲罰房に入れられると、どうなるの?」

 シウリンが尋ねると、デュクトは平然と言った。

「罪状にもよりますが、棒叩きの刑でしょうな。まあ、一人十打もすれば……」

 侍女たちが真っ青になって身を寄せ合うのを見て、シウリンは何としても止めなければと思う。

「そんなこと、やめてよ! 僕のために買ってきたのだというのに!」
「こんな下らぬ菓子を殿下に差し上げて、歓心を買おうという、醜い心根は正さねばなりません!」
「違うよ! 蕎麦粉入りの菓子を僕が食べたいと言ったから! 下らぬ菓子を食べたがった僕を棒叩きにすればいいじゃないか!」

 その場はメイローズが間に入り、休暇で買ってきた菓子に対し、棒叩きはさすがに行き過ぎであると、デュクトを諌め、何とか棒叩きだけは回避された。

 しかし、デュクトは侍女たちの買ってきた菓子を足で踏みつけて屑物入れに棄てると、侍女たちに謹慎を命じた。
 食べ物を足で踏みつけるという行為に、シウリンは眩暈と同時に、絶対に理解し合えぬ大きな懸隔を感じたが、何かいいかけるのをメイローズが首を振るので、かろうじて堪えた。

「成人前の皇子の教育において、傅役の権限は絶対なのです。あれ以上殿下が逆らって、傅役殿が臍を曲げれば、本当に懲罰房に送られてしまいますよ」

 デュクトが下がった後、メイローズがそっとシウリンに言った。

「三人はクビになったりは、しない?」
「わが主が大人しくしていれば、おそらく大丈夫だとは思いますが……」
「でも、僕はデュクトの言うことを何でも聞かなければならないの?殿下だ、皇子だとちやほやされているけれど、傅役に逆らえないのだとすれば、それは要するに、皇子の権力をかさに、傅役が何をしてもいいことになってしまうじゃないか」

 シウリンの懸念に、メイローズが答える。

「皇子の場合、その母君と傅役が相談して物事を決めることがほとんどです。わが主の場合は、特に賢親王殿下が後見役としてついていますが――」

 母の皇后というのは、一度あっただけでまったくアテになりそうもない。あるいは賢親王ならば、少しは話を聞いてくれるかもしれない。シウリンがそう考えながら、三人の無事を祈っていたころ。

 まるでシウリンの神経を逆撫でするかのように、夕食の給仕にカリンたち三人ではない、全く知らない女たち三人が現れて、シウリンは脳みそが沸騰しそうなほどの怒りを感じた。

 本来、シウリンは穏やかな性格で、何に対しても声を荒げたりしない。そのシウリンがまさに烈火のごとく激怒した。

「メイローズ、……食事はいらない。そんな知らない女が給仕したものは食べられない。すぐにデュクトとゲルを呼んでくれ」

 低い、静かな声でシウリンが言った。メイローズは、彼の周囲に怒りの焔が立ち上っているのを視る。普段は金色の龍のように見える〈王気〉が赤味を帯び、口から焔を吹き上て、それ自体が自在に形を変える焔のようでもあった。

 シウリンは食事に手を付けずに立ち上がると、寝室に入って扉をぴしゃりと閉めてしまった。

 主の〈王気〉に表れた怒りのすさまじさは、メイローズ以外に視えない。ここ二月ほどの様子から、デュクトも侍女たちも、そしてメイローズですら、シウリンが声を荒げる場面を見たことがない。自分たちは今まで、何をしても怒らない、扱いやすい少年だと思っていたが、それは間違いだったのではないか。

 メイローズはとにかく侍女たちを下がらせ、宦官のフォンとルウにデュクトとゲルを呼びに行かせ、気分を落ち着かせる薬草茶を淹れると、先ほどから物音ひとつしない寝室に向かって声をかけた。

「わが主よ。すでに侍女たちは下がりました。……お茶だけでもお飲みになりませんか」

 扉を押すとあっさり開いた。鍵はかけていなかったのだ。
 シウリンは寝台の上で胡坐をかき、姿勢を正して目を閉じていた。〈王気〉の龍の動きは収まっていたが、まだ色が赤い。怒りは収まっていないのだ。

 メイローズが寝台脇の卓上にお茶を置くと、シウリンは紙と硯箱を持ってくるように言いつけた。メイローズが言われたものを主に渡せば、シウリンがさらさらと文字を書く。右手で文字を書くのもかなり上達した。メイローズはシウリンの努力を間近で見るだけに、その素直で勤勉な性格を好ましいと思っている。

(率直に、この方以上の皇子など、滅多にいらっしゃらない。……正傅殿も、もう少し現実を見て、譲歩するべきなのに)

