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3話 騎士
前編
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それはある昼下がり、ドランベルグ王国の民は穏やかな一日をおくり、国の政は滞りない、平和を表す一日あった。
バラの花が咲き誇る王宮庭園の東屋で、何をするでなく、王子リンドブルムはバラの香りを楽しんでいた。
「今年もバラが良く咲いているな」
「ええ、今年庭園中をバラの香りが満たしてます」
「私、王宮庭園って初めて入ったんですけど、バラの花ばっかりですごいですね」
騎士のバルトロスとメイドのイルマを伴い、リンドブルムは辺りを満たす香りに酔う。
「赤と白のバラは王家の紋章でもあるからな。ここは王家の象徴も言える場所の一つでもあるのだ」
そんな芳しい香りを踏みにじるかのように、リンドブルムとバルトロスの花がここに相応しくない臭いを捉えた。
「バルトロス、この臭いは」
「間違いなく、こちらに向かってきていますね」
二人が顔をしかめ、庭園の一点を見る。
「王子様! こちらにいらっしゃると聞いて来ちゃいました!」
バラの香りを塗りつぶす悪臭を放つバスケットを片手に、魔法使いヴィルヘルミーナがこちらに小走りでやってくる。
「ええい、そなたどこから私の居場所を探っておるのだっ!」
「ヒ、ミ、ツ、です。そんなことより王子様、新しい薬が出来たんです、試していただけませんか」
悪臭の元を一つ手に取り、駆け寄ってくる……途中で盛大になにかに躓き、バスケットの中が宙を舞う。
「っ?!」
「危ない、王子!」
飛んでくる異臭物から応じを守るため、騎士はその体を盾にし椅子に座っている王子へ覆いかぶさる。
液体の弾ける音、瓶が落ちる甲高い音、広がる強烈な悪臭。
「王子様! バルトロス卿! 大丈夫ですか?!」
イルマの悲鳴に近い声が響き渡る。
「王子、どうされました!」
「悲鳴が聞こえました、何か!」
近くにいた騎士達が慌ててやってくる。
「私は大事無い。バルトロス、そなたは大事ないか?」
謎の薬を大量に浴びたバルトロスの肩を抱き起こす。
「はい、だいじょう、うぐっ」
自分の体を抱き、体を丸くするバルトロス。
全身の毛が総毛立ち、瞳孔が真夜中かのように真円に開く。
「あ、がっ……ぐぁっがああああぁっぁああぁあつ!」
薄い氷を割るような音がバルトロスの体から響く。
「医者を、医者を呼べっ!」
「バルトロスさん! 大丈夫ですかバルトロスさん!」
苦悶の声を上げながら体を震わすバルトロスの肩を抱きながら、手の中の感触が変わっていくのがリンドブルムにはわかった。
急にバルトロスの体から力が抜けたように、リンドブルムに体重を預ける。
「ご心配をおかけし、申し訳……ありません」
荒い息をしながらバルトロスが顔を上げる。
どこか疲れた目をして入るが、穏やかな目をした狼の獣人がそこにいた。だがその表情はいつもにはない柔らかさも感じた。
「体の方は問題ない、と思われます。臭いが酷いので、一度着替えてきてもよろしいでしょうか」
バルトロスにしては妙に高い声ではあったが、しっかりとした調子で言葉を発す。
立ち上がり礼をするバルトロス。どこか体の線が細くなったかのように感じる。いや、腰の剣を下げている剣が、ズボンをとめていたベルトが本来の位置よりも下にさがってきている。
何より、周りにいる者達の視線を集める個所がある。胸だ。
本来男性になく、女性にあるべきそれが、豊かな、たわわに実った2つの果実がそこに実っていた。
その光景を見た全員が絶句していた。王子も、メイドも、魔法使いも、駆けつけた騎士達も、全員絶句していた。
「どうしました、皆さん……ぅえ?!」
全員の視線が自分に集まっていることに気付き、自分の体を見下ろす。最初に目に入ったのはもちろん、自身のたわわな胸である。
目の前の物が何なのか理解できず、押し、揉み、上げ下げ、その存在を確認する。
顔が引きつっていた。バルトロスだけではない、リンドブルムも、イルマも、ヴィルヘルミーナも、駆けつけた騎士達も全員だ。
次の瞬間、王宮庭園に絶叫の合唱が響き渡った。
「体の方は、結局どうだったのだ?」
「医者の言葉では、完全に女性の体になっているそうです」
