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第17話 宴の夜
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煌びやかな装飾が施された両開きの扉の奥は、すでに風格ある紳士と美しく着飾った貴婦人であふれかえっていた。
頭上では硝子のシャンデリアがいくつもきらめいて、ホールを飾り立てる花や調度品を輝かせており、ご馳走がずらりと並ぶテーブルの側で、見目のいい給仕服の男女が賓客にワインやカクテルを振舞っている。
セルジュは呆然と扉の前に立ち尽くし、壮麗な夜会の光景に見入っていた。
五年以上前、寄宿学校の社交の授業で催された記憶に残る最初で最後のパーティーでの出来事が、セルジュの脳裏に蘇る。あのときのセルジュは異常に緊張していて、女性の顔をまともに見ることすらできなかった。
けれど、今は違う。セルジュは女性と向かい合っても緊張などしないし、手を触れても、ダンスを踊っても、堂々と落ち着いて振舞うことができる。
もし緊張するのだとしたら、その相手はただひとり。そしてそれはきっと、あの頃のような不快な感情による緊張ではない。未だに素直になれない大人げないセルジュのことを、優しく真摯に受け止めてくれたコレットへの愛によるものなのだから。
愛などという言葉をごく自然に考えてしまったことが、ほんの少し気恥ずかしい。公爵邸の廊下でセルジュを見送ってくれたコレットの笑顔が思い浮かべ、セルジュは微かに頬を緩ませた。
女性恐怖症を治すために、コレットには今まで散々世話を掛けてきた。ふたりきりで過ごしたあの時間にも、きちんと意味があったのだと。彼女にそう証明するために、セルジュは今夜、このフロアに立った。
爵位ある家の名に恥じぬよう、貴族の子息らしく振舞って夜会を愉しむこと。それがなによりも、コレットへの恩に報いることになるはずだ。
背筋を伸ばし、堂々と胸を張って、セルジュは煌びやかな社交界へ一歩踏み出した。
グランセル公爵夫妻への挨拶を速やかに終えると、セルジュは壁際に置かれたカウチのそばに立ち、ホール内をぐるりと見渡した。
当然のことながら、壇上のヴィルジールとリュシエンヌの他に見知った顔などどこにもない。
さてどうしたものか、と考え込もうとした矢先、背後から唐突に声を掛けられた。
「セルジュ様? ヴァレス子爵家のセルジュ様ではございませんの?」
艶やかで華のある女性の声だった。
振り返ると数歩先で、ビジューをあしらった藍色のドレスの黒髪の女性――歳の頃はセルジュと同じくらいか――がセルジュを見ていた。
どこかで面識があっただろうか。
わずかに眉根を寄せて記憶を辿り、セルジュははっと目を見開いた。
すっかり顔を忘れてしまっていたけれど、おそらくこの女性はあのときの――寄宿学校のパーティーでセルジュに手汗がすごいと言い放った、あの令嬢だ。
名前は確か、フランセット・アズナヴール。父親はセルジュの父と同じく子爵だった。
一瞬動揺しかけたものの、セルジュはすぐに気を持ち直し、フランセットのほうに向き直った。彼女はまったく悪びれもせず、しなりしなりとセルジュに歩み寄り、扇で口元を隠して悩ましげな視線をセルジュに向けた。
「お噂は予々ですわ。護衛騎士就任おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
「今回、革命軍を制圧する際にも活躍されたんですってね。勲章授与もあり得るのではなくて?」
「事後処理が先だが、検討中だと殿下が仰っていた」
「まあ、素晴らしいわ」
瞳を細めて扇を揺らして、フランセットはくすくすと笑った。
――なるほど、そういうことか。
セルジュは気が付いた。
この媚びを売るような露骨な態度は、セルジュが就いている護衛騎士という名誉ある立場に魅力を感じてのものだろう。
あまり好ましくない相手ではあるけれど、コレットとの関係を修復することで女性恐怖症もここまで克服できたのだから、もうひとりの原因であるこの令嬢とのわだかまりも消し去ってしまうべきなのかもしれない。
口元がふと綻ぶ。堂々と胸を張り、紳士の礼を取ると、セルジュは恭しくフランセットの手を取った。
「一曲、いかがですか」
「ええ、喜んで」
煌びやかなホールにピアノと弦楽器の美しい音色が響く。
王城の舞踏室でリュシエンヌにそうしたように、ヴィルジールに倣った完璧なリードでセルジュはダンスを踊り終えた。
フランセットはセルジュのことをお気に召したようで、一曲踊り終えたあともセルジュのそばを離れなかった。彼女はセルジュから他の女性を遠ざけて、終始楽しそうに社交界で囁かれる噂話や流行の話をしていた。
セルジュにとって、フランセットの話はどれも退屈で興味のないものばかりだった。けれど、あの日受けた屈辱がまるでなかったことように自然に振舞えた事実は、この夜会での一番の収穫のように思えた。
すっかり夜も更けたころ、セルジュは公爵邸の玄関ホールでフランセットの見送りに立った。
彼女は最後までご機嫌で、迎えの馬車に乗り込む前に、セルジュを振り返ってこう言った。
