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刹那の愛《櫂理side》
しおりを挟む今日も莉子は可愛い。
明日も可愛い。
ずっと可愛い。
この学校で一番…………いや。
地球上の全生物の中で、一番莉子が可愛い。
「なあ。催眠術ってどう思う?」
「……………は?」
窓の外をぼんやりと眺めていたら、昨日テレビで観たバラエティ番組がふと脳裏に浮かび、何気なく圭に尋ねてみたら物凄く変な目で見られた。
「なんか莉子って直ぐかかりそうじゃん。もし、莉子が催眠術にかかって俺のこと男として見るようになったら、どんな風になるのか気になって」
「お前、相変わらず重症だな」
そして、こっちは至極真面目な相談をしているというのに、全く相手にしようとしない圭の態度が少しだけ癇に障る。
「そんなのそこら辺の女と大して変わらないでしょ。てか、それって目覚めた時に余計ダメージでかくない?」
それから、最後にはとても痛い所を突かれてしまい、思わず顔を顰めた。
「いいじゃん。一瞬でも夢見たってバチは当たらねーだろ」
「へえー。櫂理にしては随分と弱気な発言だね」
しかも、一番触れられて欲しくないところを触れてきて、益々虫の居所が悪くなる。
圭の言う通り、最近俺の情緒が不安定だ。
それもこれも、このごろ莉子は益々綺麗になっていくから。
目が大きくクリッとしていて、昔から人形みたいに可愛いと言われていたけど、成長するにつれて更に磨きがかかってきた気がする。
それに、ふわふわなセミロングの癖っ毛は、まるでパーマが掛かっているようで、なんだか垢抜けて見える。
そのせいか、この学校では莉子を狙っている奴が多い。
女子が少ないから余計なのかもしれないけど、他校生の奴らも狙っていると、この前圭が言っていた。
予防線を張っても絶え間なく湧いてくる虫共。
幸い莉子はあまり色恋には興味なさそうだけど、もし気になるやつでも出来たら、それこそ俺は弟の枠から抜け出せない気がする。
一番近いのに、一番遠い存在。
“義理”というのはこんなにも面倒くさくて、想像以上に残酷で、苦しい。
「それじゃあ、そんな櫂理君に朗報を教えてあげるよ」
すると、ぽつりと呟いた圭の一言によって、遠くに行っていた意識が一気に引き戻される。
「噂で聞いたんだけど、この近くで講演会という名の催眠商法をしている奴がいるみたいで、かなり好評なんだってさ」
「催眠商法って……それ意味違うだろ」
こいつは俺を馬鹿にしているのかと。
全く見当違いの話をしてきたことに、若干苛立っていると、圭は読んでいた本を閉じ、何やら怪しい笑みを浮かべてこちらに向き直してきた。
「それがマジの催眠術らしくて、八割方落ちるんだと。俺はそういうの全く信じないけど、ものは試しに行ってみてもいいんじゃない?」
そして、完全に遊びでしかない誘いに、俺は乗るかどうか頭を悩ます。
ああは言ったけど、俺だって催眠術なんか全く信じてない。
けど、もし本当に成功したら。
莉子が俺を男として見るようになったら。
いっときの夢が叶うチャンスかもしれない。
「…………分かった。それじゃあ、詳細調べとけ」
それから、色々考えた結果。
不発でも何でもいいから、やるだけやってみようという結論に至り、俺達は莉子の催眠術計画を密かに進めていった。
__そして、迎えた金曜日の放課後。
俺達が向かった場所は、学校近くの裏路地にある雑居ビルの三階。
入り口前まで来ると、そこには『あなたの価値観変えます!人生に潤いを!』という、いかにも胡散臭いオカルト宗教のような貼り紙があった。
どうやら既に講演会は始まっているようで、ちらりと中を覗いてみると、そこには爺さん婆さんの他に若い男や女もいた。
講演会は約一時間程。
そして、その渦中の人物はスーツを着た四十代半ばぐらいの、そこら辺にいるサラリーマンみたいなおっさんだった。
「あいつがそんなに凄腕の催眠術師なのか?」
