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第31話 「勝手なこと言ってんな」

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 平らで、申し訳程度の筋肉と骨でできた、薄い身体。
 決して、やわらかい感触も触り心地のいい胸もついていない。
 先輩は、もしかして、改めて僕の体を、男の体を見て、イヤになったんじゃないか。だからあんな、険しい顔をしていたんじゃないか。

 考えれば考えるほどそれが正解なような気がしてくる。

 先輩が僕を女性として見てる、とは思っていない。男だということくらいわかっているはずだ。
 それでも。頭でわかってはいても、実際この身体を目にしたら。
 ノンケにとって魅力になるものなんて何一つない同じ男の体。
 やっぱりムリだという結論になったって仕方ない、だろう。
 正直。先輩は、僕と、セックス、をしたいと言ってくれたけど。いまだに理由がよくわからない。
 恋人という関係だから、その行為があるのは普通だと思っているからかもしれない。

 なにより、先輩が、僕と同じ気持ちを持っているわけは、ないのだし。

 しかも今はすぐそばに美人で魅力的な女性がいて。
 先輩が目を覚ます十分な条件が揃っている。
 それなら、先輩にとって、もう、僕は。

 着替えのためにコテージに戻ってから、ぐるぐると回り続ける思考は体を重くさせた。うまく力がいれられず、フラフラして倒れそうになる。心なしか吐き気すらしてくる。
 いつかこうなるって、ずっとずっとわかっていたくせに。なんなら、付き合おうと言ってもらえたその日から、先輩にそういう人が現れるかもしれないと、予想していたのに。
 いつの間にか先輩の優しさと甘さに浸りきっていて。その贅沢さを知ってしまった今の僕は、受け入れようとしても心も体も追い付かない。

 そんな状態だったから、着替え終わって撮影の手伝いに行こうとしたところ、食事の用意をしていたメンバーに顔色を心配され、撮影の手伝いに戻るのを止められるほどだった。
 体調は悪くない、と否定しても「そんな青白い顔で外に出たら熱中症で倒れる」と言われて、結局、大部屋の布団で寝るように半ば強制的に決められた。
 仕方なく自分の寝るべき布団にもぐる。
 この布団は合宿初日、ほとんど強引に先輩に決められた場所で。
 ふと、隣に目を向けたら、そこには先輩の荷物が置かれた布団がある。
 借りたパーカーは畳んでこに置いておいた。直接返す勇気は、なかった。

 あの日。
 お願いした「周りには秘密にすること」をちゃんと守ってくれている先輩だから。
 「好きな人ができたらすぐに言うこと」という約束もきっと守って、僕に話すんだろう。
 その約束を果たそうと先輩がする時が、一秒でも遅くなってほしかった。





「ナツメさん、も、今日はこっちのお風呂使うんだ?」
「はい! 監督との打ち合わせがあるらしいですよ。だからこっちに残るみたいで」

 食事を終えて、昨日と同じく温泉組を見送ったあとでサカイさんから聞かされる。
 撮影の手伝いはいけなかったけれども、途中から食事係のほうを手伝ったりしていたので、そこまで体調不良のことは心配されなかった。戻ってきた青葉先輩が何度かこちらをうかがっていたけれど、その目線を遮るように食事の準備や、他のメンバーと一緒にいた。
 今日は火の番は必要ないけれど、青葉先輩の前でもう一度素肌を晒すのが怖かったから、今回もサカイさんと留守番組だ。サカイさんは「ケイタさんがナツメさんが残るなら―っ、ってこっち残ろうとしたりしてたんですよ」と苦笑している。
 ナツメさんがこっちに残っていることの気まずさと、今日は先輩と一緒にいるわけではないことに喜んでしまう浅ましい気持ちに、何度目かの自己嫌悪を覚える。

「……そっか、じゃあ先にナツメさんにはいってもらったほうがいい、かな。お客さんだし」
「私は最後でいいですよー。ガチ班は多分深夜に入るでしょうし。ナツメさんに伝えにいかないと……って、お風呂沸かしてないんでした。私やっておきますね!」
「え、あ、ああ……」

