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第6話 意外な一面
①
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青々と広がる空の下、剣が空を切る音と威勢の良い男達の声が訓練場に響き渡る。
騎士団宿舎の痴女事件から数日。未だ王太子から護衛騎士の件に関する返答はなく、セルジュは持て余した暇を埋めるように訓練に明け暮れる日々を送っていた。
護衛騎士の任に就いてから一日の訓練に費やす時間が減り、身体が鈍りがちだったが、ここ数日で随分と勘を取り戻すことが出来た。
剣を下ろして額の汗を拭い、セルジュは小さく息を吐いた。
連日の夜の訓練も順調だ。最近はコレットの手を握っても以前ほど手汗をかくことはない。相変わらず気まずい沈黙が続くことは多いが、その時間に息苦しさを感じることも、手を握ることで異様に緊張したり動悸が上がることも殆どない。このままいけば、女性恐怖症の克服も本当に夢ではないのかもしれない。
微かな希望を胸に抱きながら剣の手入れを終え、セルジュは居館の壁面に連なる窓を見上げた。
いつもなら、このあとも騎士団の面々との手合わせで昼過ぎまでみっちり訓練を続けるところだが、生憎今日は予定がある。王太子不在の執務室でロランが書類の整理を任されているのだが、護衛の任が無いのならとセルジュも手伝いに呼ばれたのだ。
剣を鞘に納め、武器棚に立て掛けると、セルジュは大きく伸びをしながら騎士団宿舎の自室に向かった。
木製の扉を押し開けて、騎士団宿舎の廊下へと踏み入る。傷んだ床板が一歩足を踏み出すたびに軋み、薄暗い廊下にぎしぎしと音を響かせた。
食堂を兼ねた広間の前を早足で通り過ぎ、真っ直ぐに浴場へと向かう。汗に濡れた身体を熱い湯で流し終えると、セルジュは湯上がりの水分補給に食堂へと向かった。
誰もいない厨房でコップ一杯の冷水を飲み干し、ふっと息をつく。もう一度食堂へ顔を出したところで微かな違和感を覚え、セルジュは窓辺へと目を向けた。
高い窓から柔らかな陽が射す窓際のテーブルに、椅子に掛けて刺繍をするコレットの姿があった。セルジュの視線に気がつくと、彼女はぱっと瞳を輝かせ、はにかんだ笑みを浮かべた。
「訓練お疲れ様です」
針を動かす手を止め、刺繍枠をテーブルに置いて席を立つと、コレットはぱたぱたとセルジュに駆け寄ってきた。
痴女騒ぎのときと言い、屈強な男達が暮らす騎士団宿舎に女ひとりでやってくるとは。辺境伯令嬢とはおよそ思えないコレットの無防備な行動に、セルジュは若干の眩暈を覚えた。
「また侍女の仕事をさぼっているのか」
「失礼なひとですね。前にも言ったじゃないですか。取材ですよ、取材」
「リュシエンヌ様の許可はいただいているんだろうな」
「勿論です。……というか、今日はジゼルだけで充分みたいなので」
言われて、セルジュは思い出した。ロランが王太子の執務室で書類の整理を任されている理由と同じだ。
この日、リュシエンヌはヴィルジールと共に王妃が暮らす西の館を訪れることになっていた。王妃の元を訪れるなら落ち着きのないコレットを置いていくのも納得がいく。
セルジュがひとりで頷いていると、怪訝な顔でその様子を見ていたコレットがセルジュの顔を覗き込んだ。直立していても頭ふたつぶんは身長差があるというのに、わざわざ身を屈めて腰の後ろで手を組んで。
コレットの榛色の瞳にセルジュの愛想の無い仏頂面が映り込む。
「セルジュさん、訓練終わったんですよね?」
「終わった。だが、お前の相手をしている暇はない」
「むう……相変わらずつれないですね」
唇を尖らせて、コレットは不服そうに眉尻を上げる。拗ねるコレットに構うことなく背を向けると、セルジュはさっさと食堂を後にした。
シャツのボタンを留め、襟元を整えながら足早に廊下を進む。床板を軋ませるセルジュの荒々しい足音に混じって軽い靴音がついてくる。
「何も今でなくとも、夜に話せば良いだろう」
「いつもさっさと帰れって言う癖に」
軽く息を弾ませるコレットの言葉に思わず溜め息が洩れた。
「どこに行くんですか?」