王子の自室、いるのは二人。机に突っ伏し頭を抱えるリンドブルムとその前に真っ直ぐに立つバルトロスの二人だ。
今の自分の体には大きく感じるいつもの服を身にまとい、自分の体についての報告をする。
「簡単に言ってしまうと、男としてあるべきものがなくなって、本来ない器官ができた。とのことです」
天井を仰ぐリンドブルム。
「何をしてくれたのだ、ヴィルヘルミーナは」
「今、原因を調べてくれているんですよね?」
「そうではあるが、急に体が変わって不便はないのか?」
「服が合わなくなったことが不便ですね。そうなると、鎧も体に合わなくなっているでしょう。後、胸が下がって辛かったので、今は布を巻いて押さえているのですが、痛苦しいです」
胸の話が出て、思わずそこへ視線が行く。
布で押さえていると言ったが、それでも十分すぎるほどの存在感があった。
リンドブルムの手はその巨躯に相応しい大きさであるが、庭園で見た時の大きさは片手では零れ落ちそうなほどである。今まで多くのご婦人との見合いを行ってきたが、ここまで自己主張の激しい豊かな胸を見たのは初めてである。
家族以外の女性の体に触れたことなど無かった。正直に言ってしまえば触れたいと思ったことは何度もある。
しかしそれをやることは、口にすることは許されない。
だが今、目の前にいるのは親友とも言うべきバルトロスだ。男だ。触りたいと言っても許されるのでは、むしろ触らせてくれるのでは、という考えが蛇が鎌首をもたげる用にもたげ上がる。
「王子、どうされました?」
バルトロスが顔を覗き込んでくる。
バルトロスがいつも使う香油の匂いに混じって、彼の匂いとは違う彼の匂いが鼻孔をくすぐる。
ダメだった、このままでは女性というものに対して抱いている好奇心や興味を、男性であるバルトロスなら満たしてくれるのでは、というおかしな感情で満たそうとしてしまいそうになる。
「すまぬ、バルトロスっ! しばらくそなたの仕事をイルマと変わってくれぬかっ!」
「ど、どうしました王子。急に?」
「そのだ、なんというかだ、そなたの外見と言うか匂いと言うか、なんというかそれが私の落ち着きをなくすのだ」
視線が胸の豊満へ向く。
一体ご婦人の胸とは、体とはどんな感触なのだろうか。男同士、親友同士であるバルトロスなら触らせてくれるのではないか。いや、いや今のバルトロスはご婦人と言って差し支えないのかも知れない、それに対しそんな事を言うのは礼を失する発言だ。
「ひょっとして王子、俺の胸触りたい、とか思ってません?」
「んななななにぃぅおおおおっ!」
「王子が触れたことのある女性なんて、妃殿下と乳母代わりだったメイド長くらいですからね。これだけ大きな胸を見たら、触れてみたいと思っても、何の疑問もありませんよ」
一人納得するバルトロス。
「それ以上にご婦人の裸は愚か、胸なんてまともに見たこともないでしょう」
否定しようにも実際そう思っていたし、この歳になるまでご婦人とそう言う関係になったことがないのだから、否定のしようがない。
「触ります?」
「ふおぁっ?!」
「いや、別に男同士で触られたところで、何も感じるものはありませんよ。むしろ今のうちに、ご婦人の触れ方を学んでいただくのも一つですからね」
シャツのボタンを一つ、また一つと外していき、シャツの前を大きく開くと、自身の胸をあらわにする。
布に抑え込まれながらもなお高き頂きを誇る双丘の間には、暗く深く暖かであろう谷間が見える。
「そなた、その、それは……」
「どうされます、王子?」
ご婦人の体に触れたいという気持ち、触ったら大事な親友を失うのではないかという気持ち、豊かな胸に触れたいという気持ちがリンドブルムの内で葛藤する。
「あ、それ……は」
「王子、ご婦人から求められたら、それに答えるのも男というものですよ」
その言葉に体が一瞬、硬直する。
つまりこれは触って良いということか、むしろ触って欲しいという事なのか、いやそもそもバルトロスは男だろう、いや体が女になったのだからご婦人ということで良いのか。答えがわからない答えが頭の中を渦のように周り、視界が歪んてきている錯覚に陥りそうになる。
もう正常な判断など出来なかった。目の前の豊穣が、リンドブルムの思考を狂わせているのだ。
「バル、トロス……触れても、良いのだな」