 そういってサカイさんはパタパタと浴室のほうへ向かう。確かにただ伝言しにいくことに比べたら、風呂の準備は雑用の部類だ。一年生のサカイさんが二年生である僕を気遣って、あえて率先して行ってくれたのだろう。
 でも今はその気遣いは裏目に出ていた。サカイさんはまるで悪くないけれど、ナツメさんと話さなくちゃならない事態に、ズシンと石を飲み込んだように胃が重たくなる。

 それでも、無視するわけにはいかない。大きく息を吸って、廊下のほうを進んだ。

 ナツメさんの部屋はガチ班が使っている向かいの一人部屋だ。外部から協力しにきてくれて、かつ主演女優なのだから彼女が一人部屋を使うことに異議を唱える映研メンバーはいない。
 明るいコテージの中を一歩ずつ進みながら、きっと今の自分は、ホラー映画にでてくる主人公よりも、恐怖を感じているんじゃないか。そんなことすら考えてしまう。
 ホラー映画とは無縁な楽し気な声が、突き当りの部屋、開けっ放しの扉の中から聞こえてきた。

「今日のここのさ、ナツメちゃんの台詞がすごくよかったから、こっちのシーンでも使いたいと思ってて」
「そうすると……猫柳さん、ここの言い回しを変えたほうがいいですか?」
「そうそう、そうなんだよ! いやあ、ナツメちゃんはほんと読み込んでくれてるから嬉しいなあ」

 ナツメさんの部屋で、監督と二人で話し合っていたみたいだった。監督はキラキラした顔で脚本になにかを書きこんでいて、ナツメさんは一日の疲れも見せずににこにこと笑っている。
 和やかな雰囲気に、どう声をかけるか悩んでいると、部屋の中にいたナツメさんが僕の存在に気づいた。パチリ、と長い睫毛が瞬く。

「あ……えっと、コーヨーくん、でしたよね?」
「えっ? あ、はい、そうです」

 驚いた。
 これまで僕はナツメさんと会話をしたことが、ない。
 それなのに下級生の名前を憶えているなんて。僕なんてナツメさんにとって映研メンバーのモブBとか、そういうところだろうと予想していただけに驚きが強い。
 脚本に熱心に向かっていた監督がひょいっと顔をあげる。

「あれ、コーヨー。どうしたんだ?」
「あー、その、お風呂……ナツメさん、先に入ってもらっていいですよ、って、伝えに……」

 衝撃と、うまくナツメさんの顔をみれずしどろもどろの返事をしてしまう。はた目から見たら挙動不審に違いない。
 しかし、映画以外に興味のない監督は気にも留めず「ああー」と自分の額をパチンと叩いた。

「いやいやうっかりしてた。もうそんな時間か。引き止めちゃって悪かったね。映画のことになると周りのことを気にしなくなっちゃって……申し訳ない」
「いえ! 猫柳さんの映画や、脚本が好きなので、私も楽しんでましたから」

 にっこりと顔に浮かべる笑顔は、本心から言っているようだった。そうは言っても、彼女ほどお芝居がうまかったら僕はきっと見抜けない。
 それからナツメさんはもう一度僕のほうを見て、綺麗に整えられた眉を八の字にして、ぺこりと頭を下げた。
 綺麗な黒髪が、なだらかで丸い白い肩を滑る。

「ごめんなさい。私が先に入らないとコーヨーくんたちも入れないよね? すぐに準備しちゃうから」
「いや、えっと、全然ゆっくりしてもらって、大丈夫なので、ほんとに。あの、それじゃ」

 きびすを返して、今きた廊下をすぐに戻る。
 完全に変な態度をしてしまった。いや、女性の入浴の準備を眺めるのは失礼だし、あれだけ美人な人とまっすぐ会話することに慣れてなくても仕方ない、くらいに思われていてほしい。
 廊下を抜けてリビングに入る直前、ぴたりと足を止める。
 今、きっと、ひどい顔をしているだろうから。そこにいるサカイさんに顔を見られたくなかった。
 だって。