 冷静に見て、シウリンに対するデュクトの態度は大人げないの一言に尽きる。その一方で、シウリンを見るデュクトの視線に、何とも言い難い劣情のようなものをメイローズは感じ取る。特にシウリンがデュクトに見せる背中やほっそりしたうなじの線、少年特有のまだ華奢な肩口、平板な腰に、デュクトが粘りつくような視線を這わせているのを感じる。メイローズはそのたびに極めて不快な気分になるが、見ないフリをしてきた。

 シウリンに対する歪んだ愛情と、亡きユエリン皇子へのやり切れない思いが交錯し、デュクトをがんじがらめにして身動きを取れなくしているのではないかと、メイローズは思う。

(一度、距離を置いた方がいいと思うのだけれど……)

 だが、メイローズの立場では口にだせぬことである。

 シウリンは手紙を書き終わると、それを宦官に言づけ、兄の賢親王のもとに届けさせた。シウリンがお茶を飲んでいるうちに、ゲルが来た。正副の傅役は交代で宿直を務める。今日は、デュクトが自邸に帰っているのだろう。

 息せききって現れたゲルを、シウリンは寝室に通した。

「夜分に済まない。話は聞いていると思うけれど、デュクトが侍女三人を僕の意向を無視してクビにするつもりらしい。僕は今日という今日は我慢がならないと、デュクトにはっきり言うつもりだ。だからゲルも同席してほしい」

 ゲルは多分に同情を籠めた眼差しでシウリンを見つめて言った。

「殿下……デュクトは十二貴嬪家の名門ソアレス家の出で、皇子の傅役を務める家柄なのです。とくにデュクトはその嫡流の出で、殿下にデュクトを付けていることが、皇帝陛下が殿下をお世継ぎと考えていることの表明なのです。ですから……デュクトもまた、殿下を立派な跡継ぎにするために、必要以上に構えているところも……その、あるとは思うのですが……」

 ゲルの言葉に、シウリンは眉間に皺をよせる。

「世継ぎとか、どうでもいいよ。僕は今すぐにも太陽宮に帰りたい。実のところ、もう死んだほうがましってくらい、ここの生活にはうんざりなんだ。世継ぎがどうとか、要するにあんたたちの都合じゃないか」

 シウリンが唇を歪めるのを見て、ゲルは慌てた。目の前の少年は相当に我慢強い性格である。その我慢強い主をして、うんざりと言わしめているのである。よほど腹に据えかねていると言わねばならない。デュクトとゲルは一度失敗しているのだ。今度こそ、〈ユエリン皇子〉をグレさせるわけにはいかなかった。

「僕はね、食べ物を大切にしない人間は信用しないことにしている。たぶんあいつは腹を空かせたことがないんだろうね。聖地から出るときも、僕が夕食を食い損ねていることを知っているはずなのに、薄パン一枚、水一滴寄こさずに、何時間も馬車に押し込めて走り続けたくらいだから。そんなだから、彼女たちのくれた菓子を平気でごみ箱に捨てられる。……あれは、ただの菓子じゃない。カリンたちの気持ちだ。デュクトは人の気持ちをごみのように捨てる男なんだ。そんな男に教育されて、碌な大人になれるとは思えない」

 ゲルも餓えたことはないだけに、シウリンの言葉に反論の余地がない。聖地での、僧院から太陽神殿までの強行軍には、ゲルにも責任がなくはない。彼らは日暮れ前には太陽神殿に戻るつもりで、食糧は何も用意していなかったのだ。帰りが遅くなることを想定していなかったのは、見通しが甘いと言わねばならないし、僧院で食事を済まさせてもよかったのだ。だが、あの日のデュクトには周囲を顧みる余裕がなかった。

「デュクトは……ユエリン殿下を幼少からずっと養育して、殿下を深く溺愛していました。……それが、あんなことになって、現実が受け入れられないのではないかと、思うのです」

 シウリンはゲルがデュクトを擁護するのを、さも不快そうに眉を顰めた。

「僕に言わせれば、人を無理矢理住み慣れた場所から引き離しておきながら、何言ってるのさ。僕が頼んで棄てられたわけでも、身代わりになっているわけでもないよ」

 シウリンは美しい顔を昂然とあげて嘯いた。

「何なら、この一大ペテンを暴露して暴れてやってもいい。とんだ不始末だね。不要だと棄てた双子の片割れを、大事に育てていた方がグレて事故って死んでしまったから、慌てて身代わりに連れてきたのはいいが、今度は傅役の虐めからも助けられないなんて。この皇宮のやつらは無能揃いだって、世間に知らしめるかい?」

 シウリンの言葉はいちいちもっとも過ぎて、ゲルは反論もできない。そうこうしているうちに、一度自邸に下がっていたデュクトが参内したとの先触れがあった。
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