「王子これ以上、俺に恥をかかせないでください」
リンドブルムの手が初めて何かを掴む赤子のように動く。それはまるで、母の乳を求める赤子のような力なく、弱々しい動きであった。
後少し、指一本分近づけば触れるであろうほどの距離まで近づいたその瞬間、扉をノックする音が聞こえた。
「な、なっ何の用だっ!」
「殿下、バルトロス卿はこちらにおられますでしょうか」
メイド長の声だ。
バルトロはすでに服を正し、机の前に直立の姿勢で立っている。背筋を伸ばしているせいで、胸が強調されて気になって仕方がない。
「うむ、ここにいるぞ」
「入ってもよろしいでしょうか」
「構わぬ」
メイド長が何か衣装を持ったイルマを連れ、部屋へと入ってくる。
「バルトロス卿、以前王宮に勤めていたメイドの服が見つかりましたので、お持ち致しました」
「かなり大柄な方だったそうなので、肩周りと腰回りは入ると思うんですけど、丈が短いかもしれないです」
「すいません。いつもの服だと体に合わなくて、体に合う服が欲しかったんです」
そう言うとバルトロスは上着に手をかける。
「ちょっと待てーっ! ここで着替えるのかっ!」
「ああ、申し訳ありません殿下。控えの方で着替えてまいります」
従者用の控室にバルトロスが入っていくと、メイド長とイルマもその後に続く。
「そなた達、なぜ共に行くのだ?!」
「バルトロス卿、女性物の服の着方わからないですよね?」
「着替えの手伝いですが、何かございますでしょうか」
いや無い、とだけ答えると、控室の扉が閉められる。
扉の向こうの音に、何故か耳を澄ませていた。
「バルトロス卿、こんなキツく胸締めたら痛くありません?!」
「そのままだと下がって邪魔だったんでこうしてるんですが、ご婦人はやり方が違うんですか?」
「先に胸の方からやりましょう。バルトロス卿、胸の布、一度解きますよ」
「うっわぁ、最初に見た時も思ったんですけど、本当に大きいですよね」
「さあ、布を巻き直しますから、体を少し前に曲げてください」
「えっと、こんな感じですか? なんだか垂れて邪魔なんですが」
「これから形を整えて、無理のない強さで押さえます。イルマ、形を整えて押さえてください」
「わかりました……へえ、獣人の人の胸ってこうなってるんですね」
「あの、イルマさん。変なところ触らないでいただけます」
「へ、ひぁあ、ごめんなさいです」
「イルマ、動かすんじゃありません」
気持ちは扉を開け、何をやっているのか覗き込みたい衝動に駆られそうになる。
何を、何をやっているんだ。ご婦人の着替えを除くなど、男としてありえぬ行為だ。そう自分に言い聞かせる。
しかし興味はある。いや、正直に言えば見たい。
知らずしらずの内に鼻息が荒くなっていく。
こういう時にはどうすればいいのか考える。
そうだ、素数だ。素数を数えるのだ。
「一、二、三、五、七、十一、十三、十七、十九、二十三、二十九、三十一、三十七、四十一、四十三、四十七、五十三、五十九、六十一、六十七、七十一、七十三、七十九、八十三、八十九、九十七、百一、百三、百七、百九、百二十七、百三十一、百三十七、百三十九、百四十九……」
ブツブツブツブツと数字をつぶやき始める王子。
傍から見たら怪しさと恐ろしさを併せ持ち、ある種の最凶生物にしか見えない。
「お待たせ致しました。着替えが済みましたので、何かあればお申し付けください」
そう言って出てきたのはメイド服に身を包んだバルトロスだった。顔立ちも女性的になっているせいか、思いの外似合っており、何と言葉をかけたらいいか迷う。
「やっぱり女性物の方が肩幅や腰回りが体に合いますね」
「バルトロス卿、元々表情が柔らかかったですけど、女性になってキレイになりましたよね」
賛同を求めるようにイルマがリンドブルムを見る。
答えられるわけがない。
「あ、うむ。着られる服があって、良かったのではないか」
リンドブルムは視線をそらそうとするが、つい一点に視線が向いてしまう。
大きかった。
左右に比較対象があるため、その大きさがより強調されてしまう。
駄目だ、見るな、そう思いっているものの、豊かな一対の実りは王子の視線を奪って離そうとしなかった。
先程より形良くなったそこを見て、思わずつばを飲む。