「王太子殿下の執務室だ。ロランの書類整理を手伝う約束になっている。良いからお前は部屋に戻れ」
集る虫でも払うかのように手のひらを軽く振って、セルジュはさらに歩調を早め、長い渡り廊下を進んだ。
騎士団宿舎の痴女事件から数日。未だ王太子から護衛騎士の件に関する返答はなく、セルジュは持て余した暇を埋めるように訓練に明け暮れる日々を送っていた。
護衛騎士の任に就いてから一日の訓練に費やす時間が減り、身体が鈍りがちだったが、ここ数日で随分と勘を取り戻すことが出来た。
剣を下ろして額の汗を拭い、セルジュは小さく息を吐いた。
連日の夜の訓練も順調だ。最近はコレットの手を握っても以前ほど手汗をかくことはない。相変わらず気まずい沈黙が続くことは多いが、その時間に息苦しさを感じることも、手を握ることで異様に緊張したり動悸が上がることも殆どない。このままいけば、女性恐怖症の克服も本当に夢ではないのかもしれない。
微かな希望を胸に抱きながら剣の手入れを終え、セルジュは居館の壁面に連なる窓を見上げた。
いつもなら、このあとも騎士団の面々との手合わせで昼過ぎまでみっちり訓練を続けるところだが、生憎今日は予定がある。王太子不在の執務室でロランが書類の整理を任されているのだが、護衛の任が無いのならとセルジュも手伝いに呼ばれたのだ。
剣を鞘に納め、武器棚に立て掛けると、セルジュは大きく伸びをしながら騎士団宿舎の自室に向かった。
木製の扉を押し開けて、騎士団宿舎の廊下へと踏み入る。傷んだ床板が一歩足を踏み出すたびに軋み、薄暗い廊下にぎしぎしと音を響かせた。
食堂を兼ねた広間の前を早足で通り過ぎ、真っ直ぐに浴場へと向かう。汗に濡れた身体を熱い湯で流し終えると、セルジュは湯上がりの水分補給に食堂へと向かった。
誰もいない厨房でコップ一杯の冷水を飲み干し、ふっと息をつく。もう一度食堂へ顔を出したところで微かな違和感を覚え、セルジュは窓辺へと目を向けた。
高い窓から柔らかな陽が射す窓際のテーブルに、椅子に掛けて刺繍をするコレットの姿があった。セルジュの視線に気がつくと、彼女はぱっと瞳を輝かせ、はにかんだ笑みを浮かべた。
「訓練お疲れ様です」
針を動かす手を止め、刺繍枠をテーブルに置いて席を立つと、コレットはぱたぱたとセルジュに駆け寄ってきた。
痴女騒ぎのときと言い、屈強な男達が暮らす騎士団宿舎に女ひとりでやってくるとは。辺境伯令嬢とはおよそ思えないコレットの無防備な行動に、セルジュは若干の眩暈を覚えた。
「また侍女の仕事をさぼっているのか」
「失礼なひとですね。前にも言ったじゃないですか。取材ですよ、取材」
「リュシエンヌ様の許可はいただいているんだろうな」
「勿論です。……というか、今日はジゼルだけで充分みたいなので」
言われて、セルジュは思い出した。ロランが王太子の執務室で書類の整理を任されている理由と同じだ。
この日、リュシエンヌはヴィルジールと共に王妃が暮らす西の館を訪れることになっていた。王妃の元を訪れるなら落ち着きのないコレットを置いていくのも納得がいく。
セルジュがひとりで頷いていると、怪訝な顔でその様子を見ていたコレットがセルジュの顔を覗き込んだ。直立していても頭ふたつぶんは身長差があるというのに、わざわざ身を屈めて腰の後ろで手を組んで。
コレットの榛色の瞳にセルジュの愛想の無い仏頂面が映り込む。
「セルジュさん、訓練終わったんですよね?」
「終わった。だが、お前の相手をしている暇はない」
「むう……相変わらずつれないですね」
唇を尖らせて、コレットは不服そうに眉尻を上げる。拗ねるコレットに構うことなく背を向けると、セルジュはさっさと食堂を後にした。
シャツのボタンを留め、襟元を整えながら足早に廊下を進む。床板を軋ませるセルジュの荒々しい足音に混じって軽い靴音がついてくる。
「何も今でなくとも、夜に話せば良いだろう」
「いつもさっさと帰れって言う癖に」
軽く息を弾ませるコレットの言葉に思わず溜め息が洩れた。
「どこに行くんですか?」
「王太子殿下の執務室だ。ロランの書類整理を手伝う約束になっている。良いからお前は部屋に戻れ」
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