みたところ参加者は三十人近くいて、そこそこに栄えているようだけど、やっぱり全く信用が出来ない。
「この辺りの暴力団がサポートに回っているくらいだから、そうなんじゃない?……あ、ほら。変な置物売ってるよ」
そう圭に言われてもう一度中を覗いてみると、スーツ姿のおっさんの隣には、見るからに怪しい金色の小さな地蔵が置かれていた。
そして、それを購入しようとしているのか。
次から次へと手を挙げていく参加者によって、会場は活気付く。
そのうち、置物を買う人の列が出来始め、どうやら圭が言ったことはあながち間違いではないらしい。
「おい、おっさん」
そして、公演終了後。
最後の客が部屋から出て行ったのを見計らって、俺達は会場内に乗り込んだ。
「なんだ君達は?ここは学生が来るような場所じゃないぞ」
制服姿の俺達を見た途端、急に険しい顔付きになった後頭部ハゲのおっさんは、怪訝な目を向けて警戒心を露わにしてきた。
「あんた本物の催眠術師なんだろ。ちょっと術をかけて欲しい人がいるんだけど、俺達に付き合ってくんね?」
それから、回りくどいことは嫌いなので単刀直入に切り込んだら、いつの間にか背後に立っていた黒いスーツ姿のガタイがいい男に、突然首根っこを掴まれた。
「おいおい、困るんだよ。ここはガキの遊び場じゃねえんだ。おじさん達は忙しいからさっさとお家に帰りな」
そう言って、部屋の外に追い出されそうになった手前。
俺は首元を掴む男の手首を握ると、そのまま力任せに背負い投げをした。
男は背中を床に強く打ち付け、短い悲鳴が上がったと同時に、こいつの胸元を勢いよく踏み付ける。
「なあ、あんたらここで荒稼ぎしてんだろ?だから、いいじゃねえかよ。学生の頼みを一つや二つ聞いてくれても」
そして、痛みに悶えるスーツ姿の男がなんだか滑稽に見えて、俺はポケットに手を突っ込みながら更に踏み付ける足に力を込めた。
「……な、なんだこいつ。全然ビクともしねえ……」
どうやら、こっちの話は一切聞くつもりはないようで。
スーツ姿の男は何とか俺の足をどかそうと尚も抵抗してくるので、諦めて靴の踵で急所を強く蹴り付けたら、一瞬にして気絶してしまった。
「てめら、ふざけるのもいい加減にしろ!俺達を誰だと思って……」
それから、傍で突っ立っていたもう一人のサングラスをかけた男が、殴りかかろうとした矢先。
それを遮るように、圭は男の目前で思いっきり部屋の壁を蹴り付けた瞬間、鈍い音と共に壁には綺麗な穴がぽっかりと開いた。
「勿論知ってるよ。でもいいの?そんな名だたる組合員がこんな一学生にやられたなんて知られたら。あんたらの立場が危ないんじゃない?」
そう脅しをかける圭の表情は相変わらず崩れることはなく、満面の笑みを男に向ける。
それに怖気付き始めたサングラスの男は言い淀んでいると、圭は容赦無く男の首を掴み、そのまま壊れた壁に頭を叩きつけた。
「ねえ。少しでいいから、この催眠術師のおっさん貸してよ。すぐ返すから」
そして、甘い声で優しく語りかけながらも、首を掴む手にはどんどんと力が込められているようで、男は次第に泡を吹き始め、助けを乞うように首を必死に縦に振る。
「じゃあ、そういうことだから。いいよな?」
とりあえず、話はついたということで。
俺は地面に尻餅をついて怯える後頭部ハゲのおっさんを見下ろしながら、ゆっくりとそう尋ねる。
「は、はい。もう好きにしてください!だから、どうか命だけは助けてください!」
すると、まるで殺される直前のような怯えた表情になり、必死に頭を地面に擦り付けて懇願してきた。
__三十分後。
「ねえ、櫂理君。その人誰?」
あれから莉子にすぐ連絡をして近くの公園に呼びつけると、異様な組み合わせに驚いた莉子はたじたじになりながら、おっさんと俺達を交互に見た。
「ちょっとした知り合い。このおっさん有名な凄腕催眠術師みたいで、莉子に催眠術がかかるかどうか試したくなって」
「え!?そんな怖いことヤダ!」
