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第一章 呪われた王子

告げ口

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「エルシーが好きなのか?」

 マックス・アシュバートンに問われ、俺はギクリとしてマックスの顔を見た。

 頷く勇気はない。……エルシーはまだ、七歳の幼女だ。

「……初恋は、かなわない。なぜだと思う?」

 俺は何も言えず、ただ、マックスのブルーグレーの瞳を見つめた。

「弱いからだ。……恋を叶えるには、幼い時は弱すぎる」

 マックスは少しだけ微笑んで、言った。

「強くなりなさい。力でも、金でも、なんでもいい。奪われないためには、強くならなければ。そうでなければ、大事な娘をやることはできない」
「……おばあ様は、僕ではダメだって……」
「今の君ではね」

 ……強くなったら、エルシーとの結婚を許してもらえるのか?
 どうしたら、強くなれる? 強くなるとは、いったいどういうこと?

 俺はその時、エルシーの素描でいっぱいのスケッチブックを抱きしめるだけで、何も言えなかった。 
 
 
 
 


 リンドホルムでの半年を経て、俺は秋から、王都の陸軍士官学の寄宿舎で暮らした。
 中途半端な時期だが、陸軍特務機関のマックス・アシュバートン少佐が手を回し、俺は入学直後に環境の変化で体を壊し、半年以上休学していたことにされた。士官学校の寄宿舎は割に入れ替わりが頻繁で、俺は小柄で目立たないタイプだったから、それほど問題にされなかった。――怪しいと思っていた奴はいたかもしれないが、王子という身分のおかげで、面と向かってあれこれ言われることもなかった。

 栄養失調と精神的ストレスはリンドホルムで解消され、寄宿舎もマックスの配慮で同室の相手にも恵まれ、俺は健康を取り戻した。ただし、どうせ呪われたゴーレムの王子で、兄たちのスペアだと思っているから、俺はどこか無気力で、成績はよくはなかった。

 それでも、マックスに強くなれ、と言われたことは覚えていて、勇気を奮い起こして拳闘ボクシング部に入部してみたりした。――最初は体格も悪く、笑ってしまうほど弱かった。王子でなかったら虐めに遭っていたに違いない。成長期に入ってからは身長もぐんぐん伸びて、十七になるころにはそこそこ、強くなった。

 ただし、多少、強くなったからと言って、エルシーと結婚するのは絶望的だった。
 
 それは、ステファニーがいたからだ。





 王妃の姪、レコンフィールド公爵令嬢のステファニー・グローブナーとの婚約は、王妃がそれを望み、ことあるごとに口に出したため、決定事項となっていた。ステファニーには俺と同い年の姉、アリスンがいて、王妃は当初は彼女を俺の婚約者に据えるつもりだった。が、アリスンには幼少時から好きな男がいて、俺との婚約を嫌がったらしい。それで、妹のステファニーの社交界デビューを待って、正式な婚約を結ぶ、そういう取り決めになっていた。

 その話でも予想がつくように、幼い頃の俺は、髪はごわごわのくせ毛で、顔にはそばかすまで浮いた、やせっぽちのみっともない子供だった。王妃は俺よりも明らかにステファニーを可愛がっていたから、幼いステファニーにとって、俺は見下してもいい存在と映っていたのだろう。俺への態度は悪く、わがまま放題だった。

 士官学校に入って寄宿生活をするようになり、栄養状態が改善して精神的なストレスがなくなったことで、俺の背も伸びて外見もだいぶマシになった。それに比例するように、ステファニーの態度も少しだけ改善されたが、その代わり、休暇のたびにピクニックだ、乗馬だのと言っては駆り出されるようになる。
 
 ある時、突然、レングトン公園でボートに乗りたいと言い出した。別にボートぐらい乗せるのはいいが、その時はもう、日が傾き始めていた。今から王宮を出て公園に行ったところで、すぐに閉園時刻が来てしまう。俺はそれを説明して、「また今度ね」と言った。

