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だから彼女はいなくなった(4)
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ミレイナはユリウスを説得する。本当はミレイナだって怖いし、あそこに戻りたくはない。それでもそう心に決めたのは、産まれたばかりの我が子を想うためだった。
何も知らないラッティは、鼻をすぴすぴ鳴らしながら眠っている。
ユリウスだって簡単にミレイナの言葉を受け入れたわけではなかった。幾度か声を荒らげた。そのたびに眠っているラッティの身体がピクっと震え、ふにゃふにゃと声をあげる。
その声を聞いて我に返る。
それの繰り返しだった。
最終的にユリウスがミレイナの言葉を受け入れた。互いに譲らなければ、話は平行線のまま終わらなかっただろう。
ユリウスが折れたのは、やはりラッティのためだった。
娘を想う、ミレイナの気持ちを踏みにじりたくなかった。
そしてミレイナは、神殿へと自らの意思で戻った。
ユリウスは、ミレイナがいなくなってから数日は、彼女は病気で寝込んでいるといって誤魔化し、そしてその後亡くなったと村には伝えた。
そんな嘘がまかり通ったのも、この村にも厄災の足音が聞こえ始めていたからかもしれない。
それから、二か月後。
――済世の聖女によって、レオンクル王国は奇跡に満ち溢れた。
と言い伝えられている。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ラティアーナがすべてを知ったのは、神官たちがやってくるほんの一年前のこと。家の掃除をしていて、偶然に見つけてしまった手紙。
それは歴代の聖女たちが書き記した手紙だった。それは母親の荷物から出てきた。
本と本の間に挟まっていた。
だからラティアーナはすべてを知った。
母親が聖女であったこと。
そして、神殿と竜のこと。
この国は、竜によって支配され、弄ばれている。
竜は、気まぐれに目覚めて気まぐれに眠り、もがき苦しむ人々を見て楽しんでいる。
ラティアーナが神殿へと向かったのは十四歳のときだった。竜の世話人として指名されたが、このときはまだ聖女とは呼ばれていなかった。
竜は目覚めたが、その事実が民には隠されていたからだ。
神殿は隠しごとが得意である。ミレイナがいなくなった事実さえ、隠していた。
ラティアーナは巫女として神殿に仕え、十六歳になってすぐに聖女と呼ばれるようになった。
ラティアーナが神殿に素直に従っているのは、竜を殺すため。カメロンもすべてを知っている。
彼女は竜を殺すために、聖女という役目を受け入れた。
そのなかで、キンバリーとの婚約は予定外だった。
カメロンとの約束と親への仇を生きがいにしてきたというのに、生きる糧を失ったような、そんなどん底に突き落とされた気分だった。
しかし、その気持ちすら周囲に悟られてはいけない。
聖女としてそれを受け入れ、聖女として振舞った。
時折、虚無感が襲ってきて食事すら喉が通らないときもあったが、カメロンとの約束を思い出して心を奮い立たせた。
親代わりであるもあるカメロンの両親から荷物が届くと、孤児院へ足を運んで、それらを寄付した。子どもたちとの時間が、まるで自分の未来を見ているかのような気分にさせてくれた。
キンバリーから婚約解消を突きつけられた時は、やっと解放されると思った。だが、それを望んでいたのも事実。
ラティアーナにとって、アイニスという女性は都合のよい女性だった。
聖女になりたがっている。キンバリーの婚約者になりたがっている。ラティアーナを羨ましがっている。
だったら、望む者に望む物を与えてあげたほうがいいだろう。
ラティアーナは躊躇いもせずに、月白の髪飾りをアイニスに手渡した。彼女はそれを待っていたのか、ひったくるかのようにして奪い取った。
これですべてが終わった。
王太子の婚約者という役も、聖女という役も、すべてを演じ終えた。
あれだけ竜を殺したいと思っていたのに、それを誰かがやってくれるなら、それでもいいかなと思い始めた。
ラティアーナの心の中で、何かが音を立てて崩れた瞬間でもあった。
もう、疲れた。
他人のためにではなく、自分のために生きたい――
復讐のためではなく、幸せを望みたい――
「ラッティ……、眠ってるのか?」
「ん? 起きてる……」
ソファに座って懐かしい絵本を読んでいたが、少しだけうつらうつらとしていたようだ。膝の上には、読んでいた絵本が広げられている。竜を倒すという神殿の教えに反する、過激な絵本でもある。どこか手作りに見えるその絵本に作者の名前は書かれていない。
ちょうどそこに、湯浴みを終えたカメロンがやって来て、今にも眠りこけそうなところに声をかけてきた。
「カメロン、ありがとう」
「急にどうした?」
カメロンは笑いながら、彼女の隣に腰をおろす。
「サディアス様とお話をさせてくれたでしょう?」
「彼が、子どもたちの手紙を渡したいみたいだったからね」
「もう、素直じゃないのね」
「俺は子どもじゃないからね」
二人は顔を見合わせて、微笑み合う。
彼女にもう後悔はない。
サディアスにはすべてを伝えた。彼がこれからどう動くのか。
