【R18】ゴーレムの王子は光の妖精の夢を見る

無憂

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第三章 執着とすれ違い

約束

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 エルシーの瞳が、馬車の中のかすかなランプの光に煌めく。
 未婚の、エルシーの純潔を奪った。エルシーはそのことに怒っている。
 俺が、遊びや中途半端な気持ちで、自分を抱いたのではないかと、疑っている。

「お前は、俺のことが好きじゃない」

 自分で口にした言葉が、俺の胸に刺さる。幼い時の思い出補正がなければ、俺は身分違いで傲慢な王子でしかない。だから――。

 俺はエルシーを抱きしめた。

「……あいつに、奪われたくなかった」

 身分の差のないあいつ、ニコラス・ハートネルがあっさりエルシーをさらってしまうのではと、それが怖かった。

「あの人とは別に何も――」
「でも、もう少しであいつの手を取りそうだった。――俺が、お前に無茶を強いたからだが」
 
 俺が王子でなければ――いや、エルシーの相続が認められていれば、こんなに俺が焦り、取り乱すこともなかった。俺は金もあるし、顔だって悪くない。いや、昔のみっともない外見の時だって、エルシーは俺が大好きだと言ってくれていたんだ。

 エルシーが俺を忘れてしまい、俺は思い通りにいかなくて、空回りばかりしている。

「わたしの、どこが気に入ったのか、わかりません。わたしは可愛げもないし……」

 エルシーの言葉に、俺はハッとさせられる。
 俺にとってエルシーは無条件に可愛くて愛しい存在だけれど、俺のことを憶えていないエルシーにとっては、王子の俺が自分に執着する理由がわからなくて、不安で、気味が悪いのかもしれないと、俺はようやく気付いたからだ。

 俺は、昔していたように、エルシーの髪を撫でながら言う。

「お前は可愛いよ。――強情で気まぐれな子猫みたいに」
「……でも、殿下のことを好きになったりはしません。褒めても、無駄です」

 俺の手が止まる。

「なぜ。……俺が、嫌いか? 無理矢理抱いたのが、許せないか?」

 声が震えそうになる。そこまで嫌がってた? いやでも――。

「だって。殿下はいずれ、わたしを捨てて別の方とご結婚なさるわ。……いえ、そうなさらないといけない」

 顔を背けて言うエルシーの言葉に、俺は目を見開いた。――そうか、昼間の、ステファニーの電話!
 正直ここまで呪うのかと、俺は改めてステファニーを憎んだ。

 婚約は白紙になっていたはずなのに、なぜか俺の帰りを待っていたステファニー! もう、いい加減に解放してくれよ!
 そんな気分になり、俺はため息をつき、思わず首を振っていた。

「今、父上が薦める相手と結婚するつもりはないし、もう断っている。お前を手放すつもりはない」
「もともと、父が生きていたとしても、我が家から王家にお嫁に行った人はいません。まして、爵位も失って領地がから追い出されたわたしが、殿下と結婚できるはずないんです」

 俺は、誰もが頷くであろうエルシーの語る「正論」の、どうしようもない理不尽さにはらわたが煮えるような気がした。

 本当は、俺は王子だが、庶子だ。正統な継承権は持たない。建国以来の名家、リンドホルム伯爵の継承者であるエルシーなら、身分的に何の遜色もなく、俺たちの結婚は認められるはずだった。――少なくとも、マックス・アシュバートンの請願を、国王である父上は、一度は認めた。継承のスペアとしての役割を終えた俺を、政治的な後腐れなく押し込むには、ちょうどいい結婚のはずだった。

 なのに――。
 王太子に王子が生まれないことで、スペアとしての俺の必要性は高まるばかり。父上は俺をステファニーと結婚させ、レコンフィールド公爵以下、権力の中枢を固める有力貴族に媚びる道を選んだ。エルシーの相続は認められず、貴族の地位を失う。

 すべてが、王家の身勝手な都合でしかない。俺の意志も、そしてアシュバートン家の犠牲もすべて踏みつぶして、国家の頂点で腐った奴らが、今まで通りの甘い汁を吸い続けるために――。

