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浮かぶ柑橘
しおりを挟む「まぁまぁまぁ! 淑女が髪にまで土を付けて!」
「すまない……私が押さえつけてしまったから……」
宮中メイドでも位の高い御方しか指名することを許されない、上級メイドのカタリーナ。
カタリーナは泥だらけになった私を見てそう言った。
御歳六十であるが、まだまだ元気な御方だ。
地方貴族である私なんかの為に呼び出され、大変申し訳無い。
勿論悪いのは私なのだが、騎士でもないリンデンバウム卿が、まさかあそこまで容赦無く相手を捕らえるとは……。
「全く。容赦の無さが極端なんですから」
(あはは……やっぱり容赦無い方なのね……さすが国の宰相)
カタリーナは、シャワーを浴びたほうが早いというのでリンデンバウム卿を部屋から追い出し、見たこともない手際で準備し、恐ろしく丁寧に世話をする。
そして綺麗になった身体に着せられたのは、シルクの寝衣であった。
「え? あの、これ……」
「アイザック様が今夜はこちらに泊まりなさいと。翌日に痛みが出るかもしれませんので私もその意見に賛成ですわ」
「そ、そんな。私が勝手にしたことなのに」
「ふふ、大層派手に尻餅をついたそうですね」
にこやかに向けられる瞳に顔を赤くしながら髪や肌を整えられていると、リンデンバウム卿はいつの間に部屋へ戻ってきたのか「先ずはレディの話から聞かせて?」と、酒を片手にソファーへ腰掛けている。
「アイザック様! 無防備な淑女の部屋へ何しにおいでですか!」
「失礼な。私が嫌がる女性を無理矢理襲う男に見えるかい?」
「あ、あの、私がリンデンバウム卿に詳しく聞かせてと頼んだので……」
「な? カタリーナ。聞いただろう?」
分かったならほら行った行った、と追い払われるカタリーナ。
じとりと残す視線に、私は思わず苦笑い。
きっと無理強いなどしなくとも、この優しい悪魔は女性を堕としてしまうのだろう。
私もいつか堕ちてしまうのだろうか。
リンデンバウム卿からグラスを受け取ると、紫の泉にはオレンジの果実が浮かび、温かな蒸気が肌を湿らす。
「あったかい……」
「木なんか登ってまで証拠を集めて身体が冷えただろう。グリューワインで芯から温めなさい」
「ありがとう……御座います」
「カタリーナも行ったことだし。……どうしてあそこまでして証拠を集めているのか、最初から聞かせてくれる?」
「そうですね。あれは、つい一昨日のことです。私がロズワール物流センターでのシステムトラブルの対応を終わらせ、王都に着いた時の事でした──……
……──なのに! あのクソ野郎ときたら! クソアマといちゃいちゃ気持ちよさそうに果てやがって! それ! 私が稼いだお金なんですけど!! お前は私の言う通りに代表の挨拶して、私の言う通りにスタッフとの面談して、私の言う通りに動いてるだけでしょうが! と言うか女性スタッフの面談は顔パスだし! 甘やかしてた私も悪いけど!!」
お酒のせいだと言いたい。
こんな醜態をまたしても晒して。
アルコールと、心地良い相槌のおかげで、この三日間のフラストレーションを全てぶちまけてしまった。
この国の宰相であらせられる御方に。
「………………やだ私ったら!! す、すみませんつい熱くなってしまいました、誠に申し訳御座いません……」
「あはは。いいや、寧ろそれぐらいハッキリ言ってくれたら清々しいよ。いいね、ジャン君は愛されていて」
「え、な、なに、何です……?? 愛されてる??」
「違うの?」
「っまさか……! 父の教え其の一、顔が良いからと本気で好きになるな、ですから!」
「…………そう」
にこり、と含みをもたせる笑みに私は期待してはならない。
だって婚約している身なのだから。
悪い考えを消し去るように僅かに残ったワインを飲み干すと、リンデンバウム卿の指先が手の甲を這う。
グラスを持つ手が一回り大きな手に包み込まれ、「もう一杯どうぞ」と勧められた。
飲み干したのに。
また並々と注がれた。
四十手前の男が首を傾げ、優しい悪魔の微笑みで。
金色に捉えられて動けない。
「っ、も、モニカさんは!? どういった方なのですか!? 私自身、社交界に滅多と顔を出さないので、全く存じ上げなくて……!」
飲み込まれそうなその黄金色の瞳を遮るように、話題を変えた。
そもそも知りたかったのはそれだ。
私は一度深呼吸をして、期待する心臓を抑えつける。
「そうだね、彼女の事だね」
リンデンバウム卿も「はあ」と小さく溜息をつくと、顎を撫でながら、思い出しているのか斜め上を見上げる。
その姿がなんともセクシーで見惚れてしまうのだ。
「彼女の実父は……、騎士号を授けられた人だった。恐らく引き金はそれだったんだと思う──」
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