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第14話 夜会警備の打ち合わせ
②
***
その日、いつものように訓練を終えると、セルジュは浴場で汗を流し、真っ直ぐに宿舎に戻った。
人気のない厨房でコップ一杯の水を飲み、ぐるりと食堂を見渡して、なんとなく窓の外へと目を向けたところで、ちらりと横切る人影が目に付いた。
赤褐色の瞳を大きく見開いて、慌てて窓辺に駆け寄ると、セルジュは窓から身を乗り出して外の様子を確認した。
使用人らしき女の影が細い通路の角を曲がり、宿舎裏に消える。セルジュは突き動かされるように窓枠を飛び越えて、その女の影を追った。
城壁と宿舎のあいだの細い通路を駆け抜けて、植え込みが茂る宿舎裏に飛び出して。彼女を呼び止めようとして、ハッとして口を噤む。
静まり返った空き地に含み笑いと色めいた吐息が微かに響く。人目をはばかるように隠れて濃厚な口付けを交わしていたのは、年若い騎士と王城の下働きの娘だった。
音を立てないように後退り、宿舎の影に身を潜める。緊張の糸がぷつりと切れて、セルジュは壁に背を預け、草の上に座り込んだ。
――あいつかと思った。
黒檀色の髪を掻き上げて、深々と溜め息を吐く。
黒いデイドレスに白いキャップとエプロンが良く似合う、亜麻色の髪と榛色の瞳が愛らしいコレットの姿を思い浮かべ、セルジュは膝の間に首を垂れた。
セルジュがコレットと話をしたのは、訓練の終わりを告げたあの夜が最後だった。それ以来、彼女はセルジュの部屋を訪れていない。単純に、彼女がこの城で生活するうえでセルジュの部屋を訪れる必要がないというだけで、意図的に避けられているわけではないはずだ。
王太子の従者であるロランならいざ知らず、護衛でしかないセルジュが王太子の婚約者の侍女を務めるコレットと接する機会など、特別な口実でも作らない限り有りはしない。顔を合わせる機会はあっても、言葉を交わす必要がないのだ。
深く考えずに気軽に声をかければ良いのかもしれない。それなのに、セルジュはそんな簡単なことすらできなかった。
階下での食事の際に同じテーブルを囲みはしても、執事と向かい合った席に着き、コレットとロランの和やかな会話を盗み聞きするくらいのことしかできなかった。
なぜならセルジュは今までずっと、自分は彼女の大切な存在なのだと勝手に思い込んでいたから。コレットの好意に甘えていたことに、今更気が付いてしまったから。
これまでの全てが、好意によるものではなく厚意によるものだったことを知って、怖くなったのだ。
勝手な思い込みが全否定された今、一体どんな顔をして彼女に声をかければいいのか、セルジュにはわからない。
ふたたび失恋するくらいなら、いっそのことこのまま彼女に関わることなく、一方的に胸に抱いたこの想いが消えるのを待つほうがずっと良い。
「このあとはグランセル公爵邸の夜会警備の打ち合わせだったな。さっさと着替えて殿下の執務室に向かわなければ」
ぽつりと独り言ちて、セルジュはゆらりと立ち上がった。
とぼとぼと宿舎の表に向かう道すがら、見上げた空は忌々しいほどに青く晴れ渡っていた。
その日、いつものように訓練を終えると、セルジュは浴場で汗を流し、真っ直ぐに宿舎に戻った。
人気のない厨房でコップ一杯の水を飲み、ぐるりと食堂を見渡して、なんとなく窓の外へと目を向けたところで、ちらりと横切る人影が目に付いた。
赤褐色の瞳を大きく見開いて、慌てて窓辺に駆け寄ると、セルジュは窓から身を乗り出して外の様子を確認した。
使用人らしき女の影が細い通路の角を曲がり、宿舎裏に消える。セルジュは突き動かされるように窓枠を飛び越えて、その女の影を追った。
城壁と宿舎のあいだの細い通路を駆け抜けて、植え込みが茂る宿舎裏に飛び出して。彼女を呼び止めようとして、ハッとして口を噤む。
静まり返った空き地に含み笑いと色めいた吐息が微かに響く。人目をはばかるように隠れて濃厚な口付けを交わしていたのは、年若い騎士と王城の下働きの娘だった。
音を立てないように後退り、宿舎の影に身を潜める。緊張の糸がぷつりと切れて、セルジュは壁に背を預け、草の上に座り込んだ。
――あいつかと思った。
黒檀色の髪を掻き上げて、深々と溜め息を吐く。
黒いデイドレスに白いキャップとエプロンが良く似合う、亜麻色の髪と榛色の瞳が愛らしいコレットの姿を思い浮かべ、セルジュは膝の間に首を垂れた。
セルジュがコレットと話をしたのは、訓練の終わりを告げたあの夜が最後だった。それ以来、彼女はセルジュの部屋を訪れていない。単純に、彼女がこの城で生活するうえでセルジュの部屋を訪れる必要がないというだけで、意図的に避けられているわけではないはずだ。
王太子の従者であるロランならいざ知らず、護衛でしかないセルジュが王太子の婚約者の侍女を務めるコレットと接する機会など、特別な口実でも作らない限り有りはしない。顔を合わせる機会はあっても、言葉を交わす必要がないのだ。
深く考えずに気軽に声をかければ良いのかもしれない。それなのに、セルジュはそんな簡単なことすらできなかった。
階下での食事の際に同じテーブルを囲みはしても、執事と向かい合った席に着き、コレットとロランの和やかな会話を盗み聞きするくらいのことしかできなかった。
なぜならセルジュは今までずっと、自分は彼女の大切な存在なのだと勝手に思い込んでいたから。コレットの好意に甘えていたことに、今更気が付いてしまったから。
これまでの全てが、好意によるものではなく厚意によるものだったことを知って、怖くなったのだ。
勝手な思い込みが全否定された今、一体どんな顔をして彼女に声をかければいいのか、セルジュにはわからない。
ふたたび失恋するくらいなら、いっそのことこのまま彼女に関わることなく、一方的に胸に抱いたこの想いが消えるのを待つほうがずっと良い。
「このあとはグランセル公爵邸の夜会警備の打ち合わせだったな。さっさと着替えて殿下の執務室に向かわなければ」
ぽつりと独り言ちて、セルジュはゆらりと立ち上がった。
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