 が、それがステファニーのカンに触ったらしい。突然怒りだして帰ってしまい、しかも王妃に告げ口された。『俺が意地悪して、ボートに乗せてくれなかった』と。

 王妃は、俺を折檻できるなら、理由は何でもいい。ステファニーの告げ口は、王妃のとっては恰好の、「お仕置き」のネタだ。

「ゴーレムのくせに人間の言うことを聞かないなんて。額の文字を消して、粘土に戻してやらねばならないわね?」 

 ここで本当のことを説明しても、「余計な口答えをする」と言われるだけの話。
 俺はおとなしく王妃に背中をさらし、鞭うたれるのに任せた。
 ピシ、ピシと鞭の音が響き、背中に激痛が走る。王妃は俺を鞭打つままに、トランス状態に陥いっていく。

「Shem HaMephorash、Shem HaMephorash――」

 王妃はぶつぶつと呪文を呟き、呪いを吐いた。

「神よ、この穢れた醜い土人形を御許に送ります。わが愛しいジョージの病を癒したまえ――」

 俺を殺したところで、たぶん、ジョージの病は治らないけれど、王妃は俺を呪うことで、ギリギリの希望に縋っている状態なのだろう。王妃が鞭打つのに疲れてフラフラになるまで――体力がないので、さほど長い時間ではない――俺への折檻、という名の呪いは続く。

 王妃が疲れ切って呼び鈴を鳴らすと、すべてを理解した侍女長がやってきて、メイドに俺の治療を命ずる。中年の無表情なメイドが俺を寝室に連れていき、そこで俺に体の関係を持ち掛けるまでが、いつものパターンだ。ここで突っぱねると治療してもらえないので、俺はメイドの要求を呑むしかないのだ。




 翌日、俺は王妃に命じられた通り、痛む背中でレングトン公園でステファニーをボートに乗せた。
 ステファニーは、自分の告げ口のせいで俺が折檻されたなんて知りもしないから、澄ましてボートに乗っている。
 レースのついた白い帽子から、金色の巻き毛がこぼれる。青い瞳に、陽光に煌めく豪奢な金髪。フリルがたくさんついた、手の込んだドレス。自分からボートに乗りたがったくせに、特に面白そうな顔もせず、もちろん感謝の言葉もない。
 レングトン公園の池は広く、オールを漕ぐたびに、背中の傷は痛む。つい、俺が顔をしかめると、ステファニーが言った。

「どうかなさったの、バーティ? ボートは苦手ですの?」
「いや……あまり得意じゃないけど」
「だから昨日は嫌だと意地悪を仰ったの?」

 俺はさすがにステファニーを一瞬睨んでしまい、慌てて視線を逸らし、言った。

「意地悪を言ったつもりはないよ。昨日の時間からでは、公園の閉園時刻ギリギリで、ろくにボートも乗れないと、僕は言ったんだけどな」
「そんなのわたしは知りません!」

 知りませんじゃねーよ、とオールでぶんなぐってやりたかったが、人目のある場所でできることじゃない。

 はっきり言えば、ステファニーと二人でボートに乗っても、俺は楽しくもなんともない。ただ、背中が痛いだけで、早く帰りたかった。池にはほかに数組、ボートに乗る男女がいて、恋人同士なら乗っても楽しいのだろうが――。

 俺はリンドホルムの「湖」で、エルシーとビリーをボートに乗せた日のことを思い出す。

 レングトン公園の池よりも小さな「湖」はさらに何もない場所で、俺は中洲の周囲を何周もさせられた。幼い二人はボートの上ではしゃいで、俺は何度も何度も、立ち上がらないよう、注意しなければならなかった。陽光を水しぶきが弾いて煌めいて、二人の楽しそうな笑い声が周囲の森に反響した。エルシーの笑顔、ビリーのはしゃぐ声。――まだ、耳に残っている。

 俺は、リンドホルムに帰りたかった――。 

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