【R18】ゴーレムの王子は光の妖精の夢を見る

無憂

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第四章 嘘つき王子

歪みのもと

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 エルシーはすでに入浴を済ませ、薄い寝間着ネグリジェの上に薄紫色のキモノ・ガウンを羽織って、部屋で寛いでいた。秋草の模様を散らしたキモノは、エルシーの雰囲気によく似合っていて、バーナード商会の東洋人、ミツゴローはよく見ているな、と思う。

 俺はエルシーの居間のソファに座り、遠慮するエルシーを手招きし、隣に座らせる。

「……ステファニーが手間をかけたそうだな。済まなかった」

 俺の詫びに、エルシーは細い肩を竦めるようにして、薄く微笑む。

「お茶を淹れただけですから、別に何も。……大事なご用件だったのですか?」
「そのことで今、公爵に苦情を言っていたところだ」

 俺はため息をつき、エルシーに説明する。

「実は昨日は、父上はあの父娘と昼食を設定していたのを、断って帰ってきたんだそしたら――」

 エルシーがブルーグレイの瞳を見開く。

「……俺とステファニーの結婚は、王家とレコンフィールド公爵家の間の取り決めで……」

 王妃とレコンフィールド公爵の受けた屈辱の賠償だと、公爵は言っていた。どこの馬の骨とも知れないローズの子である俺を、王妃の実子だと偽る代わりに、王妃の姪を妻に迎え、子を産ませる。そうすることで、王家に入った異分子の血が浄化され、歪みが正される。
 だがそもそも、俺が王妃の実子だとされたのは、ジョージが病に倒れ、継承権を持つスペアの王子が必要だったからだ。王妃がそれを生むつもりなら、必要はなかった。庶子として認知するか、あるいは闇に葬ってもよかった。それはしなかったのは、王家とレコンフィールド公爵家の勝手だ。

 なぜ、俺がステファニーと結婚して、歪みを正さなければならない?

 最後の、レコンフィールド公爵の、あの表情。……忠実な下僕のはずの、ゴーレムの奴隷に反抗された魔法使いのよう。本当に、奴らは俺をバカにしている。

 俺はレコンフィールド公爵との会見を思いだし、顔を歪める。だが今は、エルシーに俺の立場と気持ちをきちんと告げておかなければならない。

「でも戦争の前に、婚約は白紙に戻ったんだ。俺にとってはステファニーとのことは終わった話だった」

 ……なのに、ステファニーは俺の帰りを待っていた。兄上に王子が生まれないことで、俺の即位の可能性はどんどん上がっていく。単なるスペアのはずの俺の政治的価値を、公爵は手放し難くなったのだろう。

「帰国後にも俺はステファニーとの結婚はきっぱり断っている。昼食会も、話し合ったところでステファニーと結婚するつもりはないからと、断って帰ったんだ」

 俺はベルを鳴らしてジュリアンに夜食を申しつけ、煙草に火を点ける。イライラした動作をジュリアンにたしなめられるが、エルシーは苦笑して許してくれた。――冷たい雰囲気がするけれど、エルシーは優しい。昔から。

「……王都の噂でも、殿下とステファニー嬢は相思相愛だと聞きました。戦前はよく、ご一緒に出掛けておられたとか。ステファニー嬢は殿下のことが好きで、殿下にも好かれていると思っておられたのですよね?」

 エルシーの言葉に、俺は紫煙をくゆらせながら、顔を歪める。

「ステファニーは王妃の……母上の姪なんだ。母上が可愛がっていて、邪険にすると母上に告げ口されて厄介なことになるから、俺は仕方なく言うことを聞いていたが、すごく我儘だった。……傍から見たら、よく一緒に出掛けて仲良く見えたかもしれない」

 面倒くさかったが、俺は王妃に告げ口されるのが嫌なので、たいていの我儘は聞いてやっていた。

「ステファニー嬢は我儘を聞いてくださる殿下が好きで、愛されていると思っていて、待たないで結婚しろと言う言葉も、愛ゆえの言葉だと思ったのではありませんか」

 エルシーの指摘に、俺は目から鱗が落ちるような気がした。
 ステファニーは、自分の告げ口するたびに、俺が王妃から折檻されていたなんて、知らない。俺が言うことを聞くのは、自分を愛しているからと勘違いし、婚約の白紙撤回さえ、俺からの愛だと思った――。