そしてアイニスは、聖女の役目を最期まで果たすことができるのか。
それはもう、聖女でなくなった彼女の知るところではない。
何も知らないラッティは、鼻をすぴすぴ鳴らしながら眠っている。
ユリウスだって簡単にミレイナの言葉を受け入れたわけではなかった。幾度か声を荒らげた。そのたびに眠っているラッティの身体がピクっと震え、ふにゃふにゃと声をあげる。
その声を聞いて我に返る。
それの繰り返しだった。
最終的にユリウスがミレイナの言葉を受け入れた。互いに譲らなければ、話は平行線のまま終わらなかっただろう。
ユリウスが折れたのは、やはりラッティのためだった。
娘を想う、ミレイナの気持ちを踏みにじりたくなかった。
そしてミレイナは、神殿へと自らの意思で戻った。
ユリウスは、ミレイナがいなくなってから数日は、彼女は病気で寝込んでいるといって誤魔化し、そしてその後亡くなったと村には伝えた。
そんな嘘がまかり通ったのも、この村にも厄災の足音が聞こえ始めていたからかもしれない。
それから、二か月後。
――済世の聖女によって、レオンクル王国は奇跡に満ち溢れた。
と言い伝えられている。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ラティアーナがすべてを知ったのは、神官たちがやってくるほんの一年前のこと。家の掃除をしていて、偶然に見つけてしまった手紙。
それは歴代の聖女たちが書き記した手紙だった。それは母親の荷物から出てきた。
本と本の間に挟まっていた。
だからラティアーナはすべてを知った。
母親が聖女であったこと。
そして、神殿と竜のこと。
この国は、竜によって支配され、弄ばれている。
竜は、気まぐれに目覚めて気まぐれに眠り、もがき苦しむ人々を見て楽しんでいる。
ラティアーナが神殿へと向かったのは十四歳のときだった。竜の世話人として指名されたが、このときはまだ聖女とは呼ばれていなかった。
竜は目覚めたが、その事実が民には隠されていたからだ。
神殿は隠しごとが得意である。ミレイナがいなくなった事実さえ、隠していた。
ラティアーナは巫女として神殿に仕え、十六歳になってすぐに聖女と呼ばれるようになった。
ラティアーナが神殿に素直に従っているのは、竜を殺すため。カメロンもすべてを知っている。
彼女は竜を殺すために、聖女という役目を受け入れた。
そのなかで、キンバリーとの婚約は予定外だった。
カメロンとの約束と親への仇を生きがいにしてきたというのに、生きる糧を失ったような、そんなどん底に突き落とされた気分だった。
しかし、その気持ちすら周囲に悟られてはいけない。
聖女としてそれを受け入れ、聖女として振舞った。
時折、虚無感が襲ってきて食事すら喉が通らないときもあったが、カメロンとの約束を思い出して心を奮い立たせた。
親代わりであるもあるカメロンの両親から荷物が届くと、孤児院へ足を運んで、それらを寄付した。子どもたちとの時間が、まるで自分の未来を見ているかのような気分にさせてくれた。
キンバリーから婚約解消を突きつけられた時は、やっと解放されると思った。だが、それを望んでいたのも事実。
ラティアーナにとって、アイニスという女性は都合のよい女性だった。
聖女になりたがっている。キンバリーの婚約者になりたがっている。ラティアーナを羨ましがっている。
だったら、望む者に望む物を与えてあげたほうがいいだろう。
ラティアーナは躊躇いもせずに、月白の髪飾りをアイニスに手渡した。彼女はそれを待っていたのか、ひったくるかのようにして奪い取った。
これですべてが終わった。
王太子の婚約者という役も、聖女という役も、すべてを演じ終えた。
あれだけ竜を殺したいと思っていたのに、それを誰かがやってくれるなら、それでもいいかなと思い始めた。
ラティアーナの心の中で、何かが音を立てて崩れた瞬間でもあった。
もう、疲れた。
他人のためにではなく、自分のために生きたい――
復讐のためではなく、幸せを望みたい――
「ラッティ……、眠ってるのか?」
「ん? 起きてる……」
ソファに座って懐かしい絵本を読んでいたが、少しだけうつらうつらとしていたようだ。膝の上には、読んでいた絵本が広げられている。竜を倒すという神殿の教えに反する、過激な絵本でもある。どこか手作りに見えるその絵本に作者の名前は書かれていない。
ちょうどそこに、湯浴みを終えたカメロンがやって来て、今にも眠りこけそうなところに声をかけてきた。
「カメロン、ありがとう」
「急にどうした?」
カメロンは笑いながら、彼女の隣に腰をおろす。
「サディアス様とお話をさせてくれたでしょう?」
「彼が、子どもたちの手紙を渡したいみたいだったからね」
「もう、素直じゃないのね」
「俺は子どもじゃないからね」
二人は顔を見合わせて、微笑み合う。
彼女にもう後悔はない。
サディアスにはすべてを伝えた。彼がこれからどう動くのか。
そしてアイニスは、聖女の役目を最期まで果たすことができるのか。
それはもう、聖女でなくなった彼女の知るところではない。
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