竜の卵を食べた彼女は普通の人間に戻りたい

灯乃

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卵扱いされました

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「……ぬ?」

 デルフィーナが突然のヘッドロックに固まっていると、ドラゴンの少女が小さな声を零した。困惑した気配の中、ようやく彼女の腕が緩む。
 ぷはっと顔を上げたデルフィーナを、攫うような勢いで引き寄せて抱きしめたのは、エルネストだ。彼は、デルフィーナを身動きすらできないほどしっかりと確保したまま、冷え切った声でドラゴンの少女に問う。

「なんの真似だ? 地の属のドラゴン」

 不機嫌さを隠しもしない、とげとげしい口調である。
 一方、ドラゴンの少女はそんなエルネストの態度をまったく意に介した様子もなく、細い指でぽりぽりと頬を掻いて言う。

「んー……。なんだろうの? わらわにも、ようわからん。その不思議な娘を見ていたら、何やら懐に入れて温めてやりたいという衝動に駆られてなぁ。気がついたときには、勝手に手が伸びておったのだ」
(それって……)

 なんとも言い難い気分になったデルフィーナを横目に、魔導剣を待機形態の指輪に戻したクレイグが、ぼそりと言う。

「つまり、今のデルフィーナさんはほかのドラゴンたちにとって、卵扱いしたくなる存在だということでしょうか?」

 おぉ、とドラゴンの少女が両手を打ち合わせる。

「なるほどのー! そういえば、以前姉上が産んだ卵を見たときにも、同じように温めたり、転がしたりしてやりたいと思ったものだわ!」
(こ……転がす?)

 そういえば、鶏たちは卵を温めている間、中身が殻にくっついてしまわないように、ときどきひっくり返すらしい。もしドラゴンの卵も同じなのだとしたら――

(……ドラゴンさんのパワーで転がされたら、絶対にただじゃ済まないと思う)

 デルフィーナは、今後ほかのドラゴンと初対面の挨拶をすることがあったなら、いきなり転がされることがないように気をつけよう、と心に決める。
 そんな彼女の決意を知る由もなく、ひとり納得した様子でうなずいた少女は、それからまじまじとデルフィーナを見つめてきた。こてんと首をかしげ、口を開く。

「そなたは先ほど、我らが女王の卵を食べたと言っていたが……。なぜ、そのようなドラゴンとも人ともつかぬ体になっておる?」

 彼女の疑問に、デルフィーナはこれまでの経緯をかいつまんで説明する。その間、何やらぴりぴりしているエルネストが、ずっとおんぶお化け状態だったのは、ひとまず無視した。
 このドラゴンの少女に敵意がないというのは、おそらくドラゴンの魔力を持つデルフィーナだからこそわかるものだ。圧倒的な強者が、突然自分たちに牙を剥く可能性を捨てきれない以上、エルネストが神経質になるのも仕方があるまい。
 事情を聞き終えたドラゴンの少女が、両手の拳で自分の額をぐりぐりとしながら、思い切り顔をしかめる。

「それはまた……難儀なことであったのぅ……」

 そういった少女は、弱り切った表情でデルフィーナを見上げてきた。

「我らが女王がよけいなことをしたせいで、そなたにはとんだ迷惑をかけてしまったようだ。わらわには、そなたを普通の人間に戻す術の心当たりはないが……。いずれ一族の者たちが落ち着いたなら、長老たちに何か妙案がないか尋ねてみようぞ」
「ほ、本当ですか!?」

 さすがは、高い知性を誇るドラゴンだ。見た目はあどけない少女でも、その知性に見合うだけの良識はきちんと持ち合わせているらしい。
 まったくありがたいことだが、少女の言葉の後半が少しばかり気になった。
 デルフィーナは、彼女に問いかける。