 ……バカバカしすぎるけれど、甘やかされて育ったお花畑の住人なら、そんなこともあるかもしれない。

 俺はブランデーを一口飲んで、グラスを置く。

「都合よく解釈し過ぎだ。……でも、そうかもしれない」
 
 ただのスペアのゴーレムで、王家の歪みそのものの、醜いバーティ。戦争がなければ、俺は逆らうこともせず、ステファニーといやいやながら結婚していただろう。でも――。

「俺はもう、周りの言いなりの人生なんて嫌だ。俺は、好きな女と結婚したい」

 俺はまっすぐにエルシーを見つめた。暗闇に閉ざされていた俺の、ただ一人の光だったエルシーを。
 だがエルシーは戸惑ったように睫毛を伏せてしまう。ここまではっきり言っているのに、どうして通じないのだろう? たとえ昔のリジーを憶えていなくても、今のアルバートの気持ちは伝えていると思うのに。

 エルシーは俯いていた視線を上げ、尋ねた。その瞳にはかすかに非難の色がある。

「あの……昨日、昼食会を断って、わたしと出かけたことは、国王陛下や公爵閣下、それからステファニー嬢は把握しているのですか?」

 俺は新しい煙草に火を点け、煙を吐き出す。……たしかに、話し合いを「体調不良」でぶっちして、女とドライブにしけこんで、さらに王都で食事して女のアパートメントに泊まったわけで……褒められたものではないが。

「俺は、お前が心配だったんだよ。俺にとってはお前の方が大事だから、お前を優先しただけのことだ」
「国王陛下は、どこまでご存知なのです?……その、わたしのことを」

 俺は瞬く間に吸い尽くした煙草を灰皿に擦り付け、新たに一本を取って口に咥え、火を点ける。……イライラするとどうしても煙草が増えてしまう。エルシーが露骨に嫌そうな顔をしているから、控えなければと思うのだけど。

「……父上には、お前の存在は仄めかしてある。俺が郊外に車で出掛けて、しかも女連れなのは、もう報告が上がっているだろう」

 その女がただの秘書官ではなく、マックス・アシュバートンの娘だと言うのも、父上は知っている。そもそも、エルシーが王都で働いているのは、父上がエルシーの代襲相続を認めなかったせいだ。俺がエルシーと結婚したがっていることも、そして三年前にはマックスに対して結婚を認めたのに、全部全部承知の上で反故した。

 ――三年前、おそらくシャルローで俺を襲った「王妃の呪い」が関わっているのだろうが。

 ちょうどジュリアンが夜食を運んできて、その話はそこでいったん、終わりになった。俺はリゾットを貪るように食べて、エルシーはジュリアンが淹れたハーブティーを飲んでいる。

 おそらくエルシーは、俺との間の身分差について考えているのだろう。

 第三王子でこのままいけば国王に即位させられるアルバートと、爵位を失った自分エルシーとの。
 でもそんなものは、実はすべてまやかしだ。俺は本来ならば継承権を持たない庶子で、エルシーは本当ならばリンドホルム伯爵を継承できるはずだった。

 王妃の呪い、王家の歪み、国家の都合……こんなものがいろいろと絡まり合って、俺とエルシーの人生を踏みつぶそうとしている。
 とりわけ、エルシーやアシュバートン家への仕打ちは許しがたい。

 レコンフィールド公爵は、王妃やあの家が受けた屈辱への賠償だと言ったが、本来、最も侮辱され、蔑ろにされているのはアシュバートン家だ。ローズが国王の子を産んだ理由は俺は知らないが、ローズやマックスの人柄から考えて、自分たちから近づいたわけでないのは明らかだ。まして、巻き込まれたおばあ様は――。

 そのすべての結節点に俺がいる。

 おばあ様は、それでも俺のことを愛してくれていた。素っ気ない態度も、厳しい躾けも、すべて愛ゆえだと俺にはわかる。

 だからこそ、俺は絶対に、リンドホルムを取り戻し、エルシーに返したい。
 そうして、できうるならば、俺もその地で――。

 俺は、胸の隠しポケットに入れた、マックスの詔勅を服の上からそっと抑えた。
 

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