とりあえず、包み隠さず目的を話したら、予想通りあからさまな拒否反応を見せてきたので、俺は得意の子犬顔を作り、莉子の腰に手を回した。
「一回だけ。莉子が俺のこと彼氏として見れるのか試すだけだから。な?」
そして、顔を覗き込みながら猫撫で声でお願いすると、莉子はこれ以上抵抗することを止めて、渋い表情を見せてくる。
「またそんな怪しい遊びして……。……それじゃあ、一回だけだよ?かからなかったら、もうしないからね」
それから、出てくる答えはやっぱり承諾で。
本当に、とことん俺に甘いということがこれでよく分かる。
こうして莉子の許可を得てから、呆れ返るおっさんにこっそりと更なる脅しをかけ、ようやく催眠術が始まった。
まずは莉子をベンチに座らせ、その前におっさんが立つ。
催眠術の仕組みはこの前ネットで調べたことがある。
それは、相手をいかに思い込ませるか。
病は気からというように、思い込みにはかなり人を動かす力がある。
だから、このおっさんはどのようにしてそれを引き出すのか。
俺は固唾を飲んでその様子を圭と見守った。
「それじゃあ、莉子さん。肩の力を抜いてリラックスして。大丈夫、怖いものは何もないですよ。目を瞑って、頭の中を空っぽにして私の言うことだけに集中してください」
そう言うと、おっさんは莉子の目元を軽く抑えてゆっくりと頭を回し始める。
それだけで手が出そうになる衝動が襲ってくるけど、そこを何とか堪えた。
「莉子さん、幸せになりたいですよね?あなたの側にそれを叶えてくれる大切な人がいます。そして、その人は莉子さんが心から愛する人です。もう手放したくない、見ているだけで愛おしくて仕方がない。あなたの大事な恋人です」
それから、おっさんは一定の音程でゆっくりと喋り、莉子に暗示をかけていく。
「では、私の合図で目を開いてください。そうすれば、その大事な人があなたの前に現れます。それではいきますよ。3、2、1……はい」
そして、おっさんの合図と同時に莉子はゆっくりと目を開き、俺と視線を合わせた。
そこから暫しの沈黙が流れる。
これは、成功しているのか?
莉子は瞬き一つせず無表情のままこちらをじっと見ているので、手応えの程が全く分からない。
「それじゃあ、私はこれで。効果はそのうち直ぐ切れますから」
すると、催眠術師のおっさんは結果を見届けずして、そそくさと逃げるようにこの場を去っていった。
効果が切れると言っていたけど、つまりそれって……。
「櫂理君……」
その時、ようやく莉子の反応があり、俺は即座に振り向く。
「あの……」
そして、何やら俺を見る目付きがいつもと違う気がする。
母性的ではなくて、恥じらうような感じがして、なんだか色を含んでいるような……。
「莉子、おいで」
試しに自分の中で精一杯の甘い声を出して、優しく微笑みながら手を差し伸ばしてみたら、莉子は言われるままに小走りで俺の元へと駆け寄ってきた。
それから、何も言わず俺の体に抱きついてきて、恥ずかしそうに顔を胸元に埋めてくる。
いや、ちょっと待て。
可愛過ぎて窒息死するっ!
危うく全力で莉子を抱き締め、潰してしまいそうになる手前。俺はすんでのところで理性を働かせ、何とか平常心を保った。
「え?マジであんなので効いてるの?莉子さんチョロ過ぎでしょ。それじゃあ効果が切れた時にまた呼んでよ。俺はどっかで時間潰してるから」
そんな俺らの様子を隣で物珍しそうに眺めていた圭は、気を利かせて颯爽とどこかへ行ってしまった。
こうして、催眠状態にかかった莉子と二人っきりになった俺。
未だに信じられないけど、あのおっさん曰く効果は直ぐ切れるらしいから、今のうちにやりたいことを詰め込もうと俺は思考をフル回転させる。
このまま家に連れて帰るか?
けど、その間に効果が切れたら何の意味もない。
だとしたら、イチャつくならここしかないか。
本当はキスやらその先のことやら色々してみたいけど、親父との約束があるからそれはダメだ。
だとしたら、どうする?