これほど自分はご婦人の胸というものに執着する人間だったのかと思い、視線を床の上に落とす。
バルトロスのスカートの丈が二人よりも短い。
王宮のメイドのスカートは丈が長く、足首から先くらいしか見えない。しかし今、彼が着ているメイド服を着ていた者は背があまり高くなかったのだろう。ヒザ下から先がスカートの裾から伸びており、スラリと引き締まった足がさらされ目を引く。
「駄目だ、このままでは駄目だ」
リンドブルムは何とかしなくてはならなかった。自身の双丘への渇望を、親友を親友で亡くしてしまいかねない感情を。
そうだ、動くのだ。動いて動いて、疲れるまで動いて頭の雑念を追い払うのだ。
この際どこかの魔物には全滅してもらう勢いで倒してしまえばいい。それだけ体を動かせば雑念も晴れるだろう。
そう考えたら、やることは一つしか無い。
「バルトロス、メイド長。すまぬが明日は街へ出る。予定の再調整を頼むぞ」
「畏まりました。すぐに予定を確認し、別日程に調整いたします」
「街へ出るためのお服、すぐに用意いたします」
バルトロスとメイド長が姿勢を正し、頭を垂れ礼をする。
そうだ、少し暴れて頭を空っぽにすればいい。ヴィルヘルミーナが元に戻る薬を作るまでだ、上手く生活を切り替えてやればやっていける。リンドブルムには確たる自信があった。
「予定の調整が終わりましたら、鎧を含めた装備が使用可能か調整をしてまいります」
リンドブルムは忘れていた、バルトロスもついてくることを忘れていた。
自信は早くも打ち砕かれた。
バラの花が咲き誇る王宮庭園の東屋で、何をするでなく、王子リンドブルムはバラの香りを楽しんでいた。
「今年もバラが良く咲いているな」
「ええ、今年庭園中をバラの香りが満たしてます」
「私、王宮庭園って初めて入ったんですけど、バラの花ばっかりですごいですね」
騎士のバルトロスとメイドのイルマを伴い、リンドブルムは辺りを満たす香りに酔う。
「赤と白のバラは王家の紋章でもあるからな。ここは王家の象徴も言える場所の一つでもあるのだ」
そんな芳しい香りを踏みにじるかのように、リンドブルムとバルトロスの花がここに相応しくない臭いを捉えた。
「バルトロス、この臭いは」
「間違いなく、こちらに向かってきていますね」
二人が顔をしかめ、庭園の一点を見る。
「王子様! こちらにいらっしゃると聞いて来ちゃいました!」
バラの香りを塗りつぶす悪臭を放つバスケットを片手に、魔法使いヴィルヘルミーナがこちらに小走りでやってくる。
「ええい、そなたどこから私の居場所を探っておるのだっ!」
「ヒ、ミ、ツ、です。そんなことより王子様、新しい薬が出来たんです、試していただけませんか」
悪臭の元を一つ手に取り、駆け寄ってくる……途中で盛大になにかに躓き、バスケットの中が宙を舞う。
「っ?!」
「危ない、王子!」
飛んでくる異臭物から応じを守るため、騎士はその体を盾にし椅子に座っている王子へ覆いかぶさる。
液体の弾ける音、瓶が落ちる甲高い音、広がる強烈な悪臭。
「王子様! バルトロス卿! 大丈夫ですか?!」
イルマの悲鳴に近い声が響き渡る。
「王子、どうされました!」
「悲鳴が聞こえました、何か!」
近くにいた騎士達が慌ててやってくる。
「私は大事無い。バルトロス、そなたは大事ないか?」
謎の薬を大量に浴びたバルトロスの肩を抱き起こす。
「はい、だいじょう、うぐっ」
自分の体を抱き、体を丸くするバルトロス。
全身の毛が総毛立ち、瞳孔が真夜中かのように真円に開く。
「あ、がっ……ぐぁっがああああぁっぁああぁあつ!」
薄い氷を割るような音がバルトロスの体から響く。
「医者を、医者を呼べっ!」
「バルトロスさん! 大丈夫ですかバルトロスさん!」
苦悶の声を上げながら体を震わすバルトロスの肩を抱きながら、手の中の感触が変わっていくのがリンドブルムにはわかった。
急にバルトロスの体から力が抜けたように、リンドブルムに体重を預ける。
「ご心配をおかけし、申し訳……ありません」
荒い息をしながらバルトロスが顔を上げる。
どこか疲れた目をして入るが、穏やかな目をした狼の獣人がそこにいた。だがその表情はいつもにはない柔らかさも感じた。
「体の方は問題ない、と思われます。臭いが酷いので、一度着替えてきてもよろしいでしょうか」
バルトロスにしては妙に高い声ではあったが、しっかりとした調子で言葉を発す。