 俺が怒りのあまり黙っていると、エルシーが続けた。

「もし、殿下のことを好きになったら、わたしはたぶん、ボロボロになるわ。……捨てられて、踏みにじられて、……おばあ様も悲しむ。好きな相手じゃなければ諦めもつくけれど、好きな人に捨てられて、そんな目に遭ったら、生きていけない。……だから、好きになりたくないの」
「エル……」
「ただの秘書官の業務なら、お役御免になって捨てられても、諦めもつきます。おばあ様の入院費用のこともあるし、今は殿下の言うことを聞きます。でも、殿下の婚約が正式に決まるまで。……おばあ様に言われているの。婚約者のいる相手と親密になるなんて、とんでもないって。だから――」

 エルシーは俺の肩に縋り付いて、涙声で言った。

「だから、婚約が正式に決まったら、解放してください。その時はおばあ様のお金だけはお願いします。他には、頼る人もいなくて――」

 エルシーの細い肩を抱き寄せ、俺は、そこに圧し掛かっていた重圧に、ようやく気づく。

 リンドホルムは、エルシーやアシュバートン家にとって、貴族としての矜持そのものだ。あの城に生まれ、あの土地を護る。それがアシュバートン家の生きる意味であり、役割だった。だから、マックス・アシュバートンは、直系のエルシーへの継承にあくまでこだわった。
 
 それを――。
 
 理不尽に奪われ、故郷を失い、王都に出てきて――。
 エルシーは働くことは嫌いではないと言ったが、不快な思いもたくさん、しただろう。
 あのプライドの塊のようなおばあ様と、あんな小さな家で貧しい暮らしを強いられ、エルシーはそれを一人で支えてきた。……この、細い折れそうな肩で。

 なのに戦地から戻ってきた王子は、強引に秘書官にしたあげく、あちこち連れ歩いてあまつさえ――。

 エルシーは王子リジーのことを憶えていないから、わけもわからず連れ歩かれ、アクセサリーにされ、その上無理矢理――。



 
 俺は頭を抱えたくなった。俺、最低過ぎるだろう。十二年ぶりの再会に浮かれるにしても、もう少し考えろよ。

 俺にとって、エルシーはお姫様だった。態度も言葉遣いも完璧に貴族令嬢然としており、着飾ってしまえば彼女が没落しているなんて、全く感じさせない。
 でも俺にドレスや宝石を与えられるたびに、かつてとの境遇の差を思い知らされていたのかもしれない。
 
 俺はそういうエルシーの気持ちに、あまりに鈍感すぎた。

 爵位も領地も失い、さらにおばあ様が入院して莫大な金がかかる。王子は婚約寸前の公爵令嬢がいながら、おばあ様の入院費用をたてに関係を迫る。純潔も失って不安でいっぱいだろうに、俺は暢気に責任は取るの一言だけ。

 だがどうしたらいい。

 俺は何があってもエルシー以外と結婚するつもりはないし、エルシーの爵位さえ取り戻せば、父上の勅書があるから、結婚はねじ込めるはずなんだ。……たぶん。
 
 でもその事情を、いったいどこから説明したらいいのか、俺はわからなかった。
 そもそも俺がこの世にいることが、アシュバートン家の悲劇につながっているのなら――。

 俺は今、言えることだけをエルシーに言うしかなった。

「エルシー、俺はお前以外と結婚するつもりはないし、お前を一生手放さない。おばあ様のことは心配するな。お金のことはもう、忘れろ」

 だがエルシーは首を振る。

「そんなできもしない約束はいりません。……殿下の婚約が正式に調ったら、この業務はおしまい。それだけ、約束してください」

 俺はエルシーの頬に手をかけて、正面から目を合わせる。涙で滲んだブルーグレイの瞳に、俺が映っている。

「俺は他の女と婚約なんかしない。だから、そんな約束は無意味だ。……愛してる、エルシー」

 そう言って、俺はエルシーの唇を塞ぐ。言葉では伝えられない。俺はエルシーだけをずっと愛してきたのに。
 
 エルシーは納得してはいないようだったが、それでも初めて、エルシーの手が俺の背中に縋るのを感じる。




 
 もう、離さない。絶対に――。


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