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だから彼女から奪った(8)
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だが、サディアスは何も言わない。それはサディアスの役目ではないからだ。
そんな彼女の姿を目にしたら、すっと胸のつかえが取れた。
彼女を張りぼてとキンバリーが罵るのであれば、彼女に教師を手配するのはキンバリーの役目である。まして、二人は婚約者同士なのだから。サディアスの気にするところではないが、キンバリーに助言をしたほうがいいのかもしれない。
「サディアス様とお話をしたら、一気にお腹が空いてしまいました。最近、ずっと食欲がありませんでしたの……」
そう言った彼女の頬にも明るさが戻ってきている。
「サディアス様のおっしゃる通りですね。すべては縁。きっと、ラティアーナ様は縁に恵まれていたのでしょうね。お話を聞いたとき、心底羨ましいと思いました」
田舎に住んでいた少女が聖女に見初められ、さらに王太子の婚約者となる。その話を聞けば、誰だって羨ましいと思うだろう。その気持ちを隠すか曝け出すかの違いだ。
「私は、ずっと兄の言うことを聞いて我慢してきました。その結果、得たのが侯爵令嬢という地位です。ですが、ラティアーナ様は? あの方は、何か苦労されましたか? 私には苦労しているようには見えなかったのです」
気持ちを落ち着かせるためか、彼女は残っていたお茶を一気に飲み干した。
「ラティアーナ様の友人となり、一緒にお話もしましたが。あの方はいつもにこやかに微笑んでおりました。だから、私から見たら、本当に羨ましい存在だったのです。いつの日からか、私が聖女だったら、私がキンバリー殿下の婚約者だったら……。そう思うようになっておりました」
彼女の気持ちもわからなくはない。サディアスだって、キンバリーを羨ましいと思ったことは多々あるからだ。
「突然、ラティアーナ様のお召し物が変わったの、ご存知でしたか?」
それはキンバリーも言っていたし、サディアスも本人に問うたことでもある。
「はい」
アイニスの問いに頷き、小さく返事をする。
「ラティアーナ様にしては珍しいので、お聞きしたのです。すると、神殿から支給されたものだと言うではありませんか。ですが、私にはピンとくるものがありました。侯爵が……義父が言っていたものですから」
「何を、ですか?」
「キンバリー殿下が、私的に神殿に寄付をしていると。それも、ラティアーナ様のためだと。ですから、キンバリー殿下にも、ついこぼしてしまいました」
そこでアイニスはカップに手を伸ばしたが、先ほど飲み干してしまったことに気づいたのだろう。カップに手をかけて、すぐにあきらめた。行き場を失った右手は、テーブルの上に置かれる。
「ラティアーナ様の素敵なドレスは、殿下からの贈り物なのですねって。羨ましいですわ、と……」
キンバリーの寄付金でラティアーナがドレスを仕立てたと、ウィンガ侯爵がアイニスに伝えたのだろう。それを、ラティアーナのドレスはキンバリーからの贈り物であると、アイニスが解釈したにちがいない。
「ですが、その一言がきっかけとなり、殿下がラティアーナ様を見る目が変わったようにも見えて……。それに、殿下がラティアーナ様のことで悩んでいらっしゃるようにも見えましたので……」
「そんな兄を、あなたが慰めてくださったのですね。兄は、アイニス様がいて励みになったとも言っておりました」
彼女の手は、所在なさげに動いていた。言葉を選んでいるようにも見える。
「そうですか……。そう言っていただけると、安心いたします。私にとっても、キンバリー殿下は心の支えのような存在ですから」
サディアスは、自分のカップに視線を落とした。カップが透けるほど透明な緋色の液体に、自身の顔がちらっと映りこむ。その自分と目が合う。
「ですが、今となっては後悔しております。あのときは、ラティアーナ様のようになりたいと。ラティアーナ様から、『聖女の証』とキンバリー殿下を奪ってやりたいと。そう思っておりましたのに」
「なるほど……」
「私には、ラティアーナ様のような生活は送れません。できることならば、この『聖女の証』をお返ししたいくらいです」