立ち上がり礼をするバルトロス。どこか体の線が細くなったかのように感じる。いや、腰の剣を下げている剣が、ズボンをとめていたベルトが本来の位置よりも下にさがってきている。
何より、周りにいる者達の視線を集める個所がある。胸だ。
本来男性になく、女性にあるべきそれが、豊かな、たわわに実った2つの果実がそこに実っていた。
その光景を見た全員が絶句していた。王子も、メイドも、魔法使いも、駆けつけた騎士達も、全員絶句していた。
「どうしました、皆さん……ぅえ?!」
全員の視線が自分に集まっていることに気付き、自分の体を見下ろす。最初に目に入ったのはもちろん、自身のたわわな胸である。
目の前の物が何なのか理解できず、押し、揉み、上げ下げ、その存在を確認する。
顔が引きつっていた。バルトロスだけではない、リンドブルムも、イルマも、ヴィルヘルミーナも、駆けつけた騎士達も全員だ。
次の瞬間、王宮庭園に絶叫の合唱が響き渡った。
「体の方は、結局どうだったのだ?」
「医者の言葉では、完全に女性の体になっているそうです」
王子の自室、いるのは二人。机に突っ伏し頭を抱えるリンドブルムとその前に真っ直ぐに立つバルトロスの二人だ。
今の自分の体には大きく感じるいつもの服を身にまとい、自分の体についての報告をする。
「簡単に言ってしまうと、男としてあるべきものがなくなって、本来ない器官ができた。とのことです」
天井を仰ぐリンドブルム。
「何をしてくれたのだ、ヴィルヘルミーナは」
「今、原因を調べてくれているんですよね?」
「そうではあるが、急に体が変わって不便はないのか?」
「服が合わなくなったことが不便ですね。そうなると、鎧も体に合わなくなっているでしょう。後、胸が下がって辛かったので、今は布を巻いて押さえているのですが、痛苦しいです」
胸の話が出て、思わずそこへ視線が行く。
布で押さえていると言ったが、それでも十分すぎるほどの存在感があった。
リンドブルムの手はその巨躯に相応しい大きさであるが、庭園で見た時の大きさは片手では零れ落ちそうなほどである。今まで多くのご婦人との見合いを行ってきたが、ここまで自己主張の激しい豊かな胸を見たのは初めてである。
家族以外の女性の体に触れたことなど無かった。正直に言ってしまえば触れたいと思ったことは何度もある。
しかしそれをやることは、口にすることは許されない。
だが今、目の前にいるのは親友とも言うべきバルトロスだ。男だ。触りたいと言っても許されるのでは、むしろ触らせてくれるのでは、という考えが蛇が鎌首をもたげる用にもたげ上がる。
「王子、どうされました?」
バルトロスが顔を覗き込んでくる。
バルトロスがいつも使う香油の匂いに混じって、彼の匂いとは違う彼の匂いが鼻孔をくすぐる。
ダメだった、このままでは女性というものに対して抱いている好奇心や興味を、男性であるバルトロスなら満たしてくれるのでは、というおかしな感情で満たそうとしてしまいそうになる。
「すまぬ、バルトロスっ! しばらくそなたの仕事をイルマと変わってくれぬかっ!」
「ど、どうしました王子。急に?」
「そのだ、なんというかだ、そなたの外見と言うか匂いと言うか、なんというかそれが私の落ち着きをなくすのだ」
視線が胸の豊満へ向く。
一体ご婦人の胸とは、体とはどんな感触なのだろうか。男同士、親友同士であるバルトロスなら触らせてくれるのではないか。いや、いや今のバルトロスはご婦人と言って差し支えないのかも知れない、それに対しそんな事を言うのは礼を失する発言だ。
「ひょっとして王子、俺の胸触りたい、とか思ってません?」
「んななななにぃぅおおおおっ!」
「王子が触れたことのある女性なんて、妃殿下と乳母代わりだったメイド長くらいですからね。これだけ大きな胸を見たら、触れてみたいと思っても、何の疑問もありませんよ」
一人納得するバルトロス。
「それ以上にご婦人の裸は愚か、胸なんてまともに見たこともないでしょう」
否定しようにも実際そう思っていたし、この歳になるまでご婦人とそう言う関係になったことがないのだから、否定のしようがない。
「触ります?」
「ふおぁっ?!」
「いや、別に男同士で触られたところで、何も感じるものはありませんよ。むしろ今のうちに、ご婦人の触れ方を学んでいただくのも一つですからね」