「一族の方が落ち着いたら、というのは……今は、何かお忙しい時期なのですか?」

 ドラゴンの少女が、あっさりとうなずく。

「うむ。我らの一族は、女王の繁殖期が終わったのち、ほかの雌たちが一斉に繁殖期に入る。わらわはまだ発情期を迎えておらぬので関係ないが、成竜たちは今頃みな、番を定める戦いの真っただ中だ。さすがに、次世代を懸けた決闘の最中に入っていく勇気はないからのぅ」

 忙しいというより、危険な時期だった。
 しみじみと言う彼女に、一拍置いてデルフィーナは再び問う。

「あの……ドラゴンさん。その、みなさまの繁殖期が終わるのは、いつ頃になるのでしょう?」

 そうだな、とドラゴンの少女が首をひねる。

「圧倒的な力を誇る女王相手の決闘とは、わけが違う。すべての者たちの勝負が決するまで、長ければ数年……いや、十年以上掛かるやもしれんな」
(ええぇー……)

 デルフィーナは、その場でがっくりと膝をつきたくなった。相変わらずエルネストがおんぶお化けをしていなければ、きっと実際にそうしていただろう。
 ものすごく期待をさせられてからの、年単位のお預けというのは、結構な勢いで心が折れるものだったようだ。

(……いや、あちらの好意が期待通りのものじゃなかったからって、別に文句を言うところじゃないんだけどさ。期待値が高かっただけに、肩透かし感がひどいといいますか)

 ちょっぴりやさぐれたい気分になった彼女に代わり、エルネストがドラゴンの少女に声をかける。

「地の属のドラゴン。おまえたちの女王は、今どこにいるんだ?」
「さてな。女王は、繁殖期が終わったばかりだ。ここぞとばかりに、自由を満喫しているのではないか」

 魔獣には白天狼のように群れを作る種族もいれば、ドラゴンのように単独行動を主とする種族もいる。残念ながら、同じ種族だからといって、常に互いの居場所を把握しているわけではないようだ。
 そうか、とうなずいたエルネストが、再びドラゴンの少女に問う。

「おまえは、なぜここに来た?」
「む? あぁ、そうだった。最近、この先にある大地の魔力の流れが、少しずつ整えられているのを感じたのでな。不思議に思って、様子を見に来たのだが……」

 そう言って、ドラゴンの少女が苦笑する。

「なるほど、そなたの仕業であったか。――実は、あの辺りの魔力の流れが、人間の使った魔導具に破壊されたときのことなのだがな。女王から、その愚行を引き起こした人間が生きている間は、我ら一族一切手出し無用との通達があったのだよ。我が一族の中に、女王の通達を破る者などいるものかと不思議に思うておったが、そういうことか」

 納得した様子の彼女の言葉に、デルフィーナは固まった。彼女を抱えているエルネストの腕がぴくりと動き、クレイグがわずかに息を呑む。
 デルフィーナは、おそるおそる片手を上げた。

「あの……ドラゴンさん。わたしは何か、あなた方にとってマズいことをしたのでしょうか?」

 かなりびくびくしながらの彼女の問いかけに、ドラゴンの少女はけろりと応じる。

「いいや。だが、破壊された大地の魔力の流れがすぐに回復すれば、愚かな人間はすぐに己の行動の結果を忘れよう。あのような悲劇が再び起こるのは、我らの本意ではない。それゆえ、せめてもの戒めとなればと、あえて手出しをせずにいたまでのこと」
「……そうだったのですか。ご配慮いただき、ありがとうございます」

 リナレス王国の国王は、ドラゴンたちにまで『取り扱い注意』のレッテルをぺったんと貼られているらしい。デルフィーナは、彼を国家元首と戴く国の一員であることが、とても恥ずかしくなった。
 しかし、それを言うなら、そんな国王を父親に持つエルネストのほうが、よほど恥ずかしいだろう。気の毒だなー、と思っていると、ひとつ息を吐いたクレイグが口を開いた。