色々悩んだ結果、まず一番始めにやりたいこと。
それは、莉子を抱き締める。
「莉子、俺のこと好き?」
とりあえず、しっかりと理性を働かせて、俺は莉子の体を包み込むように優しく抱き締め返し、囁くように耳元で語りかけた。
「当たり前でしょ。私は櫂理君のことが大好きだよ」
それから、ずっと求めていた言葉を莉子は躊躇いもなく嬉しそうに捧げてくれた。
…………けど。
なんだろう。
もしかしたら、今は少し意味が違うのかもしれないけど、小さい頃はよくお互い“好き”と言っていたせいか。
求めていた言葉ではあるけど、なんだかあまり新鮮味がないような気がする。
「ねえ、櫂理君。向こうのベンチ座らない?」
暫くの間思考に耽っていると、不意に莉子は俺の手を引っ張り、奥のベンチを指差してきたので、言われるがままに俺は後を付いていった。
「はい。膝枕してあげる。櫂理君好きだよね?」
すると、普段はそんなことは絶対言わないのに、催眠術効果のお陰で莉子の積極性が増して、ベンチに座った途端自分の太ももを軽く叩いて合図を送ってくる。
当然それを拒む理由はなくて。
俺は言われるがまま、莉子の太腿に頭を置いて彼女を見上げた。
いつもの膝枕だけど、自分からやるよりも断然こっちの方がいい。
愛されている。
その気持ちがしっかりと伝わっている莉子の熱い視線。
それが心地良くて、思わず彼女の頬に手が伸び、そっと触れた。
……ああ、今すぐここにキスしたい。
莉子の頬に、額に、鼻に、そして唇に。
止めどなく沸いてくる欲望を抑えながら、自分の唇の代わりに莉子の顔を順々に指でなぞる。
「莉子、愛してる。一生弟扱いでもいいから、ずっと俺の側にいて」
そして、切実な願いを彼女に捧げた。
今の状態で、果たしてこの言葉がちゃんと届くのかよく分からないけど。
それなら、何度でも言い続ければいい。
例え、届かなくても。
可能性がゼロになったとしても。
俺は、絶対に諦めたくないから。
それから、暫くの間莉子の膝枕を堪能し、その間彼女は俺の頭を優しく撫で続けて、気付いたら意識を失っていた。
◇◇◇
「……り君。櫂理君、起きて」
遠いところで莉子の声が聞こえる。
体を揺さぶられているような気がするけど、この暖かくて心地居良い場所からまだ離れたくなくて。
意識は段々と覚醒し始めてはきてるけど俺は暫く目を閉じたまま寝たふりをする。
「おい、いい加減起きろ」
すると、傍から突如圭の冷めた声が聞こえた途端、思いっきり脇腹を蹴られ、強制的に叩き起こされた。
「もう、櫂理君一度寝たら全然起きないんだから。体も冷えてきたし、そろそろお家帰ろう」
痛む腹を抑えながら俺は舌打ちをして起き上がると、呆れたように俺をジト目で見てくる莉子。
……終わった。
その表情で瞬時に状況を察知することが出来、あのおっさんが言うように俺の夢は一瞬にしてここで覚めてしまった。
まあ、途中で寝てしまった自分が悪いんだけど。
「……で、どうだった?催眠状態の莉子さんとよろしくしてたんでしょ?」
それから、本人を前にして何やら期待を込めた眼差しを向けてくる圭に、俺はこれまでのことを振り返る。
「とりあえず、莉子に好きだって言ってもらって、膝枕してもらって……終わり」
「なんだ。いつもと変わらないじゃん」
そして、起きたことをそのまま伝えたら、最もなことをツッコまれてしまった。
「よかった。それぐらいで済んで……」
しかも、莉子にとっても大したことではなかったようで。
安堵の息を漏らされたのが、何だか少しだけ腑に落ちない。
「またこんなことしたら今度は本当に怒るからね。さっきのおじさんにもちゃんと謝るんだよ?」
そう厳しく叱ってくる莉子に本当のことを話したら更に怒られそうで、俺は何も言わず素直に首を縦に振った。
「……あ、莉子さん。ちょっと」
とりあえず目的は果たしたので、ここで解散しようとしたところ。
突然圭は莉子の腕を軽く引っ張り、そっと耳打ちをしてきた。
「それじゃあ、またね」
それから、何事もなかったように笑顔で俺達に別れを告げて、この場を去って行く。
「あいつに何言われたんだよ?」
圭に耳打ちされて以降、暫く動かなくなった莉子に俺は苛立った声で尋ねた。
他の男と違って、圭とは付き合いが長いから多少莉子とのスキンシップは許容しているけど、今のは許容し難い。
「……秘密」
しかも、何やら少し恥じらうように俺から視線を外してきたので、益々気に食わない。
まあ、圭にそこまで嫉妬する必要はないだろうけど、俺にも言えないことがあるのはやっぱり嫌だ。
だけど、莉子はがんとして教えてくれなかったので、俺は諦めて帰路に着くことにした。
__こうして、莉子の催眠術作戦は成功したのか失敗したのか、よく分からずに終わった。
そして、あの雑居ビルで開催されていた怪しい講習会は、あの日を堺に二度と開催されることはなかったそうな。
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