シャツのボタンを一つ、また一つと外していき、シャツの前を大きく開くと、自身の胸をあらわにする。
布に抑え込まれながらもなお高き頂きを誇る双丘の間には、暗く深く暖かであろう谷間が見える。
「そなた、その、それは……」
「どうされます、王子?」
ご婦人の体に触れたいという気持ち、触ったら大事な親友を失うのではないかという気持ち、豊かな胸に触れたいという気持ちがリンドブルムの内で葛藤する。
「あ、それ……は」
「王子、ご婦人から求められたら、それに答えるのも男というものですよ」
その言葉に体が一瞬、硬直する。
つまりこれは触って良いということか、むしろ触って欲しいという事なのか、いやそもそもバルトロスは男だろう、いや体が女になったのだからご婦人ということで良いのか。答えがわからない答えが頭の中を渦のように周り、視界が歪んてきている錯覚に陥りそうになる。
もう正常な判断など出来なかった。目の前の豊穣が、リンドブルムの思考を狂わせているのだ。
「バル、トロス……触れても、良いのだな」
「王子これ以上、俺に恥をかかせないでください」
リンドブルムの手が初めて何かを掴む赤子のように動く。それはまるで、母の乳を求める赤子のような力なく、弱々しい動きであった。
後少し、指一本分近づけば触れるであろうほどの距離まで近づいたその瞬間、扉をノックする音が聞こえた。
「な、なっ何の用だっ!」
「殿下、バルトロス卿はこちらにおられますでしょうか」
メイド長の声だ。
バルトロはすでに服を正し、机の前に直立の姿勢で立っている。背筋を伸ばしているせいで、胸が強調されて気になって仕方がない。
「うむ、ここにいるぞ」
「入ってもよろしいでしょうか」
「構わぬ」
メイド長が何か衣装を持ったイルマを連れ、部屋へと入ってくる。
「バルトロス卿、以前王宮に勤めていたメイドの服が見つかりましたので、お持ち致しました」
「かなり大柄な方だったそうなので、肩周りと腰回りは入ると思うんですけど、丈が短いかもしれないです」
「すいません。いつもの服だと体に合わなくて、体に合う服が欲しかったんです」
そう言うとバルトロスは上着に手をかける。
「ちょっと待てーっ! ここで着替えるのかっ!」
「ああ、申し訳ありません殿下。控えの方で着替えてまいります」
従者用の控室にバルトロスが入っていくと、メイド長とイルマもその後に続く。
「そなた達、なぜ共に行くのだ?!」
「バルトロス卿、女性物の服の着方わからないですよね?」
「着替えの手伝いですが、何かございますでしょうか」
いや無い、とだけ答えると、控室の扉が閉められる。
扉の向こうの音に、何故か耳を澄ませていた。
「バルトロス卿、こんなキツく胸締めたら痛くありません?!」
「そのままだと下がって邪魔だったんでこうしてるんですが、ご婦人はやり方が違うんですか?」
「先に胸の方からやりましょう。バルトロス卿、胸の布、一度解きますよ」
「うっわぁ、最初に見た時も思ったんですけど、本当に大きいですよね」
「さあ、布を巻き直しますから、体を少し前に曲げてください」
「えっと、こんな感じですか? なんだか垂れて邪魔なんですが」
「これから形を整えて、無理のない強さで押さえます。イルマ、形を整えて押さえてください」
「わかりました……へえ、獣人の人の胸ってこうなってるんですね」
「あの、イルマさん。変なところ触らないでいただけます」
「へ、ひぁあ、ごめんなさいです」
「イルマ、動かすんじゃありません」
気持ちは扉を開け、何をやっているのか覗き込みたい衝動に駆られそうになる。
何を、何をやっているんだ。ご婦人の着替えを除くなど、男としてありえぬ行為だ。そう自分に言い聞かせる。
しかし興味はある。いや、正直に言えば見たい。
知らずしらずの内に鼻息が荒くなっていく。
こういう時にはどうすればいいのか考える。
そうだ、素数だ。素数を数えるのだ。
「一、二、三、五、七、十一、十三、十七、十九、二十三、二十九、三十一、三十七、四十一、四十三、四十七、五十三、五十九、六十一、六十七、七十一、七十三、七十九、八十三、八十九、九十七、百一、百三、百七、百九、百二十七、百三十一、百三十七、百三十九、百四十九……」
ブツブツブツブツと数字をつぶやき始める王子。