そう言ったアイニスの首元には、月白の首飾りが輝いていた。
そんな彼女の姿を目にしたら、すっと胸のつかえが取れた。
彼女を張りぼてとキンバリーが罵るのであれば、彼女に教師を手配するのはキンバリーの役目である。まして、二人は婚約者同士なのだから。サディアスの気にするところではないが、キンバリーに助言をしたほうがいいのかもしれない。
「サディアス様とお話をしたら、一気にお腹が空いてしまいました。最近、ずっと食欲がありませんでしたの……」
そう言った彼女の頬にも明るさが戻ってきている。
「サディアス様のおっしゃる通りですね。すべては縁。きっと、ラティアーナ様は縁に恵まれていたのでしょうね。お話を聞いたとき、心底羨ましいと思いました」
田舎に住んでいた少女が聖女に見初められ、さらに王太子の婚約者となる。その話を聞けば、誰だって羨ましいと思うだろう。その気持ちを隠すか曝け出すかの違いだ。
「私は、ずっと兄の言うことを聞いて我慢してきました。その結果、得たのが侯爵令嬢という地位です。ですが、ラティアーナ様は? あの方は、何か苦労されましたか? 私には苦労しているようには見えなかったのです」
気持ちを落ち着かせるためか、彼女は残っていたお茶を一気に飲み干した。
「ラティアーナ様の友人となり、一緒にお話もしましたが。あの方はいつもにこやかに微笑んでおりました。だから、私から見たら、本当に羨ましい存在だったのです。いつの日からか、私が聖女だったら、私がキンバリー殿下の婚約者だったら……。そう思うようになっておりました」
彼女の気持ちもわからなくはない。サディアスだって、キンバリーを羨ましいと思ったことは多々あるからだ。
「突然、ラティアーナ様のお召し物が変わったの、ご存知でしたか?」
それはキンバリーも言っていたし、サディアスも本人に問うたことでもある。
「はい」
アイニスの問いに頷き、小さく返事をする。
「ラティアーナ様にしては珍しいので、お聞きしたのです。すると、神殿から支給されたものだと言うではありませんか。ですが、私にはピンとくるものがありました。侯爵が……義父が言っていたものですから」
「何を、ですか?」
「キンバリー殿下が、私的に神殿に寄付をしていると。それも、ラティアーナ様のためだと。ですから、キンバリー殿下にも、ついこぼしてしまいました」
そこでアイニスはカップに手を伸ばしたが、先ほど飲み干してしまったことに気づいたのだろう。カップに手をかけて、すぐにあきらめた。行き場を失った右手は、テーブルの上に置かれる。
「ラティアーナ様の素敵なドレスは、殿下からの贈り物なのですねって。羨ましいですわ、と……」
キンバリーの寄付金でラティアーナがドレスを仕立てたと、ウィンガ侯爵がアイニスに伝えたのだろう。それを、ラティアーナのドレスはキンバリーからの贈り物であると、アイニスが解釈したにちがいない。
「ですが、その一言がきっかけとなり、殿下がラティアーナ様を見る目が変わったようにも見えて……。それに、殿下がラティアーナ様のことで悩んでいらっしゃるようにも見えましたので……」
「そんな兄を、あなたが慰めてくださったのですね。兄は、アイニス様がいて励みになったとも言っておりました」
彼女の手は、所在なさげに動いていた。言葉を選んでいるようにも見える。
「そうですか……。そう言っていただけると、安心いたします。私にとっても、キンバリー殿下は心の支えのような存在ですから」
サディアスは、自分のカップに視線を落とした。カップが透けるほど透明な緋色の液体に、自身の顔がちらっと映りこむ。その自分と目が合う。
「ですが、今となっては後悔しております。あのときは、ラティアーナ様のようになりたいと。ラティアーナ様から、『聖女の証』とキンバリー殿下を奪ってやりたいと。そう思っておりましたのに」
「なるほど……」
「私には、ラティアーナ様のような生活は送れません。できることならば、この『聖女の証』をお返ししたいくらいです」
そう言ったアイニスの首元には、月白の首飾りが輝いていた。
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