「地の属のドラゴン殿。彼の土地の魔力が今まで修復されずにいた理由を語っていただけたこと、感謝いたします。現在我が国では、その悲劇を起こした大規模破壊魔導具の使用が、国法で禁じられております」
「そうか。なれば、デルフィーナが多少魔力の流れを修復したところで、問題はなかろう。我らとしては、大地の魔力の流れが滞りなく健やかであれば、それでよい」

 うなずき、ドラゴンの少女は軽く肩を竦めてみせた。

「だが、我らの女王はそう甘いお方ではないぞ。もし再び同じことが起こったなら、そのときは人間の国のひとつやふたつ、自ら平らげてくれようよ」

 愚かな人間の過ちを、ドラゴンの女王さまが許してくださるのは、一度だけらしい。
 青ざめたデルフィーナだったが、エルネストは当然だという口調で応じた。

「わかった。万が一、リナレスの国王がまたバカな真似をしようとしたら、オレがこの手でやつを潰す」
「……そうですね。その際には、私も諜報部を上げてサポートに入らせていただきます」
(わーお)

 わかってはいたが、国王の扱いがものすごく軽い。それでいいのかな、と一瞬思う。しかし、デルフィーナの国王に対する敬意もすでに完全消滅しているので、流しておくことにする。
 なんにせよ、エルネストはこの国における最大戦力、クレイグは元諜報部の優秀な魔導士。このふたりが揃えば、国王が再び愚行に走ろうとしても、絶対に未然に阻止してくれそうだ。
 デルフィーナにとっては大変心強い宣言だったが、ドラゴンの少女は首をかしげる。

「同族の問題は、自らの手で解決しようとする心意気は立派だがな。そっちの黒髪はともかく、赤髪のおまえ。どうやらデルフィーナから魔力の補給を受けているようだが、そんなヨレヨレの体で大口を叩いて、本当に大丈夫なのか?」
(……おぉ! イーズレイルの腕輪のことを、今の今まですっかり忘れてたよ!)

 黒髪のクレイグから、赤い髪のエルネストに視線を移しながら言う彼女に、デルフィーナはようやくこの場に来た理由を思い出す。
 そして、どうやら少女の目には、エルネストの魔力がイーズレイルの腕輪のせいで不安定になっていることなど、とうにお見通しだったらしい。
 エルネストは黙りこみ、ひとつ咳ばらいをしてからクレイグが言う。

「地の属のドラゴン殿。たしかに殿下は現在、敵対関係にある魔導士の姦計により、一時的に魔力を使いにくい状況にあります。しかし、近いうちに本復されることになっておりますので、どうかご安心ください」
「む?」

 瞬きをしたドラゴンの少女が、大きな緑の目で何かを検分するようにエルネストを見つめる。その視線が、デルフィーナを抱えこんだままの彼の左腕――左手首に嵌められた腕輪に固定された。
 そうか、とうなずいた彼女が、無造作に手を上げる。

「なるほど。これが原因か」

 そして、止める間もあればこそ、少女の細い指がイーズレイルの腕輪に伸びた。
 ぱきん、という軽い音とともに、少女の小さな手の中で、腕輪の核である魔導石が砕ける。
 その途端、腕輪が一月もの間吸い取り続けていたエルネストの膨大な魔力が、奔流となって溢れ出す。眩い光。その圧に、息が詰まる。
 蒼白になったエルネストとクレイグが、同時に防御シールドを展開しようとしたとき――

「ふむ」

 再びうなずいたドラゴンの少女が、あんぐりと口を開ける。そこに、砕けた魔導石の破片を放りこんだ。

(………………ハイ?)

 硬直する人間たちの前で、ドラゴンの少女は口の中で飴玉でも舐めるように、破片をもっちゃもっちゃと転がしている。やがて、ごっくんとそれらを飲みむと、彼女は満面の笑みを浮かべて言う。

「おぉ。これはまた、なかなかの美味であったぞ」

 ――そのとき、デルフィーナは思い出した。
 ドラゴンをはじめとする魔獣たちにとって、魔力を孕んだ魔導石というのは、大変美味なエサであったことを。
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