「近々うちで正餐会を開きますの。よろしければ貴方もいらして」
煌びやかな装飾が施された両開きの扉の奥は、すでに風格ある紳士と美しく着飾った貴婦人であふれかえっていた。
頭上では硝子のシャンデリアがいくつもきらめいて、ホールを飾り立てる花や調度品を輝かせており、ご馳走がずらりと並ぶテーブルの側で、見目のいい給仕服の男女が賓客にワインやカクテルを振舞っている。
セルジュは呆然と扉の前に立ち尽くし、壮麗な夜会の光景に見入っていた。
五年以上前、寄宿学校の社交の授業で催された記憶に残る最初で最後のパーティーでの出来事が、セルジュの脳裏に蘇る。あのときのセルジュは異常に緊張していて、女性の顔をまともに見ることすらできなかった。
けれど、今は違う。セルジュは女性と向かい合っても緊張などしないし、手を触れても、ダンスを踊っても、堂々と落ち着いて振舞うことができる。
もし緊張するのだとしたら、その相手はただひとり。そしてそれはきっと、あの頃のような不快な感情による緊張ではない。未だに素直になれない大人げないセルジュのことを、優しく真摯に受け止めてくれたコレットへの愛によるものなのだから。
愛などという言葉をごく自然に考えてしまったことが、ほんの少し気恥ずかしい。公爵邸の廊下でセルジュを見送ってくれたコレットの笑顔が思い浮かべ、セルジュは微かに頬を緩ませた。
女性恐怖症を治すために、コレットには今まで散々世話を掛けてきた。ふたりきりで過ごしたあの時間にも、きちんと意味があったのだと。彼女にそう証明するために、セルジュは今夜、このフロアに立った。
爵位ある家の名に恥じぬよう、貴族の子息らしく振舞って夜会を愉しむこと。それがなによりも、コレットへの恩に報いることになるはずだ。
背筋を伸ばし、堂々と胸を張って、セルジュは煌びやかな社交界へ一歩踏み出した。
グランセル公爵夫妻への挨拶を速やかに終えると、セルジュは壁際に置かれたカウチのそばに立ち、ホール内をぐるりと見渡した。
当然のことながら、壇上のヴィルジールとリュシエンヌの他に見知った顔などどこにもない。
さてどうしたものか、と考え込もうとした矢先、背後から唐突に声を掛けられた。
「セルジュ様? ヴァレス子爵家のセルジュ様ではございませんの?」
艶やかで華のある女性の声だった。
振り返ると数歩先で、ビジューをあしらった藍色のドレスの黒髪の女性――歳の頃はセルジュと同じくらいか――がセルジュを見ていた。
どこかで面識があっただろうか。
わずかに眉根を寄せて記憶を辿り、セルジュははっと目を見開いた。
すっかり顔を忘れてしまっていたけれど、おそらくこの女性はあのときの――寄宿学校のパーティーでセルジュに手汗がすごいと言い放った、あの令嬢だ。
名前は確か、フランセット・アズナヴール。父親はセルジュの父と同じく子爵だった。
一瞬動揺しかけたものの、セルジュはすぐに気を持ち直し、フランセットのほうに向き直った。彼女はまったく悪びれもせず、しなりしなりとセルジュに歩み寄り、扇で口元を隠して悩ましげな視線をセルジュに向けた。
「お噂は予々ですわ。護衛騎士就任おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
「今回、革命軍を制圧する際にも活躍されたんですってね。勲章授与もあり得るのではなくて?」
「事後処理が先だが、検討中だと殿下が仰っていた」
「まあ、素晴らしいわ」
瞳を細めて扇を揺らして、フランセットはくすくすと笑った。
――なるほど、そういうことか。
セルジュは気が付いた。
この媚びを売るような露骨な態度は、セルジュが就いている護衛騎士という名誉ある立場に魅力を感じてのものだろう。
あまり好ましくない相手ではあるけれど、コレットとの関係を修復することで女性恐怖症もここまで克服できたのだから、もうひとりの原因であるこの令嬢とのわだかまりも消し去ってしまうべきなのかもしれない。
口元がふと綻ぶ。堂々と胸を張り、紳士の礼を取ると、セルジュは恭しくフランセットの手を取った。
「一曲、いかがですか」
「ええ、喜んで」
煌びやかなホールにピアノと弦楽器の美しい音色が響く。
王城の舞踏室でリュシエンヌにそうしたように、ヴィルジールに倣った完璧なリードでセルジュはダンスを踊り終えた。
フランセットはセルジュのことをお気に召したようで、一曲踊り終えたあともセルジュのそばを離れなかった。彼女はセルジュから他の女性を遠ざけて、終始楽しそうに社交界で囁かれる噂話や流行の話をしていた。
セルジュにとって、フランセットの話はどれも退屈で興味のないものばかりだった。けれど、あの日受けた屈辱がまるでなかったことように自然に振舞えた事実は、この夜会での一番の収穫のように思えた。
すっかり夜も更けたころ、セルジュは公爵邸の玄関ホールでフランセットの見送りに立った。
彼女は最後までご機嫌で、迎えの馬車に乗り込む前に、セルジュを振り返ってこう言った。
「近々うちで正餐会を開きますの。よろしければ貴方もいらして」
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