 せめて。少しでも性格がイヤな人だったら、いっそ嫌いになれると、思っていたのに。
 芝居に一生懸命で、話したこともない下級生の名前を憶えていて、しかもあまつさえ自分から謝ることができるなんて。
 嫌う要素なんてどこにもない。顔も綺麗で、性格もよくて。なにより、骨ばった自分とは違う丸い曲線を持った女性で。
 そんなの。
 自分より先輩に相応しい、っていうことをつきつけられて。

 がむしゃらに耳たぶに爪を立てる。
 ピアスごと耳をちぎる勢いで。
 気持ちを抑えるために始めたピアス。先輩からもらったピアス。
 ああ、こんなドロドロした感情を持った僕が。
 やっぱり、青葉先輩とつきあうなんて、おかしいだろう。


 ◇


 温泉から帰ってきたメンバーが一息ついたところで、お酒をひたすら飲みたいひととガチ班以外は、コテージの外へ出ていた。
 懐中電灯もいらないくらい、夜空に浮かぶ月と星のおかげで周囲は明るい。

「それじゃー、もっかい説明するからなー。この道を抜けたところに、使われなくなった別荘があるから。玄関に置いてある紙をとって、もう一つの道から帰ってくること。紙はわかりやすくおいてあるから。絶対とってくるんだぞ!」

 上級生が説明しているのは、これからする肝試しだ。
 コテージの周りは、山ということもあって、ちょっとした林になっている。その中に一本道が続いていて、街灯もない、木々で囲まれた道は格好の肝試しポイントなのだろう。
 ただ残念なことに、みんな気分が浮き立っているし、雲一つない夜空のおかげで明るくて、びっくりするほど肝試しの雰囲気がでていない。
 しかし恒例行事のようだし、なんだかんだと一部の人は怖がらせるほうに回って準備をしているらいし。
 断る理由もなかったから、僕も参加だ。
 もちろん、青葉先輩も。
 そして、ナツメさんも。

「知ってますか、ナツメさん。これから行く別荘、実は事故物件っていう噂があって……」
「ケイタ、勝手なこと言ってんなって。何の曰くもない、ただの売り物件だよ」
「なんだよ青葉ぁ。大体なんでなにもないって知ってんだよ」

 青葉先輩はしれっとした顔で「従兄弟が廃墟探索が趣味だから、ガチなところは聞いてるんだよ」と答えている。ケイタさんが不満そうにしているが、ナツメさんは苦笑いだ。
 その構図にズキリと心臓が痛んで、腹の奥が重くなる。
 痛む耳を抑える代わりに、三人を、いや、二人をなるべく視界にはいらないようにする。

「えー、毎年恒例で二人組で向かってもらいます。ペアと順番は、厳正なる抽選ではなく独断と偏見によりこちらが決めました!」

 仕切っている四年生が声を張り上げると、一部から笑いと「横暴だぞ!」と声があがる。

「酔っ払い同士がペア組んだりしたら面倒なことになるから、こっちで決めるのが恒例なんだ! ほいほい、それじゃあー呼ばれたやつはこっちこい。まず最初のペアはー……」

 呼ばれた人たちが前へ行く。どうやら基本男女の組み合わせにしているらしい。
 ケイタさんは後輩の女子生徒とペアで、わかりやすく「なんでナツメさんと一緒じゃないんだ」とボヤいていたけれど、多分このあたりが仕切っている人たちの独断と偏見なのだろう。決してケイタさん本人は悪い人ではないのだが。

「じゃあ次は、ナツメさんと青葉のペア」

 納得したはずの独断と偏見に呪いをかけたくなった。
 確かにナツメさんが誰かと組むなら、同級生のほうがやりやすいだろうし、青葉先輩は女性のエスコートも上手だ。だからその采配が納得いくものであることは頭ではわかっている。
 この二日で二人が親しげに話している様子を周りも見ているし、ケイタさん以外は美人のナツメさんと肝試しのペアを組む青葉先輩にやっかみを言う人もいない。

 でもそれは、それほど二人がお似合いということでもあって。

 どんな様子で話しているのか、怖くて前を見れなかった。



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