傍から見たら怪しさと恐ろしさを併せ持ち、ある種の最凶生物にしか見えない。
「お待たせ致しました。着替えが済みましたので、何かあればお申し付けください」
そう言って出てきたのはメイド服に身を包んだバルトロスだった。顔立ちも女性的になっているせいか、思いの外似合っており、何と言葉をかけたらいいか迷う。
「やっぱり女性物の方が肩幅や腰回りが体に合いますね」
「バルトロス卿、元々表情が柔らかかったですけど、女性になってキレイになりましたよね」
賛同を求めるようにイルマがリンドブルムを見る。
答えられるわけがない。
「あ、うむ。着られる服があって、良かったのではないか」
リンドブルムは視線をそらそうとするが、つい一点に視線が向いてしまう。
大きかった。
左右に比較対象があるため、その大きさがより強調されてしまう。
駄目だ、見るな、そう思いっているものの、豊かな一対の実りは王子の視線を奪って離そうとしなかった。
先程より形良くなったそこを見て、思わずつばを飲む。
これほど自分はご婦人の胸というものに執着する人間だったのかと思い、視線を床の上に落とす。
バルトロスのスカートの丈が二人よりも短い。
王宮のメイドのスカートは丈が長く、足首から先くらいしか見えない。しかし今、彼が着ているメイド服を着ていた者は背があまり高くなかったのだろう。ヒザ下から先がスカートの裾から伸びており、スラリと引き締まった足がさらされ目を引く。
「駄目だ、このままでは駄目だ」
リンドブルムは何とかしなくてはならなかった。自身の双丘への渇望を、親友を親友で亡くしてしまいかねない感情を。
そうだ、動くのだ。動いて動いて、疲れるまで動いて頭の雑念を追い払うのだ。
この際どこかの魔物には全滅してもらう勢いで倒してしまえばいい。それだけ体を動かせば雑念も晴れるだろう。
そう考えたら、やることは一つしか無い。
「バルトロス、メイド長。すまぬが明日は街へ出る。予定の再調整を頼むぞ」
「畏まりました。すぐに予定を確認し、別日程に調整いたします」
「街へ出るためのお服、すぐに用意いたします」
バルトロスとメイド長が姿勢を正し、頭を垂れ礼をする。
そうだ、少し暴れて頭を空っぽにすればいい。ヴィルヘルミーナが元に戻る薬を作るまでだ、上手く生活を切り替えてやればやっていける。リンドブルムには確たる自信があった。
「予定の調整が終わりましたら、鎧を含めた装備が使用可能か調整をしてまいります」
リンドブルムは忘れていた、バルトロスもついてくることを忘れていた。
自信は早くも打ち砕かれた。
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辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
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田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜
AK
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ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。
そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。
さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。
しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。
それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。
だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。
そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。
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